2013年5月29日水曜日

満月酒宴へ

若い友人主催の満月酒宴に出席しました。この催しは隔月の満月に開催。会場は毎回京都の有名料理屋やレストランのため京都新参者の私には会場廻りも楽しいイベントです。企画趣旨は世界のアチコチで紛争やテロが起きているが、せめて満月の夜は世界中の人々が争いごとをやめ満月を見ながらお酒を飲み親交を築く場にしたいとのこと。

第4回目の会場は故日本画家の邸宅が現在はイタリアンレストランに。広大な日本庭園に大小の日本家屋が点在しグループ毎に食事を楽しむ粋な場所。お酒は伏見の江戸時代から続く老舗造り酒屋の「山本本家」のご厚意で各種飲み放題。おかげ様で会場で親しくなった若い人達と来年1月酒蔵見学とランチに行く約束で盛り上がりました。

            ねねの道の南端に位置し入口からは想像を超える広大な庭園と日本家屋が
              暮れなずむ東山山裾の豊かで静寂な世界。搭はお隣の高台寺かも?

2013年5月25日土曜日

吉川よしひろコンサートへ

吉川さんはフリーチェロリスト。国の内外で大活躍の演奏家です。PM4:30から前出の光雲寺でコ演奏会を拝聴。本堂内は天井が高く真四角に近い空間で抜群の音響効果でした。国宝級のご本尊様、女性天皇に就任時の冠姿の明正天皇様、奈良時代の仏様の御簾が全て開かれ、美しいお顔を拝見しながらの有難いコンサート・・・・

吉川さんの演奏は斬新で想像を超えるサウンドでした。クラシック・民謡・子守唄・オリジナルなど90分間の夢のような時間でした。リアルタイムで自分の演奏を録音し即それを再生し、その上に即興演奏を繰り広げ、1人で演奏しているとは思えない革新的なコンサートでした。私の涙と坪にはまる曲が2曲続き、涙ぽろぽろ。
 
              こんなに大泣きしたのは何年ぶりのかしら。皆様、来年はご一緒しましょう


2013年5月24日金曜日

光雲寺へ

友人のご厚意で非公開の光雲寺を参拝することができました。東山山裾の南禅寺の搭頭で臨済宗の禅寺です。ここは東福門院和子の菩提寺とのこと。和子は徳川2代将軍秀忠とお江の5女。14歳で後水尾天皇の皇后として入内し天皇亡き後、娘は奈良時代以降850年ぶりの女性天皇に就任した明正天皇です。

和子と娘は徳川家の磐石な体制固めのため天皇家と徳川家を結ぶ重要な役割を担ったことでしょう。現在の寺は小規模ですが燐とした佇まいで格式の高さが伺え御門を入ると葵と菊の紋の入った垂れ幕が目に入る。重厚感に溢れた瓦は家康の生家岡崎を含む有名な参州瓦でした。和尚様のご厚意で明正天皇寄贈の釣鐘を突く機会を得て光栄です。

東山の新緑の樹木が間近に見える光雲寺。哲学の道の西側にひっそりと
             御門を入ると豊かに実った梅の美がいくつも。美味しい梅干になるでしょう

2013年5月23日木曜日

卒業50年記念同窓会(愛知)へ

我が故郷の県立甲府高校を卒業50年記念同窓会懇親会に出席しました。その日は雨。体育館で校長・市長・来賓挨拶、収支報告発表、校歌斉唱も厳かに。ランチのお弁当を食べながらステージに耳を傾け久し振りの友と語らい、しばしの再会。記憶の端に片付けたままの、知らないオジサン・オバサンとご挨拶。

「覚えてる?」と聞かれた人も「知らない!」と首を振るばかり。「引っ込みじあんだったからゴメン」と言い訳したら隣の親友から「嘘ばっかり!引っぱたくわよ」と茶々が。 中学高校時代は男性からむやみにモテタから怖くて廊下・通学電車は窓外を見て顔を見ないように。高校の思い出は何と言っても美術部の部活のみ。楽しかったな!!

