2012年4月18日水曜日

大鳥神社へ

目黒通りと山手通りの交差点に位置する大鳥神社は我が街の氏神様。創建以来、1300年の歴史があり、関東平野を描いた最も古い風景画に大鳥神社が描かれており、宮司さんから見せていただいたことがあります。大鳥神社の周辺に松林が描かれ、左側の松のその左は海岸でした。つまり品川の向こうは海ってこと。

最近とみに最大規模の地震や津波情報が報道されていますが、1300年前まで目黒は大丈夫だったってこと?関東大震災の時、山の手は被害が少なかったんだよ。良い場所へ越してよかったね。とは、新宿から目黒へ転居した時、地震に詳しい人から聞いた言葉。大鳥神社様、何卒よろしくお守りくださいませ。

              目黒に住んで24年目。色々ありましたが、多々ありがとうございます!

目黒不動尊へ

林試の森公園の隣に目黒不動尊があり、今も多くの参拝者が訪れています。法華経を主体とする天台宗のお寺。毎月28日は縁日が開催され店舗が立ち並び大変賑やかです。このお寺も何度も火災に合い、現在の朱赤の柱は全て鉄筋コンクリート。東京の神社仏閣は非常時の避難所に指定されており、立替はコンクリート造りが規定のためヤムなし。

都内の神社仏閣は都市化の影響で敷地が縮小されていますが、ここ目黒不動尊は本殿周辺は森が覆い総門周辺から本殿前の敷地面積がかなりの広さで保たれています。明治期以降も多くの庶民が信仰し支えた結果でしょう。江戸期の目黒は江戸市中の外れですが、品川宿の北側です。東海道を行き交う人々が立ち寄って安全祈願が行われたことでしょう。

              ゆるやかな上り参道を歩くと赤い総門が。4時過ぎのため人数もなく
               閉門直前に参拝。ご本尊様をゆっくり拝観する間もなくお祈りの短く

林試の森公園へ

目黒区には林試の森という大きな公園があります。明治初期、ここに林業試験場が造られたが、その後、千葉県へ移転のため、公園として保存されている。世界中から集められた珍しい樹木が整然と植えられています。我が家から南へ20分かな?夕刻に訪問したため人影は少なく落ち着いた気分に浸ることができました。

春新緑の季節。まだ新芽は小さく開き始めたばかり。あと1ヶ月もすれば森は濃淡の緑葉が覆いつくした都会のオアシスに変貌するでしょう。めだかが育つ池やウォーキングで駆け抜ける道など様々な工夫がされています。この森にはメタセコイヤをはじめ見上げるような大木が多種育ち、雄大な森林が広がっています。

                                  まだ新芽が顔を覗かせたばかり。空一杯に葉っぱが覆う頃に再訪したい
               ベンチに座って空を見上げれば風もなく木々がモノ静かに立ち並ぶ

2012年4月17日火曜日

目黒川の桜

16日(月)同じマンションの友人2人と恵比寿ガーデンプレイスで焼肉ランチを。その後、私の知らない目黒界隈を案内していただきました。2人とも70代なのに,私よりも至って健脚ぶりが素晴らしい。私は膝痛を我慢しながらヨタヨタと。雅叙園よりも海寄りの目黒川沿いは枝垂桜が満開でした。川上の我が家周辺はほとんど散ったのに。

お2人は目黒のみなら東京をよく歩いているようで、アチコチに立ち止まって案内くださり、私は大変勉強になりました。我が家から近いのに見知らぬ素敵な空間が多々ありました。目黒川も我が家近くから上流はソメイヨシノばかりですが、雅叙園の裏から品川区に近い下流は枝垂桜と初めて知った次第。桜の種類が多いと愛でる期間が長くて嬉しいですね。

                  こぶりな枝垂桜。桜のアーチの小道は区民の憩いの散歩道
目黒川へ覗き込むように咲いた枝垂桜。向こう側からみれば綺麗でしょうね 

目黒雅叙園へ

JR目黒駅から急勾配の細い行人坂を下ると、途中に有名な目黒雅叙園があります。ホテル有の多目的会場でとっても有名です。明治期のお金持ちが各分野の芸術家を総動員して創った建築物です。黒光りするような広い百段階段を上から見下ろすと・・・私が東京へ着任直後、教師がここで結婚式をあげたのが最初の訪問でした。

今回は入口のみ入って写真を撮って失礼しました。内部は結婚式・食事会・イベント見学などなど、私の訪問回数は多々ありました。竜宮城のような伝統的な和の空間のような教会のような・・・庭園のあちこちにカフェやレストランがあり、とかくこの建物は私には騒々しい。分野毎には粋を極めているのですが、ナンか私には落ち着きません。

