2011年12月29日木曜日

姪の子供

姪は二人目の子供が早産しそうで予防のため長期入院中です。妹は孫を預かって保育園の送迎をし姪の入院先を訪れる多忙な毎日。京都の帰りに豊橋で途中下車し妹と一緒に伊藤家の墓参りに行きました。その後、保育園へ妹の孫を迎えに行きました。少し時間が早かったようで、「おやつを食べてからね」とのこと。

待っている間、広い保育園の庭を散策しました。最近の充実した各種遊具や設備にびっくり!私は2年保育の幼稚園をたった1日で断固登校拒否、自宅引き篭もりした問題児です。こんなに恵まれた環境の保育園なら続いたかも?豊橋駅まで妹と孫が見送ってくれましたが、間近で走る新幹線のスピードに驚き、顔が引きつっておりました。

           私のためにピースサインを。可愛い作り笑顔はシャッターチャンスを見逃して残念

伊藤家菩提寺(愛知)へ

早朝京都を発ち、新幹線の豊橋駅で途中下車し愛知県伊良子岬の江比間の成道寺へ両親の墓参りに。10月に行われた両親の法事の際、家族21名で墓参して以来、2ヶ月振りの訪問です。我が家のお墓は穏やかな三河湾を望む絶景ポイント。幼い頃、夏休みに本家へ何度も子供達だけで滞在し海水浴をして叔父叔母に可愛がっていただいた、父の故郷です。

三河湾は内海のため波は穏やかで江比間の海岸は透明度が高く快適な海水浴場でしたが、近年はなぜか遊泳禁止とか。麦わら帽子に新品のマイわら草履を履き水着姿で浮き輪片手に本家を出て近くの川へ入り、蟹や魚を探しながら約200m下って海へ。50~69年前の懐かしい思い出です。

               成道寺とお墓の間に小川があり、右へ下ると江比間の海水浴場へ
            成道寺の本殿。先代の和尚様は法事のたびに亡き祖父母や伊藤家のルーツを

八坂神社(京都)へ

2日間で約10戸のマンションを見学の間に京都で出会った友人と八坂神社前の釜炊きご飯屋でランチを。元々はお米問屋だったそうで現在の主人は八代目とか。美味しかったですね!食後、八坂神社へ今年最後の参拝に。良いマンションが見つかりますように、来年京都へ移住しますのでよろしく!と祈願しました。

八坂神社は初詣参拝者を迎える準備が着々と。岡崎公園の名物桜見物や祇園祭の祭事のたびに何度も訪問し参拝した懐かしい思い出がいっぱいです。世界遺産の街京都で余生を送る決心をしたら気持ちがすっきりしました。京都住まいが始まったら、何度も参拝し、いつも通り健康と家族や友人の安全を祈ることにいたしましょう。

             四条通り突き当たりの西門。去年の大晦日は雪景色で門前は長い人の波・・

             本殿はすっかり初詣模様。多数の善男善女の願いを叶えてくださいませ

米原の雪景色(滋賀)

名古屋を過ぎたら曇天に、そして雪が舞い散る冬景色へ。関が原・米原周辺の冬は窓辺の風景を一遍させてくれ旅の醍醐味が味わえます。岐阜県出身の大物政治家大野氏が岐阜県に無理やり新幹線を通して以来、冬の新幹線はこの周辺の雪に悩まされ続けダイヤが大幅に乱れ、私も移動のたびに悩まされました。

が、最近の科学技術の進歩は目覚しく、たったの3分遅れで京都駅に到着しました。特に美しいのは竹林を覆う雪景色。こんもり重そうに積もった雪が何とも言えない風情です。顔を窓辺に寄せて過ぎ去る畑や工場や家々に積もった雪景色を楽しみました。ここに住む人のご苦労は申し訳ありませんが横に置いて・・・

                 竹林に積もった雪は左端に少しだけ。積雪約10cmってことかな
             米原駅で停車した線路に積もった雪。東京では最近滅多に見ないので心うきうき

晴天の富士山(静岡)