                 同窓会が開催された体育館。同級生の顔と名前を忘れた人も
            懇親会が実施されたホテルの大宴会場。合計170名が集合とか。歌ったり踊ったり

八丁味噌煎餅(愛知)

八丁味噌はご存知愛知名産の渋みのある濃厚な味噌です。実際は赤味噌よりもやや濃い色で我が三河地方では「黒味噌」と称しておりました。豊橋駅で土産を探していたら「八丁味噌煎餅」をキヨスクで見つけました。この煎餅知らないなー!多分近年の産物でしょう。ゆかりやあさり煎餅をやめ八丁味噌煎餅をご購入。

まずは食べて見なけりゃ分らない。黒味噌色の濃厚な煎餅?と予想しましたが何のその。普通の煎餅の表面に味噌かもしれない狐色が少々。1枚をソロソロと、そしてパリパリと。良かった!美味しいじゃない!1枚2枚で終わらず次々と約10枚?食べ終わっても口の中にほのかに甘い味噌の香りが・・・

                三河地方の豊川の皆様もご賞味を。メーカーは蒲郡(株)三平本舗



2013年5月22日水曜日

墓参り(愛知)へ

今年初めて妹と一緒に両親の墓参りを。愛知県渥美半島の江比間のため、豊川の実家から往復3時間の遠い場所。江比間は父の故郷です。私から5代前の先祖がかなりの資産家に。3代目の祖父が33歳で早世し事業は没落。江比間に我が家の墓のみ残った次第です。我が家の墓は穏やかな三河湾を見下ろす絶景の見晴らしです。

没落直後父(7歳・次男)は債権者が家財道具一式に赤紙をベタベタ張り全て目の前から運ばれた記憶があるとのこと。廊下に3棹の長持ちがあり多数の掛軸が入っていたが残ったのは「駄作のこの1本」とは父の弁。父は老後の家を新築時、床の間に駄作の掛軸を掛けました。父が両親から受け継いだ唯一遺品です。

         瓦屋根が成道寺。曽祖父は明治の再建時多額の寄付をし今も名前が掲げられている 
              穏やかな内海の三河湾。渥美半島と知多半島に抱えられ豊富な海の幸が




2013年5月18日土曜日

KIMONO BEAUTY展(奈良)へ

奈良国立美術館で開催の「着物ビューティ展」へ。徳川時代末期ペリー来航によって半ば脅しで日米通商条約を締結。日本は明治維新に向かって大混乱が始まり近代国家の明治がスタートした。この直後、日本へ渡航したアメリカ人は数知れず日本の美術品を買い求めたが、木・紙・布の繊細な美術品を腫れ物に触るような丁寧さで保存したようです。

富豪のアメリカ人が日本の美術品の神秘的な魅力に惹かれ多数を収集し自国へ持ち帰り、後にボストン美術館へ寄贈しました。浮世絵・着物・仏像・日本画・屏風・・・今回出品の着物は江戸時代の豪華な内掛け約20点を含む30点。審美眼の高い上質な着物達にうっとり見取れましたが。保存状態の素晴らしさは驚嘆するばかり。

                  KIMONO BEAUTY展は6月2日まで開催。大阪市立美術館でボストン美術館も開催中

2013年5月17日金曜日

南円堂(奈良)へ

興福寺境内の南円堂へ。寺院なのに神社のように鈴(ドラ?)を鳴らして参拝するため私の頭は疑問を抱えて50年。すべからく日本の神社仏閣の正面は南向きだが南円堂は東側から参拝するのも2つ目の疑問。しかしながら、特別公開中の堂内には金色に輝く大きな阿弥陀如来様が南向きに鎮座していました。

創建時の南円堂の参拝は南側からだったはず。猿沢の池も興福寺境内だったのかも? 全盛期の興福寺と東大寺の僧達は仲が悪く争いの一端で若草山の山焼きが始まったと記憶しており、興福寺は江戸末期から明治初めには廃寺のような様相だったとも。阿弥陀如来様はなんと仏師康慶(運慶の父)の作でした。

                写真は南円堂の東側。堂内の特別公開のためか参拝者は多かった
                    阿弥陀如来様も撮影不可のためポスターをバシャッ!

興福寺(奈良)へ

五月晴れの中、春日大社から西へぶらぶらと。行く先には猿沢の池と興福寺が。小学校の修学旅行で初訪問以来、何度目の猿沢の池だろう。50年以上前から現在まで緑色に濁った池には多数の亀が泳いだり甲羅干しをしたり。亀は万年だから初めて見た時の亀が元気で生存しているのかも。

興福寺の宝物館には人気者の阿修羅像が。3年前東京国立博物館で紹介されて大評判となり日本中の人々を魅了しています。東大寺の大仏様を建立した聖武天皇の光明皇后が阿修羅像を造らせたとか。若き美少年が優しく苦悩した顔は何を祈ろうとするのか。体内は空洞で軽いため火災のたびに抱えて無事避難したようです。

           池の向こうは4年前に創立100年を迎えた奈良ホテル。旧館はオバケが出るそう
                    阿修羅像は撮影不可のため下記はポスターをパチリ!!

