2011年4月30日土曜日

再び、平等院へ

三室戸寺を訪問直後、雲行きが怪しくなって来たので慌てて宇治駅行きのバスに乗車。5日に続いて平等院へ行こうかと。源氏物語の主人公光源氏のモデルが源融といわれていますが、その息子の関白藤原頼道が極楽浄土を想定して建てた鳳凰堂は何度訪れても美しいですね。藤の花は藤原氏の象徴とか。写真のように花の房が短いのは、山藤の特徴でしょうか?

昨日の京都新聞で、阿弥陀堂の内外部がCGで建築当時の色彩で表現されたとのこと。画像が重く一般のPCでは見聞不可だそうです。これは見に行かなくっちゃと、宇治駅行きのバスに乗ったとたんに思い出した次第。予想通り柱や梁は真っ赤っか。阿弥陀堂内部の阿弥陀如来は金色で天井と壁面上部は極彩色の鮮やかな模様が施されておりました。鳳凰が空に舞い・・・まさに極楽浄土ですね。

                               長い長い藤の花は残念ながら一分咲き。巨峰のような見事な藤が満開
             藤の花は永く朝廷に仕えた藤原氏の象徴とか。伊藤も藤がらみのため親しみが

早蕨の道へ

さわらびの道は源氏物語の道としておもむき満点の古道です。こんもりとした新緑の中、源氏物語ミュージアムからゆったりと歩きましたが、散歩するにはうってつけの道。この空間が嫌いな人はいないだろう。宇治十帖で登場する源氏の孫の匂の宮がきっと歩いたに違いない。

道中には宇治上神社が。本殿の中は平安時代建築の日本最古の神社が三体鎮座し、前殿は鎌倉時代創建とか。ヒノキは切ってから200年過ぎると丁度良い強度になるそうです。従って1000年過ぎた今も健在です、とはボランティアガイドさんの弁。ちなみに桧皮ぶきの屋根は40年に一度葺き替えているそうです。
                             
                                    本殿の中に三体の神社が。目を凝らすとヒノキの香りがするような
                早蕨の道沿いにヒカルゲンジと命名された優美な椿がたった2輪

2011年4月29日金曜日

源氏物語ミュージアムへ

宇治のご存知、源氏物語ミュージアム訪問は約15年前に続いて2回目。その建築は鮮やかな新緑の中、相変わらず雅な風景に包まれておりエントランスが近づくにつれ心が踊りました。がしかし、今回の展示物や映像は以前に比べてかなり縮小されており、おやおやといった感想です。室数が減少したのかな・・・

私の記憶が確かであれば、1回目の訪問時はホリ・ヒロシ氏の人形劇で源氏物語が優雅に映像化され、長い壁には源氏物語絵巻とストーリーが混合して紹介され、宇治編の匂の宮まで、しっかり源氏物語を読み終わったような感動を味わったのに。今回はたった3分間の絵巻で掻い摘んで紹介のみ。一体どうしたことでしょう?

                                        鮮やかな新緑の中にポッカリ浮かんだ建物は相変わらず
                   ショップで見つけた源氏物語絵巻の壁紙をパチリッ!

三室戸寺へ

宇治の三室戸寺へ行ってきました。本来ならば、つつじとシャクナゲが満開のはずですが、例年より1週間ほど遅いようで、花の様子はチラホラでした。西国観音霊場10番の札所で創建は平安時代初期の1200年前。千手観音を本尊とする本堂が凛とした山寺でした。

西行が秋の紅葉を歌に詠み、芭蕉は春の山吹をうたったようで、花の寺として知られています。5000坪の大庭園には枯山水の池泉庭苑があり、山の斜面に6月は見事な紫陽花が咲き7~8月には蓮の花が。私は桜と同様に紫陽花が好きですが今年の紫陽花はどこで見ることになるのやら。