急遽ですが12月25日のクリスマス、京都へ出かけました。5月に東京へ戻って以来、3度目の訪問です。京都移転のために京都在住の知人に情報提供を依頼したら、24日のイヴの午後、3社の不動産屋からメールで10戸以上のマンション情報が。この目で見なきゃわからない、と翌朝、新幹線に乗車した次第です。

横浜を過ぎて少ししたら青空にくっきり浮かぶ富士山が。携帯カメラがピンボケでぼんやり富士になってしまいました。今年の初雪は例年より2週間早かったのに山頂の雪はまだまだ少なく、たなびく雲が絵に描いたようで、裾野まで続く稜線が実に美しい。最近は富士登山がブームになり大混雑とか。

     私が富士登山したのは24歳の夏。8合目の山小屋で仮眠し山頂から見たご来光がまぶしかったぁ

2011年12月21日水曜日

目黒雅叙園へ

映画の源氏物語を観たついでに目黒雅叙園で展示中の映画の衣装展に行きました。衣装だけ見るとやや地味な感じでしたが、平安時代の美しい時代背景の建物や小道具の中でなかなかの調和でした。映画の前評判もあまりよくなく水曜のレディースディなのに館内はガラガラで寂しい限り。

目黒雅叙園は昭和の竜宮城とも呼ばれる絢爛豪華な建物で東京都指定有形文化財の百段階段があまりにも有名です。雅叙園の邸内は昭和を代表する多数の工芸作家や画家の作品がてんこ盛りで私はあまり好きではない。この建物、一体誰が何の目的で造ったのやらネットで検索しても簡単に調べられないのはなぜ?

                 ここは雅叙園内部の喫茶店かな?和洋折衷でゴッチャゴチャ!
            朱赤の欄干風にクリスマスイルミネーション?この反対側が浮世絵なんだけど

源氏物語(映画)を

友人から源氏物語のチケットをいただき3日前観に行きました。前夜の寝不足のせいで映画が始まった直後から眠くて眠くて・・・ろくすっぽストーリーもままならぬ状態で同行した友人に申し訳なかった、と別の友人に話したら、行きたい!とのこと。本日2回目の鑑賞。色彩が美しく、現代っ子の生田源氏が格好よくてとても素敵でした。

源氏物語は若い時から何度もチャレンジしましたが、若い男がアチコチの女性に恋をして、他にやることがあるだろ!と途中で憤りを感じて読破できなかったけれど、この映画は京都好きな私にはうってつけでした。衣装はやや控えめでしたが屋敷や小道具類が華やかで平安絵巻が観られて良かったぁ!

                チケットを撮影したけど中々のイケメン源氏。女性陣はイマイチだね

2011年12月17日土曜日

クリスマスツリー

先々週に続いて2度目ですが、ゆりかもめに乗ってホテル日航東京へ食事に行きました。このホテルの窓からライトアップされたレインボーブリッジが見え東京湾の向こうに大小のビル群の灯りが煌いてとても美しい光景です。食事中のレストランの窓の外には、ゆりかもめが湾曲しながら暗い夜空を走り迫ってくる様がまるで銀河鉄道のようでした。

私の子供時代は戦後まもなくの昭和20年代のことでキリストの生誕を祝うクリスマスの習慣はほとんどなかったような気がします。暮れ行く災害のこの年、東京の夜景を彩るイルミネーションは随分減少しました。12月のただ今は真冬です。二人の若い同行者は寒くて暗い夜空で当たり前との発言でひと安心。
      
                 フロントで輝くクリスマスツリー。訪問者の数も心なしか少ない
              ホテル前のイルミネーション。ピンボケなのかLEDの数が減少したのか

2011年12月5日月曜日

皇居前広場へ

久し振りに皇居前広場へ行きました。たまたまメトロの二重橋駅で降りたので、青空の下、皇居方面へ向って歩きました。人影はまばらで警備のお巡りさんに二重橋の位置を確認したら、ここからお堀に沿って歩いてください、少し距離があります、とのことで即中止。代わりに拮梗門と坂下門へ行きましたが本日は通行不可、とのこと。