春日大社(奈良)へ

春日大社は奈良時代に勢力を拡大した藤原氏の氏神様。若草山の麓の深い原始の森の中にあります。参道には石灯籠がずらりと並び奈良を代表する神社で私は大好きです。伊藤家は多分、伊勢地方の藤原氏の流れだと思うので、勝手ながら春日大社は我がルーツの神社としての敬い心も!

境内に「砂ずりの藤」という著名な藤が。藤棚から藤の花が長く伸びて境内の砂にすりそうな・・という意味。日本舞踊の藤娘や着物に描かれた長い藤の花を目の当たりにと勇んで出掛けたが、私が参拝日はやや散り始めで今年の最長は125㎝とのこと。藤棚の位置はとても高く私が手を伸ばしても届かないので藤が砂に着くとは大げさな。

                  散り始めとはいえ、端っこの棚の藤は今が盛りの満開!
           春日大社本殿。境内は広大な森だが神社は小さい。右側の森には藤の花が多数

キャンディー(パリから)

写真はパリ在の友人土産のキャンディー。カラフルでいかにもパリらしいキュートな飴でした。表面はカリカリのキャンディーで中はゼリー、美味しかった。東京大学に留学中、美味しい天然氷を求めて日光まで出掛けたほどスィーツに目がない友人の選択眼はさすが!!私も昨年パリで2種のキャンディーを土産に購入。

試食しなかったので多少の不安があったが、2種とも安価で甘みもほど良く美味しかった。高齢になると喉にイガイガ虫が住むため咳が出やすく飴は必携品です。2年前から私のバッグにはいつもキャンディーが。4月東京から京都へ花見に来た友人から栄太郎飴を頂戴。この飴の味、懐かしかったなぁ。

             大学の講義仲間や馴染みの喫茶店友達やご近所の子供まで大好評!

東寺へ

平安京の南側に位置する東寺へ。当初は西寺もあったが火災で焼失し現在は記念碑のみ。東寺は建立間もない頃、弘法太師空海が都の平安を祈願して密教を広めた寺です。遣唐使として中国長安に留学後、神護寺他を得て東寺へ。子供の頃の私は空と海をつなげて空海と名乗った弘法太師の命名力にびっくり仰天!!

秀才として誉れの高い弘法太師は2年間の留学で最新学問の密教を全て習得し持ち帰りました。その中に2枚の曼荼羅が。密教布教のために十二神将を立体曼荼羅仏像として分りやすく解説したそうで、どの仏様も優しさや威厳に溢れた表情です。東寺を1番先に参拝し、四国八十八箇所の寺院参拝後、高野山を訪ねるのが正しい順路とのこと。

ザ・京都を表す写真に必ず登場する東寺五重塔。地震で壊れたことは1度もなく構造が東京スカイツリーの参考に

2013年5月15日水曜日

伏見稲荷大社へ

今回で4回目の参拝です。東京から友人が来たので京都の友人と一緒に参拝。実家の豊川稲荷の鳥居は地味なコンクリート造りですが伏見稲荷は真っ赤な鳥居が象徴的。それに鳥居の数が半端じゃなく多いのです。奥の院までに左右の道がありその後ろの大きな山の参道の全てに寄進された鳥居が建っています。

いつ訪問しても赤い袴姿の巫女さんが見られていかにも神社らしい。 名物は雀の丸焼きと稲荷煎餅と稲荷寿司と稲荷うどん。京都の友人が買ってくれた稲荷煎餅を食べましたが豊川の稲荷巻き煎餅よりも香ばしくてかなり美味しかったです。平日のため観光客が少なく、ゆっくり参拝できたのが何よりでした。

                南側の正門から見える楼門。その奥は舞殿と本殿。右側に能楽堂
              サスペンスドラマで馴染みの朱の鳥居。裏側には寄進社の名前と年月日が


2013年5月7日火曜日

城南宮へ

平安京の南の玄関口の鳥羽は平安時代末期に上皇や天皇の離宮が多数建てられ4代に亘って院政が引かれた所とのこと。鴨川と桂川の合流地でもあり、港のある大阪から淀川を通して物資が集まる豊かな景勝地として栄えた場所です。城南宮へ最初に参拝したのは紅白の梅の花が満開な頃でした。