              右側のアリコタワーはテナント?ビル。エントランス前は大型バスがくるりと

大円寺へ

江戸最初七福神のひとつが、ここ大円寺。JR目黒駅から西へ急勾配の行人坂の途中にありました。1772年行人坂付近発生の火事で、江戸の町に大火が襲ったそうで亡くなった方達を供養するための五百羅漢様が並んでいらっしゃいました。この行人坂周辺の目黒にはかなり古い時代から多くの神社仏閣があったそうで、江戸庶民の祈りの場でした。

石塚に彫られた「大円寺」の文字があまりに達筆でしばしうっとり。江戸初期七福神は目黒通り沿いの5km以内に点在し、徒歩でも2時間余とか。西は目黒川近くで南は都ホテル辺りまで7人が祀られています。江戸時代中期以降の人々は何かとグループでお参りしたりお出かけしたり、理由を作って歩き廻ることが多かったようです。

          行人坂を下ってすぐの右側に大円寺。今まで何度も通ったのに、失礼いたしました
               新緑の季節なのに赤モミジが色美しく。斜面には笑顔の五百羅漢様が

2012年4月12日木曜日

目黒川の桜へ

昨日、かなりの強風だったので、桜の花は散ってしまったかと心配しましたが、大丈夫でした。今朝、いつもの散歩に出掛けましたが、根元に近い枝先の花がホンの少し散っていましたが、青空に向かって天高く伸びた枝先は、しっかり花が咲いておりました。この時間帯は通勤風景のサラリーマンやOLの姿が多く、彼らの表情も晴れやかでした。

3年前に見に行った小淵沢の神代桜はなんと樹齢2000年。樹というよりもゴツゴツした岩のような肌の大木で5~6人で手を繋いで抱えるくらいの太さです。丈は約10mでバッサリと切られていました。つまり台形の桜の樹です。ゴツゴツした岩のような樹から細い枝が伸び、そこに可憐な桜の花びらが・・・涙が出そうな風景の桜で、皆様!一見です。

                                   右は広大な敷地の防衛庁恵比寿駐屯所の生垣。左が目黒川の桜
                  見上げれば桜の樹は満開なのに、足元には花びらがチラホラ

2012年4月10日火曜日

目黒区立目黒公園へ

晴天の本日、我がマンションの管理人さんのお声かけで目黒川両岸のお花見に出かけました。AM9:30、各自おにぎり持参でエントランスへ、と電話があり、計8人で出かけました。月曜の昼前なのに桜見物客で溢れておりました。吹く風に舞い散る花びらも少なく、今まさに満開の桜です。川沿いの目黒公園は目黒住人の憩いの場。桜の木の下でビニールシートを広げました。

年3回、管理人の奥さんは料理上手で住人のために手料理を振舞ってくれますが、本日は玉子焼きや秋刀魚の煮付けやお茶を持参くださいました。参加者も多少の食べ物を持ち寄って、楽しい宴会がスタート。公園内は住人の手で植えられた花達が咲きはじめ、あちらもこちらも春爛漫です。60~80代の姥桜ばかりでしたが、皆さんの笑顔が素敵でした。

               満開の桜の花の下で日陰を求め、花見の宴をはる人達がランチを
              手まりのように丸く膨らんだソメイヨシノの桜花。青空の下、人々に幸せを運ぶ

2012年4月8日日曜日

目黒川の桜が満開

7日、東京在住の家族が我が家へ集合しました。甥たちが東京の大学を受験しに上京して以来、年2回開催してきた家族会ですが、すでに彼らも結婚し子供が生まれ家族がどんどん増えました。とても幸せなことです。恵比寿ガーデンプレイス内で卒業生が経営する美味しいイタリアン店でパスタ・ピザ・リゾットを食べ、4月で8歳になった子供の誕生祝いをしました。

その後、目黒川両岸を歩き、今まさに満開になった桜の夜桜見物をしました。花見の宴たけなわの客達が薄暗くて細くい道路一杯に溢れ、食べたり飲んだり賑やかなこと。炬燵談義をしている人達や全員熟睡中のグループも。道路や川面に落ちている花びらも少ないため、満開の桜の見頃は後2~3日でしょう。

            目黒川は我が家の裏手を流れる散歩道。両岸とも桜の大木が満開で大賑わい
           中目黒駅より上流の目黒川は宴会禁止。我が家近くの両岸の道は宴会客が溢れて

2012年4月6日金曜日

車窓から見た富士山(静岡)

新幹線車中から往復ともに美しい富士山が見られました。頂には白雪が積もり白雲が棚引いて絵のような風景です。新横浜を過ぎると前方に意外に早く丹沢山系の山の向こうに大きな富士山の頭が見えます。しばらくすると山々で全く見えなくなり、静岡県に入ると、やがてなだらかな傾斜が流麗な日本一の富士山の全景がしばらく続きます。