最近、女性宮家の承認や女帝問題がマスメディアで囁かれていますが、宮家1家で5000万円の経費だから高くない、と論じていた識者がいましたが、宮内庁勤務者や皇居や皇族の警備者数を数えたら、結構大きな経費になるのでは?と思うのは私だけでしょうか?私の意見は、神武天皇陵など宮内庁管轄の墓所は全て研究者に開示し、管轄は文科省とし、不要な資産は仕分けして売却すること。また政治家のように全ての資産を公開すれば、天皇家と宮家を3つ程度、存続してもいいかな、と思います。

       石垣のカーブはお見事。築城400年とは思えない。途中の補修工事で凸凹をシャープに削ったか?
             広大な森の手前が皇居前広場。歩けども歩けどもといった感じでかなりの広さ

冬の名物イルミネーションへ

新宿駅東側アルタ前広場には、美しいLEDによるイルミネーションが点灯していました。青いライトが冬の夜空に幻想的な風景を作って実に美しい。不景気にも関わらず新宿駅前の雑踏は相変わらずの賑わいでした。イルミネーションは1年の締めくくりと新しい年への願いを込めるにはうってつけです。

表参道のイルミメーションは今年、ケヤキの本数を減少したそうです。本日は日曜日のためか、想像以上に若者の姿が多くてビックリ。点灯時間もPM6:20~9:30までと短縮されたようです。明治天皇崩御後、明治神宮を建設し表参道に人工的に植えたケヤキの並木道にはブランドショップ店が個性豊かにウインドーを飾り、まさしく一見に値する風景です。

                    新宿駅東口アルタ前のイルミネーション。計3本の1本。
              右端の1本。心なしから真ん中の木よりもLEDが少ないようで寂しい



西新宿超高層ビル群へ

2階建てのキティちゃんバスに揺られて西新宿の超高層ビル街をゆっくり見物しました。西新宿のc超高層ビル群は勤務中に何度も見慣れた風景ですが、専門のガイドさんに改めて1棟づつ説明してもらうと一味も二味もビルの景観が異なって見えます。2階建てバスは天井がないため風が顔や頭に当たりますが、今夜の東京はそんなに寒くなく心地よかったです。

約30数年前、私は西新宿の十二社通りに住んでいましたが、新宿中央公園東側のファイアットホテル横から新宿駅に向かって歩き、住友ビル・三井ビルを抜けて新宿センタービルの43階に勤務先がありました。当時も現在も新宿駅西口はまさしく未来空間です。あれから長い年月が流れましたが、次々と新しい高層ビルが建設されました。

     2階建てバスから撮影した元勤務先のコクーンタワーは一際目立つ
                    
           街路樹のケヤキの枝葉の間から見える東京都庁。天井なしのバスから撮影
              

はとバス(キティちゃん)に乗車

新宿東口駅前のアルタ前から出発する2階建てのはとバスに乗り、東京摩天楼コースを堪能しました。出発時間が夕刻の4時だったため、新宿駅に戻った時はすでに暗闇でしたが、所々でイルミネーションがキラキラ輝き、冬の東京の優雅な風景を2階建てバスの高い場所から観光しました。

コースは西新宿の高層ビル街を抜け代々木から表参道を通り青山通りを左折して東宮御所や赤坂御苑の前を走り四谷から新宿へ戻るという1時間コース。乗客は極めて少なく約20人とのこと。表参道と新宿界隈は日曜日のためか歩く人が多く大渋滞が延々と続きました。キティちゃん柄の2階建てバスはとても目立つようで、アチコチから手を振られたり写真を撮られたり・・・

       たった1台しかないキティちゃんバス。若者や外人さんまで実に多くの人が興味深々の様子

2011年12月4日日曜日

茶道会館へ

高田馬場の茶道会館で開催された紅葉茶会に参加しました。10月、鞍馬の火祭へご一緒した東京そして京都の皆様達6人です。茶道会館は昭和25年に完成。設立目的は戦後の荒廃した精神的に不安定な状態の中で心の落ち着きを見出そうと戦国古来からの茶の湯の伝統ある茶道を広く普及したいという理想で建設されたそうです。