                                        肌寒いGWの1日目でしたが大勢の参拝者で溢れていた
            シャクナゲは1000本。開花は約10本でピンク以外に真っ赤と真っ白も見事でした

2011年4月22日金曜日

千本閻魔堂へ

千本閻魔堂の桜は日本でここしかない桜が、と京都の友人に聞いて出掛けました。大変遅咲きで一見、普通の八重桜に見えますが、八重どころか九重以上もありそうな見事な花びらでした。花はいかにも重そうで下を向き、名前は普賢象桜とのこと。花びらの真ん中から緑色の細い双葉が。

足利義満の時代、この辺りに多数のこの桜が植えられ千本桜と呼ばれていたそうです。秀吉が築いた京都内をぐるっと囲んだ洛中のお土居を表す洛中洛外図にも、この桜が描かれているそうです。この桜は長い茎とともに首から墜ちる珍しい桜。残念ながら私が訪問した20日はまだ五分咲き程度で、一輪も墜ちていませんでした。

          掲示板に墜ちた桜の写真がありパチリ。実際は下の桜色。劣化による変色で濃くなった?
                      今にも雨が降りそうな曇り空で下向きの普賢象桜

2011年4月20日水曜日

吉野千本桜(奈良)へ

再訪問です吉野の千本桜。5年前は中千本と下千本が満開でした。今回は京都在住の地の利を活かし上千本が七分咲きを狙いに狙って待ちました。しかしながら京都新聞の桜情報メ!チラホラ情報に惑わされていたら一気に満開情報に転じ慌てて行ったら、上千本が散り始めていました。凍りつくような寒さと曇り空のもと、上千本から中千本まで桜道を駆けおりました。実際の桜は3万本とか。

近鉄京都駅から吉野駅まで約2時間。バスで中千本へ、またバスを乗り変えて上千本へ到着したのは京都を発ってから3時間後。う~ん!吉野は遠い遠い山の中ですね。5年前は中千本で1泊。桜を堪能し後醍醐天皇・源義経・秀吉にゆかりの寺院もじっくり拝観しましたが、今回は慌ただしい訪問でした。くず湯うどん定食(+柿の葉ずし+胡麻豆腐)が暖かくてとても美味しかったです。

                                      残念だなぁ曇り空。でも上千本から望むこの眺めは絶景でしょ!
            吉野山は白や薄いピンクのヤマザクラ。赤い額とピンクっぽい葉が可愛らしい

栂ノ尾へ

御室仁和寺から周山街道を北上し常照皇寺へ行く山中に神護寺や高山寺があります。栂ノ尾のもみじ茶屋で昼食を食べましたが、少々の休憩を利用して神護寺へ通ずるモミジ道や周山街道を散歩しました。街道には桜・三つ葉ツツジ・シャクナゲ・芝桜・水仙・レンギョウなどなど春の花々が満開でした。

ここは京都市内よりも北山のためとても遅い春の到来のようでラッキーでした。別名鯖街道として有名ですが、古来から人々が行き通った道端は美しく整備され、観る者の眼を楽しませてくれます。小一時間のバスの旅、いつもならコックリ始まる私ですが今日ばかりは、往復ともバッチリ目を開け春を愛でることに終始しました。京都は田舎の風景も実に美しい。

                                         濃い ピンクのツツジが山肌をびっしり覆い所々に桜咲く
                      神護寺へ下る苔むした階段に落ちたヤマザクラ

2011年4月19日火曜日

常照皇寺へ

常照皇寺は京都の北東の山の中。仁和寺から北山杉で有名な周山街道を車で小一時間も走ります。京丹後・天橋立に向かう鯖街道の駅道沿いです。南北朝時代の北朝の初代、光厳天皇が出家して上皇となり禅を修業するために開いた寺とのこと。皇室を施主、門前の10数家を檀家とする臨済宗の寺だそうです。

桜は九重の樹齢600年の古木が七分咲きでした。樹は苔むし重厚な存在感ですが今にも倒れそう。それでも細く伸びた枝先に可憐な花を咲かせるのが桜です。車返しの桜は八重桜ですが堅い蕾のままでした。私の訪問がちと早かったようです。皇室と関わりが深いせいか高貴な品格が漂う桜と人々から賞賛されています。

