2011年2月28日月曜日

城南宮神苑へ

源氏物語花の庭として知られる城南宮は、満開の枝垂れ梅と椿の花が私達を迎えてくれました。源氏物語では花の色や香りを愛でる人々が多数描かれていますが、登場する数々の植物がここに植えられているとか。平安城の南に祀られたお宮のため城南宮(城南離宮とも)と称し、造営以来1200年の歴史を重ねているそうです。

京都で出会った、着物をこよなく愛する皆様と計12人でランチを。天候は朝から雨。食事中も本降りでしたが、なぜか晴れ女が多いグループだからとりあえず、と店を出た途端に止みました。4台の車で城南宮へ。花見中は晴れてポカポカ陽気に。私達以外の人出もなくゆっくりと邸内を散策し満開の枝垂れ梅と椿の花を存分に愛でた幸せな一日でした。

                                          香りが庭苑内に漂い幸せ気分満載に。
                     皆様、うっとりなさいませ。ここの梅は宴たけなわ。

新撰組壬生屯所遺蹟へ

「誠」の旗がはためく新撰組は閑静な農村地だった壬生村の八木家で誕生。隣家の前川家も利用していたそうです。私は壬生寺内に若き志士達が新撰組宿の表札を掲げ駐屯と思い込んでいましたが、なんと壬生の名は地名であることにようやく気付いた次第です。八木家の座敷には約20名の先客が満杯に正座しており、担当者の説明に静かに聴き入っていましたが、遅く到着した私は声が小さくてほとんど聞こえない。

玄関先で立ったまま耳を澄ませば、隊士が惨殺された時の刀傷が~、提灯入れが6個(?5個)あるのは身分が高い証拠~、井戸はカラ井戸~などなど切れ切れに。手狭になって西本願寺に移るまでの3年間、幕末の日本の将来を熱き心で憂えた若者達の激動の歴史をじっくり間近で聞きたかったなぁ!再度訪問しなくっちゃ。

                 正面奥は八木家の長屋門。現在八木家は右手前の御菓子司「京都鶴屋」として存続。
                 前川家。邸内にはNHKの新撰組に出演した俳優達のサインが。

2011年2月27日日曜日

壬生寺へ

新撰組ゆかりの壬生寺はなんと初訪問。年2回、壬生狂言を開催していますが、私は2回ともあえて見逃した。勿体ないことをしたものです。根付館のついでに訪問するとは我ながら情けない。本殿には夕陽が射していましたが、私の周りになぜか空から多数の鳩が舞い降りて、私が歩くと群れごと着いてくるのはなぜ?本殿はかたく扉が閉まっておりました。

壬生塚は京都警護中に亡くなった志士を祀っています。近藤勇像の前でじっと動かない若い女性が。熱烈な歴女なんでしょう。そういえば、NHKの大河ドラマでイケメン達が隊士を演じていましたが彼らのファンでしょうか。若者が何事であれ、熱することは良きことです。

                                       壬生寺は町の中。どこで狂言を演じるのか、確認し忘れた。
                    若い女性がじっと佇む壬生塚。すでに150年前のこと。

清宗根付館へ

京都の知人から、ぜひ訪問を、とのこと。壬生寺正門前の立派な建物が清宗根付館でした。京都にて40年間タクシー運転経験者もその存在を知らない様子。到着までに何度も「壬生寺の東側?」と確認されました。江戸時代に建てられた武家屋敷が丸ごと根付館でした。その数量と質は驚嘆に値しますが、訪問者が若い女性が多数であることもビックリ!

根付とは江戸時代、着物姿の男性が煙草入れ・矢立て・印籠・小物入れなどを、ひもで帯から吊るして持ち歩くときに用いた細工物のこと。象牙・柘植・黒檀など高価な素材ばかり。小さな美術品には極め細かな細工が施され、拡大鏡で見なければ詳細不明な作品が実にたくさん。今回は閉館間近だったためザッと見ただけですが、近々じっくり見に行きたい。未訪問の方はぜひどうぞ!