茶道会館のお茶会は、私が京都在住中に出会った方のご縁で訪問しましたが、昨年以来すでに3回目のお茶会です。まるで京都に戻ったような錯覚を覚える静かで心が豊かになる空間です。茶室の数は20室以上、敷地面積は1,500坪とのことです。

               紅葉茶会はお濃茶・薄茶・香道など多数の席があり、紅葉真っ盛り
              一緒に茶道会館のお茶会に参加した着物好きな友人達。華やかですね

メディアタワー(共同通信社)へ

若い女性の友人2人に誘われて汐留の共同通信社へ社会見学に行きました。共同通信社は敗戦後の1954年創業以来、国内海外のニュースを取材編集して、NHK・民間放送局・海外メディアに対してニュース配信しています。日本語・英語・中国語・韓国語・朝鮮語でも配信し、アジアに軸足を置く、日本を代表する総合国際通信社です。

東京都港区に本社を置くメディアタワーは汐留を代表する高層ビル。各フロアは専門分野別に区切られ、各階に4面のフロアがあり、中央には4つの機能的な階段が配置されています。共同通信社は、世界の平和と民主主義の確立、そして人類の幸福を念願してニュース活動を行っているそうです。

                   開発が進む新橋駅前汐留界隈の交通道路は迷路のよう

2011年11月29日火曜日

湯島聖堂へ

神田明神を出ると重厚な塀に囲まれた建物が目に飛び込んできました。聞けば湯島聖堂とのこと。徳川時代5代将軍の綱吉は孔子を祖とする儒学の振興を図るため、林羅山を向かえ、この湯島の地に聖堂を創建したのが由来とか。およそ100年後、幕府直轄学校として世に名高い昌平坂学問所を開設し全国の諸藩から有能な人材を結集したそうです。

明治維新後には新政府直轄となり文部省が置かれ、240年に及ぶ学問所の幕が降りたそうです。京都の神社仏閣は拝観料を支払って説明書を配布し、寺社内を見学させてくれますが、関東では拝観料の習慣がなく、建築物の外観を眺めるだけ。京都よりも気軽に訪問できますが、由来や起源や縁起が書かれた門周辺の説明板をよく読んで見学しないと、何が何だかわからないまま帰ることになります。

               総門は重厚な造りだが空襲で消失し鉄筋コンクリート造りへ変貌
                                    
             湯島聖堂は元禄時代に創建された孔子廟だが日本の学校教育発祥の地

神田明神へ

神田の歯科医院へ通院してすでに7年目。10月2本のインプラントを入れましたが、通院のついでに神田明神を参拝しました。正式名称は神田神社とのこと。神田・日本橋・大手・丸の内の氏神様だそうです。創建は730年で約1300年の歴史を持ち、江戸東京の神社の中で最も古い神社のひとつです。

神田祭は江戸東京を代表する賑やかで壮観な祭礼で天下祭とも呼ばれ、江戸時代に徳川幕府や庶民の絶大な支援を受けました。祭では勇壮な山車が出され、曳き物・仮装行列などの附祭も出され、神輿は江戸城内にも入って徳川将軍が上覧した由緒ある祭礼だそうです。

               隋神門は総檜造りの入母屋造りで左右に隋神像を奉納安置
           右は御社殿で神社建築としては画期的な権現造りの鉄筋コンクリート総漆朱塗

渋谷の雑踏へ

渋谷の東急ハンズへ行きました。実は私、渋谷駅周辺の地図が全く頭に入っていないのです。渋谷駅のハチ公口改札からスクランブル交差点を渡って東急ハンズへ行くのですが、緩やかな坂道を曲がりくねって登るうちに到着し、帰りの渋谷駅までもわざわざ別の道を歩くようにしています。だから地図が頭に入らないのは当たり前。