                                      樹齢600年の九重桜。古木の先の細い枝先に小さな花が咲く
                   冬には雪が積もる山深い寺に静かに佇む5本の九重桜

2011年4月18日月曜日

御室仁和寺へ

わたしゃ仁和寺御室の桜、ハナは低いが・・・と唄われる御室仁和寺の桜が咲いたとのこと。満開に見えたがまだ七分咲きとのこと。京都では遅咲きの桜として知られ春の終わりを告げるそうです。中門を入ると左手に湧きあがる雲のような見事な桜群が目に飛び込んできます。今にも雨が降りそうな天候のため、花の色が薄ぼんやりしています。

粘土質のため、根が太く長く張らないため御室桜の背丈は短いそうです。実際に桜の頂上は男性の手が届きそうな高さ。地面から枝分かれし地面ギリギリの低位置から単弁の香り高い白い花が咲いています。この桜が植えられた起源は古く平安時代まで遡るそうですが、現在のものは江戸時代初期に植えたそうで、なんと樹齢400年。

                                   御室桜群の左端がやや小高い丘となり五重塔と桜をバッチリ撮影
                品種は有明とのこと。地面の側から可愛い白い大きな五弁の桜が

2011年4月17日日曜日

伏見の川辺へ

伏見の寺田屋前はきれいな宇治川派流が流れています。船着場から十石舟に乗り桜が散り始めた川辺を散策しました。岸辺の左右には遊歩道があり人々が行き交い釣りをしお喋りを楽しむ人も。桜は散り始めていましたが川の流れにはたくさんの花びらが美しい絵柄を描いておりました。

見事な酒蔵群を川辺から眺めるのも一興です。両岸は豊かな新緑の木々や草に染まり春の情景に溢れていました。十石舟は人や物資を運び、三十石船は米を運んだそうです。明治になって鉄道ができるやかっての反映は影を落としたそうですが、現在は黄桜・月桂冠を代表とする約30軒の醸造メーカーが酒やビールを造っているとか。

                                    絵に描いたように美しい月桂冠の酒蔵群。柳や桜が春を告げる
              川面に浮かぶ花筏。小鳥が陸地と間違え着地して慌てる姿も見られるとか

寺田屋へ

伏見史蹟、坂本龍馬の寺田屋へ。宇治川は大阪の淀川から京都の宇治川をさかのぼる水上交通のの要路です。京の玄関先寺田屋は当時の姿のままで現存しています。宇治川派流の船着場であった伏見は江戸時代末期、大変な賑わいだったようです。三十石船の発着地のひとつで寺田屋浜という船着場を有していたとのこと。2階に6室の客室があり龍馬が襲われた部屋には刀傷が。

驚くほど多数の若い見学者が訪問しています。聞けば歴女とのこと。寺田屋内は人で溢れ展示品も多数の龍馬関連が所狭しと並んでいます。龍馬が襲われた部屋には女将のお登勢が嫌がる龍馬に薦めて町の画家に描かせた肖像画が床の間に掛っており、これが最後の姿となり図らずも円山公園の銅像のモデルになったとか。うそのような話が。

                                    龍馬は薩摩藩の紹介で寺田屋を京の定宿とし梅の間で襲われた
                       龍馬が何度も昇降したであろう立派な階段

2011年4月16日土曜日

黄桜へ

黄桜はもちろん、清酒の名前。河童の夫婦が和やかに酒を交わす漫画CMは、私が子供の頃から、お酒っていいものだな!と思わせてくれました。本日は休暇の予定でしたが最寄りの高瀬川沿いの喫茶店主の後押しで伏見へ。そこに黄桜酒造がありました。

京都暮らしをはじめた直後、黄色い桜があることを知り、うそ~!と声をあげ、どうしても見たいと思いました。そして初めて目の当たりにした時の感動は今も心に残っています。本日、黄桜酒造の庭で満開の黄桜に又もや出会いました。黄桜の咲く庭で、黄桜餅と酒饅頭を食べ100円で黄桜を試飲し、半分飲んだら春風に酔った気分ではんなりと。