京都では家を新築する時、無事完成を祈願する神社として深い信仰を集めているそうです。今回参拝した日の2日前、平安時代の衣装冠位束帯や十二単を来た現代の歌人や書家が優雅な「曲水の宴」を再現したとニュースで見ました。庭園内を流れる小川に杯を流し自分の前に杯が届くまでに歌を作り読み上げる遊びです。

             源氏物語に登場する平安時代の植物が植えられているのが城南宮の庭
               ツツジがまさに満開で築山が美しい。藤棚には豊かな房の藤の花が

友人宅へ

「ぶぶづけでもどうぞ!」と言われても絶対にお宅へお邪魔してはいけないよ、とは京都へ転居する前に多くの友人知人に言われた言葉。しかしながら私は連休中に友人宅でランチをご馳走になりました。なんとランチなのに懐石料理です。私が知り合いになった京都の友人達は正真正銘の奥様です。

「出汁は鰹節と昆布でとって子供に食べさせれば良い子が育つ」という彼女達の出汁談義に「?」と思いつつ「食べさせて」と図々しく頼んだらアッサリOKが出たのは3年前。「自宅の桜のお花見を」と誘ってくれた友人もいます。着物をとことん愛し茶道や華道に精通し料理は家族のために手を抜かず料亭並みで恐れ入りました。

                         手際よく机に並んだ料理の数々。この後も揚げての天ぶらや旬の惣菜が次々と






平城京(奈良)へ

京都から近鉄奈良線の特急で奈良駅へは35分の至近距離です。途中で西大寺駅に止まりますが発車直後に広大な平城京の緑地が続きます。平城京の跡地は少し前まで農地でしたが3年前の2010年は平城遷都1300年のため、奈良市と奈良県が買い取り整地して平城京を再興しました。

奈良は高校時代に美術部の合宿を行った懐かしい場所です。著名な神社仏閣は広い県内のアチコチに点在していますがほとんどを廻ってスケッチした。今もお寺を訪問するとスケッチのために座り込んで仏像や建物を描いた場所とコンテ絵が思い出されます。奈良は50年前の高校時代の記憶のまま変化がありません。

                            真ん中よりやや左の高い建物が大極殿。2階建てで昇ると眺めは抜群




二月堂(奈良)へ

春うららかな東大寺二月堂へ。3月初旬約10日間に渡ってお水取りの火祭りが行われる場所。私は近年2極寒の寒さの中お水取りに通ったが、今回は二月堂の宿坊にて東大寺のお坊様の法話を。落語家さん顔負けの楽しい話で内容は何だっけ?ここは以前ワイン茶会と古代食をいただいた場所

二月堂はお水取りの時期お堂の中でお坊様が厳粛な修業を行っています。日本海の若狭湾から水を汲み奈良東大寺二月堂へ運んで荘厳な修業が始まるとか。男手のいない戦時中も一度も途切れることなく1250年以上延々と続けられた修業とか。NHKのドキュメンタリーでほの暗いお堂で修行中のお坊様を見た記憶が・・・

                  東大寺には120以上の堂塔があり二月堂は最も高い場所に
              二月堂横の宿坊の障子を開けると奈良の町が。左手の三角屋根が大仏殿



東大寺(奈良)へ

ご存知、聖武天皇が天下安寧を願って建造の東大寺へ。国家鎮護として全国各地に国分寺を設置。その象徴として建造した大仏は今年で開眼1270年祭。京丹後縮緬の織り元の友人夫妻が天平絹を再現し聖武祭へ献上して今年で30年の節目に当たります。東京の友人を交え厳かな式典へ参加しました。

風薫る5月奈良は新緑に覆われ清々しい季節。平城京の奈良時代はたった84年間と短いのに、その後の京都の雅な影響を一切受けず太古のイメージの静かな佇まいが心落ち着く場所。東大寺の大仏開眼時、遠くはペルシャからの遠来の客が持参した多数の献上品や式典に使用した品物が1270年間東大寺に多数保管されているのは驚異的。

5月なのに肌寒いまほろばの奈良。大仏殿は江戸時代の再建だが実際の2/3とか
            顔から上は江戸時代の再現。四角いお顔だが創建時は丸いお顔だっただろう