                     骨董価値が高いためか、門前に警備員が常駐。
現代作家の作品。根付の起源は江戸時代。根付館は日本唯一。

宗像神社へ

御園内に小さな神社があります。宗像神社は桓武天皇が建立とのこと。平安京設立の翌年です。狭い境内には水仙や葉ボタンが咲いていました。御苑を訪れる人もこの境内に足を運ぶ人は少なくひっそりとしています。西門の鳥居は小さく低く、背が高い人であれば頭が届きそう。きっと1200年余、天皇家と京都の人々の安寧をはかってきたのでしょう。

            この鳥居は南の正門。すべからく神社の本殿は南向きに建ち正門は南にある。

京都御苑の梅

京都御苑内の梅の花は綺麗に咲いているし無料だよ、とは喫茶店で横に座った婦人の弁。早速、花見に出掛けました。2組の花見の宴を見ましたが、1組はなんとガイジンさんばかり。7~8人のグループでしたが実に楽しそうで美味しそう。

御苑内は満開の梅・まだまだの梅・しぼみかけた梅と様々でしたが、全体的に見れば1週間ほど遅く出掛けたほうが良さそうです。花見客は私同様、カメラを手に俄かフォトグラファー化しています。しかしながら御苑内の梅はあまり香りがしないのはなぜだろう?鼻を近づけて思いッきり何度も嗅いでみたが匂いがない。

                                           烏丸通り出水口から入ってすぐの梅林の紅白の梅。
                        堺町御門近くの紅梅はしぼみ始めていた。

京都御苑へ

ポカポカ陽気に誘われて、四条河原町の交差点はびっくりするような人の数。一体どこから湧いてきたのやら。この陽気につられて私も京都御苑の梅の花見に行きました。御苑内には京都御所・仙洞御所・京都迎賓館があり、御苑内は砂利がひかれてやや歩きにくいのですが、人々がゆっくりゆったり歩く姿は優雅な雰囲気に相応しい。

御苑はどの季節に訪問しても美しい。門を一歩入ると市内とは思えない静けさで、そのスケールの大きさから歩く人々が小さく見える荘厳な眺めです。創建時の平安京の御所は、現在よりもかなり西側にあったようですが、度々の火災で何度も建て替えた時、少しずつ、大きさや位置を変えたようです。京都のこと、私はアレコレかなり判ってきたようで、1年間暮らした成果があったかも!

                                                  丸太町通りに面した堺町御門。
               私が大好きな建礼門前大通り。はるか中央は京都御所南門の建礼門。

2011年2月23日水曜日

府立植物園へ

随分前から念願の植物園へ行ってきました。ただ今、花回廊を開催中。つい先日、京丹後の宮津へご一緒した優しくて親切な京都在住の奥様が、我が家近くの安くて美味しい和食屋さんに連れて行ってくださり、そして植物園を案内してくれました。子供が小さかった頃よく遊ばせた処とのこと。入場料は200円。広大な敷地に緑豊かな庭苑が広がり、ここは京都の人々の憩いの場。

梅林は芳しい香りを放ち蝋梅が満開でピンク・白は満開のやや手前。チューリップ・花菖蒲・バラ・紫陽花・枝垂れ桜などが芽をふきはじめ、春はもうすぐ!とつくづく実感。ボランティアの皆様が花壇の手入れをしていました。春が盛りの花々が開花時期に絶対に来るぞ!と心した次第です。

                                                正門を入ったら、小ぶりな葉牡丹達が迎えてくれた。
                      桜草とストック。手前の白い花の名は覚えられず。

生田神社(神戸)へ

神戸の町はすっかり再興したようです。山と海に恵まれた日本を代表する美しい港町。阪神淡路大震災の折、柱がつぶれ独特なカーブの屋根だけが綺麗に残った生田神社は神戸の町のど真ん中の繁華街にありました。私はうっそうとした生田の森の中の神社だと思ったのに、友人によるとこの周辺は私の飲み屋街とのこと。

あらま、そうですか。かの藤原ノリカさんが結婚式をあげた生田神社は朱の柱で鮮やかに染まり、ここだけが浮世離れした雅な神社でした。お婆ちゃんに抱かれたお宮参りの赤ちゃん一家が祈願しており、イケメンの神主さんが祝詞をあげており、「大事なことだよね!」と、私達も少し立ち会って、赤ちゃんの無事な成長をお祈りしました。

                        背景のマンションを消して、ご覧ください。

神戸花鳥園へ

兵庫県立美術館からタクシーで花鳥園へ。運転手さんが降ろしてくれたのは寂しい門の前。どうやら職員用通用門のよう。進めども歩けども入場門がなくガラスのドアを開けたら、なんと植物園内の職員用通路に通じていました。そこを進んだら、またまたなんと一般の会場へ。つまり、私と友人は無料で入場した次第。帰りは堂々と正門から退場しましたが、こんなことって、あるんだね!