方向感覚をたよりに適当に歩いて、この街の雑踏を緊張しながら歩くのですが、今回は朝10時過ぎの渋谷訪問だったため、シャッターが半開きの店も多く若者の姿も少なく、なぜかとても新鮮な印象でした。毎回、渋谷を歩いていると、この街は私を拒否していると感じていましたが、朝の雰囲気はなかなかで、悪くありません。

            バカバカしいくらい、あっけに取られるような色彩の氾濫ですが、なぜか美しい
         スクランブル交差点を渡って道玄坂へ。中央のビルが有名な109。この地のケヤキも紅葉して

新橋駅へ

JR山手線の新橋駅は、東京駅の2個手前の駅。所要で降りましたが、この駅の西側へ行ったのは初めてです。駅前広場には機関車がデ~ンと座っておりました。汽笛一声新橋をはや我が汽車は離れたり愛宕の山に入り上る月を旅路の友として、を思い出しました。明治5年、日本初の鉄道が新橋駅から横浜駅まで開通した場所です。

明治22年には新橋駅から東海道線が神戸駅まで全通し日本国土の重要幹線として開通したそうです。新橋駅は東京側のターミナル駅として東京駅開業まで重要な役割を担っていました。当時の新橋駅舎は堂々たる赤レンガ造りで、現在の駅舎は2代目とのこと。簡素そのものです。

       駅前広場の蒸気機関車。ティッシュ配りの若い女性やサラリーマンは誰も機関車を見ていない
                夕刻、帰宅途中のサラリーマンがマスコミの取材に答えている場所

2011年11月25日金曜日

目黒川の紅葉

我が家近くの目黒川の桜並木が紅葉の身頃です。モミジの紅葉とはもちろん大違いですが、よく見ると柿の実のような赤さの紅葉です。桜の葉もこんなに赤くなるのか、と思うほど美しい紅葉。目黒川の桜並木は川の内側に大きな枝を伸ばし、4月、桜の花が満開の頃はとても華やかな風情です。

目黒川は世田谷区・目黒区・品川区を流れ天王洲アイル駅付近で東京湾に注いでいます。大橋から目黒まで全長約3.8km830本のソメイヨシノが植えられています。若木も老木も一様に枝を川面や岸辺に張り出しています。川の両岸の歩道は人々の憩いの場であり、散歩やウォーキングに最適な空間です。

     夕方川面を眺めると川が逆流している風景に驚かされる。東京湾が満潮時にここまで登ってくる
目黒川の真ん中に見える高層マンションの最上階にキムタクと亀梨君の部屋が

2011年11月22日火曜日

北里病院へ

私の罹りつけの北里病院は1ヶ月に1回必ず通院する必修な場所。京都滞在中も月に1度東京へ戻り、北里へは薬の処方と診断のために通院していました。懸かりつけ医の女医さんは親切で優しい方。専門は循環器ですが、今回は内科全般と皮膚科、整骨まで幅広く診察していただきました。信頼できるお医者が身近にいるのは、とても安心です。

今回の薬は血液さらさら剤・降圧剤・整腸剤・骨祖しょう症薬・睡眠剤・60肩の炎症止めで計10種。他に漢方薬の下剤・蕁麻疹薬。なんとまぁ、私は薬漬けの毎日。身体の弱いこの体質は母親ゆずりで薬はわが生涯の永遠の友。軟弱体質の私がここまで生きてこられたのも薬のおかげです。さぁ、今朝も新しい蕁麻疹薬を求めて新橋の北里病院クリニックまで。

           北里の入口から本館までの通路に今、南天のような赤い実が満載の街路樹が
            予約制で大病院ではない丁度よい設備の北里病院。北里柴三郎記念館も併設

2011年11月16日水曜日

紅葉の目黒川へ

約3週間前前から顔や首に蕁麻疹が出て私は大ピンチです。何かに当たったのならすぐ治るとほおっておいたら一向に治らない。大して痛くもないし痒くもない。やたらに顔が赤らんでニキビのような赤い発疹が顔中に出て、管理人さんや同マンションの知人から「あら!どうしたの?顔が変わっちゃったね!」なんて具合で・・・