                                        実際の色は下の 写真より黄緑色がかっている。
              清酒メーカー黄桜のブランドがずら~り。酒好きにはたまらない光景でしょう

2011年4月15日金曜日

常照寺へ

常照寺は、知る人ぞ知る桜の寺。大徳寺とその周辺の戦国武将の菩提寺(塔頭)をじっくり散策後、近くに桜の寺があると聞いて訪問しました。遊女の島原太夫が髪をおろして入った寺だそうで静かな小さなお寺でした。午後4時の閉館を過ぎていましたが横手の御用扉を開け、そっと中へ。気付いた寺の人が手招きし、どうぞどうぞ参拝くださいとのこと。

遠来の友人が1泊2日で京都を訪問したので、2日間ゆったりと散り始めの、いえまだ咲いている桜を求めて出掛けました。御室仁和寺など遅咲きの桜はチラホラのようで、今後のお楽しみが残っていますが、私は大満足ですね。こんなにたくさんの桜を毎日まいにち見たのは初めてのこと。4月生まれの私は、願わくば西行のように、花の下にて春死なんの心境です。

                                この寺の桜は満開でした。まさに桜の寺。風もなく穏やかな春の一日
                   閉館後の入場のため、西日が射して一段と桜色が鮮やか

京都御所へ

春の京都御所は初めての訪問。紫宸殿前の左近の桜、右近の橘が見られるかも、と期待したが、桜は散り橘はまだ実もつけず霜よけコモをかぶって無残な姿。あー残念!!困ったことに中学生の修学旅行生が一緒でガヤガヤ騒々しい。すみませ~ん、静かにしてくださ~い!と一声かけたら穏やかに。よくよく見たら若い引率教師がいるのも知らず失礼いたしました。

宮内庁管轄の御所は無料参観で宮内庁職員の公式ガイド付き。桂離宮も修学離宮も仙洞御所も同様です。京都の皆様は申込み手続きが面倒だからイヤやわ、と未訪問の人が結構多いのには驚きました。いいえ、御苑までちょっと足を伸ばし、明後日以後の空きがありますか?と確認するだけで即許可書が発行されるのです。ぜひご利用くださいませ。税金で美しく清潔に管理運営する最高傑作の日本建築と庭園が見られます。
 
        京都御所は甲子園球場の6倍。玉砂利を歩くと靴が埃まみれに。赤い門の向うが紫宸殿
             御所内の池はここのみ。皇室の方や各国の貴賓客は5つの橋を歩かれるとか

鴨川へ

鴨川は、我が家ベランダの目前でゆったり流れています。高瀬川は眼下。東山三十六峰は鴨川の向うにそびえたっています。意外な急斜面ですが国有林とのこと。普通なら山上まで開発の魔の手が伸びるのに、国有林とはさすが。4条辺りの鴨川沿いの桜は予想外に少ない。以前は大木の桜がびっしり立っていたが、京阪電車を地下に造った結果、小ぶりの桜で本数も減らした、とのこと。

北から南へ京都の町は下へ傾斜しています。この斜面に沿って、鴨川も疎水も早い流れができるのです。従ってどの川の流れも町中とは思えない清流がさらさら音を立て勢いよく流れ、鴨やサギが戯れています。南側の7条から5条の桜が咲き、続いて4条から3条が咲き、そのまた上流が順次咲きます。川端は春の訪れを告げる花として、一番先に雪柳とレンギョウが咲き柳が芽吹き桜が開いて、本格的に春の花達が順次勢揃いするのです。

                                   団栗橋(我が家の目の前)から四条大橋を望む。はるか遠くに北山が
          この赤い花は桜?しかし桃のように花が上に伸びるんだけど

法然院へ

哲学の道の途中にある法然院。疎水からちょいと左へ急な坂道を昇ると東山の南端の山道へ出ます。山道を分け入るように進むと苔むした法然院の山門が目に飛び込んできます。この山門の屋根が実に素晴らしい。木漏れ日の下で輝く苔むした山門に出会いたくて私は参道を何度も昇りました。小さな萱ぶきの屋根にびっしりと苔が何重にもへばりつき、誰をも感嘆させてくれます。