園内はベゴニア・ブーゲンビリア・水連などの美しい花々と、カモ・オシドリ・サギなど多数の鳥類が迎えてくれました。色とりどりの水連の池には、黒・白・赤の小魚がそれはそれはたくさん住んでおり、ひとつの餌に10~20匹の魚が集まり、目まぐるしく突くのですが餌が大きくて全く減りません。水連の葉の上に乗せた餌も、2~3㎝の魚が葉に飛び乗って餌を突く様子が可愛いこと。関西地区にお住まいの方はぜひ一度、正門から入ってご確認ください!

                               天井から吊るされたベゴニア・ゼラニュームなどの花々。この下がレストラン。
                    小魚がいっぱいの水連の池。餌をあげて楽しんでください。

兵庫県立美術館へ

西宮在住の40年来の友人が神戸に同行してくれました。神戸訪問は30数年ぶり。兵庫県立美術館は森村泰昌氏の「なにものかへのレクイエムー戦場の頂上の芸術」。この美術館は迷路のように小さな部屋がいくつも。三島由紀夫の市ヶ谷の自衛隊で行った演説シーンから始まり、レーニン・ウォーホール・ガンジー・ピカソ・ヒットラー他の有名人の有名映像やカットが愉快に丁寧に再現されていました。

森村さんは一見、三輪明弘に似た風貌の方で女装作品が多いのは可笑しい。綺麗な男性は美しい女性に憧れるようですね。それにしてもこういった過激な作品を誰が買うのだろうか。美術館の対岸は神戸港の海。久し振りに潮の香りを体いっぱいに浴びて、気持ちのよい散策で大満足。

                                  建物に続くこの階段の手前は神戸港。ひとりハーモニカを吹く若い男性が。
                           室内を出て海岸に向かう通路。

2011年2月21日月曜日

四国遍路(7~11番札所)へ

18日、第2回四国遍路の一日バス参拝に出掛けました。4時半起床。6時半の阪急電車で大阪梅田へ。高速道路から淡路島を横切り鳴門大橋を渡って、第7番光明山十楽寺、第8番普明山熊谷寺、第9番正覚山法輪寺、第10番得度山切幡寺、第11番金剛山藤井寺へ。各寺の本堂と大師堂でお灯明と線香をあげ、お札を納め、先達さんの導きで般若心教を詠みました。

真冬のせいか遍路姿で歩く人は少ないが、まずまずの天候で快適に参拝。子供の時から神社仏閣を訪問するとなぜか心が落ち着き、ここは私の居場所と安心できるのです。しかしながら走るバスの車中で昼食をとり、先達さんにせかされ階段を昇降しながら参拝するこの遍路は私に適した修行の道。なぜか出発地の梅田に到着すると胃が気持ち悪くなり膝もガクガク。私には徒歩で訪ねる遍路は到底出来そうもない。

                                                熊谷寺に咲く寒あやめ。茎が短く花もやや小さい。
                     法輪寺の蝋梅。まだ蕾だが芳しい香りは一人前。

2011年2月18日金曜日

東京スカイツリー

浅草の浅草寺の境内から、堂々たる東京スカイツリーが見えました。この地まで来るとどこからもスマートな姿が見られてワクワクします。雪の時、ツララが張って落ちそうでハラハラしたそうです。夕方のため、写真は少しボケてしまいましたが、隣の満月まで届きそうな気配。完成が楽しみです。

                      青空に満月と東京スカイツリー

2011年2月17日木曜日

浅草寺へ

東京の金龍山浅草寺を参拝しました。あまりにも有名な雷門は相変わらず大賑わい。正式名称は風雷神門。いつも華やかな仲見世は人形焼きやお煎餅屋さんの香ばしい匂いが漂っておりました。参拝者の会話は中国語、韓国語、英語、そして日本語・・・仲見世の先は宝蔵門、そして改修された見事な美しい曲線屋根の本堂が、夕闇の中、燦然とと輝いておりました。