皮膚科へ行ったら抵抗力や免疫力の低下から起きる蕁麻疹で完治までに約1ヶ月とか。むむむ・・・リンゴちゃんのような赤い頬が約3週間。これでは自宅引きこもりしか仕方がない。治ったかなと思ったら、唇周辺が腫れてピリピリ。困ったなぁ、この間何となく身体がだるいし、TSUTAYAのDVDを見ながら自宅でチンタラぶらぶら。いつまで続くのやら。

                  散歩道の目黒川沿いの桜はすっかり紅葉して綺麗
                   同マンションの人と3人でお散歩。済んだ青空が美しい

目黒美術館へ

友人から送付されたチケットで秋岡芳夫展を見に行きました。我が家から徒歩5分の至近距離にある目黒美術館で開催中。秋岡氏は目黒区在住で、モノへの思想と関係のデザインを追及した童画家・工業デザイン・生活デザイン・木工家・プロデューサーなどなど活躍分野は多彩で、伝統と現代を融合させ多くの人々に影響を与えました。

戦争から帰った後、しばらくは画家として暮らしたが、友人二人と工房を立ち上げ、ラジオキャビネットやカメラ機器・家電製品などの工業デザインで実績を積み、メカに精通したインダストリアルデザイナーグループとして高度成長期の中、実に多くの作品を残した。やがて消費の時代が到来するといち早く消費者から愛用者へをテーマに良い物を永く使おうと木や手つくり作品を推奨し、手の復権を主張したそうです。
               
           緑豊かな目黒区営公園の中の目黒美術館。多数の区営設備が周辺に建ち並ぶ
               豊かな発想力で常に人々の生活に密着したデザイン分野で活躍



2011年11月7日月曜日

VOGUE Cafeへ

国立新美術館内に有名なレストランとカフェがあります。名物は主要な展示作品と雑誌VOGUEとのコラボによるコース料理(5,250円)やケーキセット(1,500円)が有名です。広い天井にそそり立つ3Fと2Fの空間は一人で入るにはやや勇気が必要なほどおしゃれなスペース。今日は若い友人と一緒だったため、初来店しました。

「モダン・アート、アメリカン展」のチラシに使用されたジョージア・オキーフの作品がモチーフ。このカフェのパティシエは毎回、きっと楽しんで創作ケーキ作りをしていると思うけど、う~んでもねぇ、これが京都の和菓子職人が作った作品ならば、きっと私は拍手喝采すると思うけど、何というか、この洋菓子はかなり雑で品がないし深みもないなぁ・・・パティシエは実際の作品を見てるのかな・・・

        「葉のかたち」と題した約15号の作品。チラシの表紙に使用された力強い珠玉の一品
                  実際の作品の持つ品性や感性に欠けると思いませんか                              

モダン・アート、アメリカン展へ

六本木の国立新美術館へ、モダン・アート、アメリカン展を見に行きました。1921年、アメリカの首都ワシントンからほど近い一角にアメリカで初めての近代美術館として設立されたフィリップス・コレクションの一部公開です。創設者のダンカン・フィリップスは裕福な家庭に生まれ、美術への関心を高めながら妻と共に膨大な絵画から始まった収蔵作品は現在では3000点に及ぶとか。

19世紀後半から20世紀前半までの今回のアメリカン・アート、コレクションは私にとってやや意外な作品ばかり。もしも私がアメリカに住む画家であればこの種の絵は描かないでしょう。裕福なコレクターであっても収集しなかったでしょう。私が約40年前から何度も渡米し、眼に焼付いた広大で自由なアメリカが感じられない。フィリップスご夫妻と私の審美眼にかなりの相違があるようです。

        黒川紀章氏設計の国立新美術館は国内最大級の展示スペース(14,000㎡)を持つ
               この建物はどの角度から見てもどのカットを切り取っても美しい

2011年11月2日水曜日

花が届いた!!