進むと、本来の寺があるべき自然の姿で小さな池や本堂が佇んでいます。法然上人が比叡山で勉学の後、一般の人々にも仏教の教えを広めようと南無阿弥陀仏の6文字を唱えれば死後、極楽浄土へ行けると最初に庵を開いた場所です。法然院の現在の住職も凄い!参観料をとらず時間のある限りふらっと現れた参拝者に優しく法話を説いています。これが本来の寺、本来の住職の役割と私達に教えてくれるのです。京都の全ての寺社がこうあって欲しいものです。

                                           木漏れ日から陽の光が苔むした小さな山門を照らす
                           境内の敷石にも木漏れ日が長い影を落とす

2011年4月14日木曜日

哲学の道へ

銀閣寺から南禅寺までの小道。この琵琶湖疎水の周辺は、哲学者の西田幾太郎さんが思索しながら歩んだ時から、きっと変化がないのでしょう。私は京都暮らしを始めてから何度もこの道を歩きましたが、今日のような人の多さに出会ったことがない。かといって、人々が大声を出すのでもなく、静かにただただ歩いています。哲学の道、というネーミングが素敵ですね。皆さん、自主的に寡黙になりますよね。

7年前、やはり私は哲学の道を歩いていました。春、桜が満開のはずが、行けども行けども一輪の開花も見られず、堅い蕾ばかりでした。悔しくて、桜の開花時期を前もって予測するのはやめよう、と心に誓いました。花見日の決断は前日か前々日にしようと。しかし今日の哲学の道の両岸の桜は満開ですね。素晴らしい!!

                                             京都の疎水の流れの早さと川底の綺麗な様子はお見事
                  満開の桜、ただうっとり。寒い冬があるから桜咲く春が来る

2011年4月13日水曜日

桜守佐野邸へ

佐野藤右衛門(14代目)さんは桜と会話ができる桜守としてその存在は全国に知られ、病んだ桜があればどこへでも出かけ手入れする樹木医です。円山公園の有名な枝垂れ桜は先代藤右衛門さんが82年前、現藤右衛門さん誕生記念に植えた木。枝ぶりが寂しくなったのでそろそろ植え替え準備中とのことですが、現藤右衛門さんがお元気なうちは・・・とのこと。

佐野邸の桜が満開と聞いて出掛けました。門を入ると優しい枝ぶりの紅しだれ桜がこんもりと華やかに。夕刻になれば薪を炊いて桜を愛でるとか。薪の灯りに映える桜の花を目の当たりにしたくて遅い時間に自宅を出ました。意外に人影が少なく、陽が落ち始めると静かな世界が。見知らぬ山里でひとりではさすが強心臓の私も落ち着かず、次回は屈強な用心棒を連れて来ようと決心。通りがかりの方にバス停を教えていただき帰途につきました。

                                  夕映えの紅しだれ桜。右手に月が。ピンボケのため満月に見えるが実は半月
                     ひとつひとつの花びらは小ぶりで可愛らしい

鞍馬寺へ

鞍馬は山の中。叡山電鉄に乗車し、出町柳から鞍馬まで30分の道のりで澄んだ空気の鞍馬に到着します。仁王門手前の鞍馬寺御用達の擁州路でお蕎麦と山菜かやくご飯の昼食をいただきました。10日の鞍馬詣では東京・大阪・京都の友人達が計15人集合しました。鞍馬に到着すると市内とは異なる特別な空気が身体を優しく包み込みます。新緑の青葉と咲き始めた桜の中、ケーブルカーに乗ると標高370mの寺内へ。階段を昇ると明るく広い本殿前へ到着。線香と灯明をあげて本殿金堂の毘沙門天様に参拝しました。大阪からお越しくださった鞍馬寺と深いご縁の2人のご案内で格別な参拝になりました。鞍馬寺縁起や各建造物や仏様について詳しく解説してくださいました。