愛知県三河生まれの私にとって、車で約20分走ってひと山越えて三ケ日へ行けば、見事な富士山が見られ身近な存在でした。免許をとった友人達と富士山を見に、浜名湖周辺でウナギを食べに、ドライブに。このひと山が、南アルプスの南端と知ったのは後年になってから。その先端は太平洋の手前で止まり、白砂青松の美しい浜辺が延々と連なっていますが、車窓からは松林しか見えません。

          携帯カメラの富士山撮影は難しい。1本の極端に傾斜した電信柱が入ってしまうから

佐奈川(愛知)へ

愛知県豊川市が私の故郷です。幼き頃、春になって暖かくなると、ご近所友達とこの佐奈川へバケツを持って遊びに出かけ、めだかやドジョウを捕りに行きました。初夏には夜、子供達だけで蛍を見に。マムシが出るぞ!という脅し文句にへっぴり腰になりながら、懐中電灯で足元を照らし蛍の光を見た時は皆、息をひそめて見つめたものです。

しかしながら、この佐奈川、私の実家から子供の足ではやや遠く、行く時はそれなりに覚悟が必要でした。が、妹が佐奈川近くに嫁いだため、本日、両岸に見事に咲いた桜並木と岸辺に咲く菜の花を見ることができました。護岸工事も桜並木もない、せせらぎが綺麗な小川でしたが、60年の歳月は故郷の風景を変え、人々の憩いの場に進化したようです。

             満開の桜並木と清らかな水の流れの佐奈川は、記憶よりも大きな流れに
         菜の花は故郷の愛知県ではよく見かける。渥美半島の田原では1月に満開な畑が一面に

ぜぜかんぽっちり(京都)へ

京都室町の膳ぜ漢ぽっちりで、京都生まれ京都育ちで京都に嫁ぎ着物の着付けの仕事をしている京美人の友人が昼食を、と誘ってくれました。北京料理の名店のようです。重厚な石造りの洋館のエントランスを進むと中庭を臨む和室へ案内されました。ここが本日の昼食場所のようで、店内には他に、洋間・客室・BAR等があるようです。

都の御厨所が滋賀県大津にあった頃、膳所(台所)がぜぜと呼ばれていたそうです。長い時の流れを共に持つ京都と北京の佇まいはよく似ており、ここを中国宮廷料理の流れを汲む北京の台所に見立て、店名を膳ぜ漢と名付けたそう。京都で本格的な中国料理を食べたのは初めての体験。北京の伝統的な技法により、京都の様々な食材を折りまぜた調理がご自慢のよう。

                 思わず足を止めて椅子と壁面に見入ったウェイティングルーム
                和室に面した手入れの行き届いた中庭。この庭の桜はまだ蕾模様

2012年4月4日水曜日

北里研究所病院へ

定期検査と称して身体の各箇所を検査しました。MRI・乳腺超音波・骨塩定量(腰椎)・胃カメラ・大腸カメラ・血液・尿・・・結果、主治医によると少食のわりに体調は良好とのこと。ただし、骨密度が同年齢の80%で極端に少ない。昨夜、三角定規で柱に印をし身長を計りましたが、若い時より0,5㎝縮んでいました。インプラントの骨の生育が遅い原因はこれか!まぁいいか!当分大丈夫!!

かといって、処方薬は今や10種。減らせますか?と聞いたが、ダメとのこと。私の身体は薬のおかげで生かされている。北里病院の正門横には多種の桜が咲きバス停で待つ人の目を楽しませてくれます。少し前から紅色の山桜が満開でしたが今は・・・ソメイヨシノは昨夜の強風雨に耐えて7分咲き。黄緑色の黄桜が咲くのは4月下旬でしょう。

               昨夜の爆弾低気圧の風速20mにも立派に耐え、咲き誇るソメイヨシノ

2012年4月1日日曜日

目黒川桜まつりへ

4月1日です。目黒川両岸を短時間ですがウォーキングしました。どの桜の樹の枝先もピンクの蕾がたわわに今まさに咲こうとしています。が、よく見るとチラホラ花が咲いている樹が数本ありました。夕方のこの時間、犬を連れて散歩する人がなんとまぁ多いこと。太った犬を歩かせながら、お犬様用の乳母車を押している人も。気の早い酒盛りをしている花見客が2組も。

しかしながら今年の春は、そして桜は、本当に待ち遠しかった!私がこの目黒の地に住んで23年目。こんなに遅い目黒川両岸の桜の開花は初めて。私が抱えきれない大きさの古い大樹も数年前に植えた細い若木もほぼ同時に桜の花が咲くのです。私の誕生日の4月6日は遅咲きの年も早咲きの時もいつも満開です。桜の季節に生まれて良かったぁ!!

                                   願わくば花の下にて春死なん・・・目黒川の桜はあと数日後が身頃かな?