誕生日でもないのに、お花が届いて凄く嬉しい!!花をいただくのは定年退職した時以来のこと。私は在職中、講師に花を贈ったり花束を持参したり・・・若い時は花束娘、年齢を重ねてからは花束オバサンを何度も経験しましたが、自宅に花が届くなんて、滅多にないことで、自然に頬がほころんで・・・

贈主はご親切で礼儀正しい若い友人。お心遣いをいただいて感謝!感激!!10月下旬から約2週間、なぜか蕁麻疹のブツブツ赤い発疹だらけの顔で痒くてうっとうしい毎日でしたが一度に心が晴れ晴れと。先ほど、エレベーターであった同マンションの人から、赤い顔でどうしたの?顔が変わったよ!と言われちゃった!あーあ、今回の蕁麻疹には参りました。早く治りますように。

                    最近は生花でも植木鉢で配達されるんですね
         キッチンのコンロの上に鎮座。横はドライフラワー、後ろはオノサトトシノブさんのエッチング

蕁麻疹で憂鬱な日々

爽やかな秋日和が続いているのに、私の顔は約2週間前から蕁麻疹の湿疹だらけ。こんな体験は初めてです。おまけに3日前、小さな湿疹ができた唇を大口開けてインプラント手術(2本)した結果右頬がふっくらし青タンも少々。若い時はニキビも出来なかったのに、現在の私は赤ら顔で痒くてむさくるしい。4日血液検査結果が判明するそうですが、早くなんとか・・・

60歳を過ぎると身体のアチコチに変化があって、さあ大変!老化現象というのは加速的です。これは誰しものことですが、聞けば、小水が近く念のためオムツが必要という人や、転んで怪我することも多くなった人も。私のように子供時代から病気三昧で、医者に1年間無縁だったことが無い者はこれから先、どんな病気が襲っても受けて立つしかないわね。ドンと来い!の心境です。

               お洒落でいつも賑やかな原宿駅。駅の向こうの森は明治神宮

2011年10月26日水曜日

鞍馬の火祭(京都)へ

22日から1泊して、時代祭と鞍馬の火祭を見るために、多数の友人知人(計14人)と京都へ行きました。当日の天気予報は雨模様でしたが鞍馬の火祭は決行されました。毎年10月22日に実施される鞍馬の火祭ですが雨天の催行は20年ぶりとのこと。途中で土砂降りの雨に見舞われ、濡れ鼠になりましたが、鞍馬寺境内の料理屋さんの特別席に招かれて、至近距離から約4時間余、じっくりゆっくり鞍馬の火祭を楽しみました。

大小の松明が鞍馬寺の由岐神社へ向かう行列の通る道は狭く、観光客は立ち止まってはいけないそうです。私が京都在住中に知り合った鞍馬寺にご縁の深い友人のおかげで、特別席で京料理を食しながら鑑賞しました。この火祭は約1100年の歴史があり、雅な祭が多い京都で唯一の勇壮な祭で、燃え上がる火花と鞍馬の人々の心意気に大感激でした!

              今年4回目の鞍馬寺訪問。本殿を初めて写真に撮ることができました
                松明を奉納する勇敢な男性達。背中に火傷ができるのも暫しのこと
               祭が佳境に入った9時過ぎに山門前から私達の目の前に運ばれた

2011年10月25日火曜日

花井幸子先生コレクションショー

花井幸子2012春夏コレクションを友人達と一緒に見ました。今回のショーは着物・洋服の2部構成で、実に華やかでした。会場は超満員。先生のコレクションを初めて拝見したのは、約40年前のことでした。以来毎年、ほとんど欠かさず観覧させていただいております。花井先生のコレクションは上質な大人の女性のための装いを、見事に表現されています。

初めてコレクションショーを拝見した時、私は20代の後半でしたが40歳になったら花井先生の着物や洋服が着こなせる女性になりたい、と大きな目標を立てました。60代後半の今になって考えると、
無理!!大人の女に成れなかったな!!と反省。私はいつも花井先生のコレクションを見終えると、上等なコンサートや映画を観たような幸せな感動を覚えます。

                            1部の着物コレクションショー。日本には美しい伝統的な衣装がありますね
               2部の洋服のコレクションショーのフィナーレ。先頭は花井先生ですよ