22年間鞍馬寺でご祈祷している東京の友人や鞍馬寺が好きな大阪の卒業生、そして京都で暮らし鞍馬寺とは何度もご縁のあったご親切な皆様とご一緒しましたが、前出の2人の計らいで、信楽館長様にご挨拶、歓談ができたことはこの上もない幸せな時間でした。いつもながら穏やかで優しくて笑顔の美しい館長様。仏の慈悲の心を説話し、震災者に想いを馳せ、訪問者ひとり一人の話に耳を傾け、お言葉をかけてくださいました。その真しな姿勢に自然に頭が下がる想いがいたします。館長様、貴重な時間をありがとうございました。この後もお健やかにお過ごしください。

                           写真撮影をすっかり忘れ、鞍馬寺から頂戴した本の中から借用。朱塗りの仁王門
                     これも同様。ご本尊の毘沙門天像が祀られている

我が家ベランダから

西木屋町通松原上ルの我が家9Fのベランダから見ると、その真下に綺麗に並んだ町屋の屋根が見えます。瓦屋根が今も美しい。その向こうは高瀬川。石を敷き詰めた清流が勢いよく流れ、観光客の目を楽しませてくれます。川沿いに満開の桜の花が咲き誇っています。夜間はライトアップでさらに美しく、春の気配は我が足元から一歩づつ。

ベランダのまっすぐ先は鴨川です。鴨川沿いは今、雪柳・柳・桜・レンギョウなどが咲いています。鴨川は京都市民の憩いの場所。その向こうの町並みは宮川町。遠くの山は東山三十六峰の山々です。真ん中右手には清水寺があり、すぐ手前は臨済宗建仁寺。左端には南座が。

                                       西木屋町通の瓦屋根。高瀬川には桜の花が覆いかぶさる
                    川の向うは桜並木。町の向うは東山三十六峰が見える

初めてのサプライズ

東京・大阪からはるばるいらした6人の友人と高瀬川沿いのフレンチで夕食をしました。充実した長い一日でしたが、初めてあった皆様も時間の経過で打ち解けて、ライトアップされた桜を見ながら店内で3800円のコース料理を堪能。この内容でこの金額でいいの?と皆で疑問が生じたが、美味しい料理には違いありません。楽しかった京都の桜の花見の充実した一日が終わる頃、親しい我が息子のような友人が現れてビックリ!!

突然、私の前に、キャンドルライトと[HAPPY BIRTHDAYおめでとう]と書かれたデザートのお皿がド~ン。3日前だけど、わ~い私だ!こんなの初めてだ!と驚きました。桜色のロゼワインが用意され乾杯したけど、突然で何がなにやら。思えば誕生日を祝ってもらったことなど、はるか遠い昔のこと。67歳の春ですが、こうして友人達に祝っていただき感謝感激!!我が息子の初めて見たスーツ姿がまぶしかった。本当にありがとう!!

                   京都の息子は私の自慢です。心から本当に嬉しいです

平安神宮へ

9日の旅のクライマックス、平安神宮紅しだれ桜コンサートへ。昨年初めて聴いて見て大感激しました。東京や大阪の人達に泣けるほど美しいと話したら、参加者が6人も。今夜の演奏はヴァイオリン奏者の花井悠希さん。門前に並びましたが席確保のため、開場と同時に境内へダッシュ。ライトアップされた七分咲きの紅しだれ桜をチラチラ横目に見て、ひたすら陣取りにひた歩きました。

6時40分。晴れた空の下、幽玄の美そのもののコンサートが始まりました。暮れなずむ紺碧色の西の空には上弦の白い三日月。真っ暗な池の向うに能舞台のようなステージが浮かび上がり、北の国からの演奏が静かにスタートし集まった観客をうっとり。春の心地よいひと時に引き込んでくれました。私は翌10日も、東京からの訪問者2人と平安神宮コンサートへ。演奏者はギタリストの村治奏一さん。これもうっとり。28歳の若き天才のCDを入手しました。

             泣きたくなるほど美しい。紅しだれ桜をライトアップ。池面が鏡のよう
ライトアップのせいで実際の色よりも桜が白く空が明るく見える




上賀茂神社へ

個人タクシーをチャーターし桜の観光なんて素敵でしょ。合計6人、2台の車に分乗してアチコチへ3時間。楽しい時はあっという間に終わるもの。地震・津波・原発の結果、京都の観光客は減少したそうですが、この日は日曜日。さすがに他府県ナンバーの車が多かったです。呑気に花見していていいのかな。多少の後ろめたさは横に置き、桜三昧のタクシーは上賀茂神社へ。

京都の博学タクシー運転手は私が5年前に知り合った人。神社仏閣の5線(5色)について、ものすごい博識ぶりを発揮。5色は、元々は中国の陰陽道から来たもの。黄(真ん中・皇帝)が中心、右が青(南・青春・青龍)、下が朱(南・朱雀・?)、左が白(秋・白秋・?)、上が玄(黒・北・玄武・玄人)う~ん、3日間過ぎたら、もう記憶が定かでない。我が頭はボケの境地に入ったか。まぁいいや、調べれば判るんだから。

            葵祭りの主役、斉王の桜。さすがに清き気品に満ち溢れ。左下の茶色は何?
濃淡の桜が斉王桜。なんとなく凛とした気配が漂うような気配が

平野神社へ

京都の約10人の皆さんに、どこの桜が好きかと質問したところ、一番多かったのが平野神社でした。なるほど、鳥居の前から人が溢れ、満開の見事な桜がわんさかと。薄いピンクと濃いピンクが入り混じり、5人の友人達と境内を進んだら、なんと紅白の色鮮やかな桟敷というか、お茶席がずらりと並んでおりました。

東京にはこんな場所はないね!と友人達と大感動。次回はぜひここでお花見をしたいものです。満開の桜の下で、昼間から焼肉や焼き鳥を食べビールを飲んで楽しそうで美味しそう。ここでも焦げた醤油の匂いが鼻先をかすめ、少食の私もお腹の虫がなきそうでした。*この虫は鳴くのかな?それとも泣くのかな?

                              京都の花見は賑やかだ!華やかではんなりと。見ているだけはバカみたい
                    なんとまぁ、楽しそうだこと。京都の皆様は幸せですね

2011年4月12日火曜日

祇園白川へ

私のこの場所の訪問は数知れず・・・最初は昨年2月のこと。まだまだ寒い冬日でしたが卒業生が5人、白川の風情豊かな料理旅館の白梅に宿泊。私が京都住まいを始めた直後でした。卒業生達はなんとパリ・東京・大阪から集合しました。同窓の仲良しでパリで活躍中の彼女が展示会で来日の都度、皆で国内旅行し、この冬はたまたま京都だった模様。

祇園白川は最も京都らしい場所です。にせ舞妓さんが写真をよく撮っています。春の今、新緑の柳がそよぎ、桜が満開です。京都は本当に美しいなぁとこの場所で実感します。今回は、私の東京の友人3人と大阪の卒業生2人が合流しました。祇園の割烹で昼食後、白川沿いを散策。その後はチャーターしたタクシーで市内の桜散策です。

                                                 写真も桜もボケ気味。腕が落ちたかレンズが曇ったか
                疎水から流れ込む川の流れが早く、石を敷き詰めた川底がとても綺麗

大阪城公園へ

友人3人と太閤秀吉の大阪城周辺の公園へ行ってきました。私は過去約30年間、年2日間、大阪城ホールに通っていましたが公園を巡ったことがありません。本学園の卒展(大阪MODE/HAL大阪合同展)を、収容人員1万人の大阪城ホールで毎年開催しているからです。別の機会に一度、天守閣に昇ったことがありますが公園をぶらぶらのんびり歩いたのは初めてです。

刀のようなカーブに反り返った石垣の立派なこと。深いお堀と満開の桜と広い公園と見上げるようにどこまでも高い天守閣。天主閣近くの黒壁には金色の虎が光り輝いておりました。公園には善男善女が幾多も集まり、屋台から醤油の焦げる匂いが鼻先を漂よい、公園内でバーベキューをしないで、との音声が度々流れていました。消防隊側に立てば、その心配はよく判りますが、人々の側に立てば、こんな絶好な機会は逃せない。ってことでしょう。

                                        淀君と秀頼自刃の跡はこの近くのはず、と探したが見当たらず
                   立派な石垣ですね。もしかして江戸城の石垣よりも、かも。