申し訳ありません。ついで参りはご法度であることは、よくよく承知しておりますが、今回も誠にごめんなさい。私が浅草寺をお参りするのは本堂の扉が閉まった時間ばかり。実は毎回浅草訪問は友人知人との交流会が主な目的です。今年の秋、関西の友人達と一緒に、必ずきちんとお参りしますので、何卒ご勘弁くださいませ。

                     雷門。この提灯は京都の職人さんの手によるもの。
                    夕闇の中、ライトアップされた本堂は光り輝いておりました。

東京国立博物館(仏教伝来の道)へ

東京へ戻ったとたんに雪がf降り積もりました。積雪3cm。早朝、東京国立博物館の西門で薬師寺のお坊様と待ち合せしました。「仏教伝来の道/平山郁夫と文化財保護」展を開催中で、薬師寺から平山画伯の敦煌の壁画が出品され、お坊様は交代で博物館に詰めておられます。毎朝、開館前に壁画の前でお経を詠んでいらっしゃるとのこと。私も同行させていただきました。

広い館内は静寂そのもの。美しい壁画の前で二人のお坊様による読経が始まりました。薬師寺内で展示された壁画は何度も拝見しておりますが、国立博物館のような広い空間に展示された壁画は、一段と凛々しい気高さに満ち満ちておりました。館内に響き渡る大きな声のお経の二重奏を、この私が独占させていただき、背筋がピンと伸びて、とても幸せなひと時でした。ありがとうございました。

                      ポスターは薬師寺所蔵の大唐西域壁画・大雁搭
                     博物館前は、昨夜から今朝までに積もった雪が。

2011年2月12日土曜日

智恩寺文殊堂へ

天橋立のスタート地点に建てられた智恩寺の文殊堂を参拝しました。寺内はさすがに人影がなく、門前町の商店街も静かそのもの。私達の宿泊ホテルの庭から徒歩3分の至近距離でした。庭苑の日陰に多少の積雪がありましたが、ここにお参りすれば頭がよくなるとは同行者の弁。創建は13~14世紀とのこと。

日本のどこへ行っても由緒正しい神社仏閣があり、大和民族の厚い信仰心が伺えます。京都の法然上人を開祖とする知恩院とどんな関係があるのでしょう。今年4月知恩院は法然上人800年大遠忌を迎え、日本中から門徒衆が参拝するとのこと。この智恩寺へは頭脳明晰を願う参拝者が多く訪れ、門前町も賑わうことでしょう。

                                            正面が文殊堂。庭内の松の木は天橋立へ続く。
                   堂々たる三門。楼内には極楽浄土が描かれているでしょう。

天橋立へ

京丹後の天橋立へ行ってきました。宮津に住まいする友人のお祝い(マナーと和装の指導10周年記念)の会があり、京都在住のこよなく和装を愛する皆様と合計9人で参加しました。見事な松の道を歩いたのは45年ぶりのこと。若き当時、松枯れが始まっており木立が寂しく行く末を案じた記憶があります。今回は雪が降りそうで降らない天候でしたが、松緑がとても雄々しく印象的でした。

明治維新まで海外諸国との表日本だった日本海側の京丹後。冬の日本海は初訪問のため、さぞかし今年は雪が多いのだろうと予想していましたが、期待外れでホッとひと安心。海側は豪雪にはならず山側が大変とのこと。なるほど、天橋立は砂丘を伴い、綺麗な曲線を描いておりました。

                                        天皇陛下がお泊りになる、有名な玄妙庵の喫茶テラスから。
                 天橋立を歩くと片道1時間とのこと。老いた松、若い松が絶妙な・・・

2011年2月9日水曜日

伏見稲荷へ

京都の私の案内役の親切な人達の勧めで、深草の伏見稲荷に行ってきました。8日は初午だから行きなさい、とのこと。確かに門前や境内まで出店がたくさん並んで大変賑やかでした。数年前、大阪在住の友人達と参拝して以来、訪問は2度目です。この日、全国の稲荷社で同様な祀りが行われるそうです。

奉納された赤い鳥居が本当に美しい。その数はいくつになることやら。境内案内図を見る限り奥の院まで赤い鳥居が延々と続いているようです。神の使いの狐が巻物を口にくわえて出迎えてくれました。私の実家は愛知県の豊川稲荷のすぐ近く。私が参拝したのは何年前のことだろう。思い出そうと3日間考えたがほとんど記憶がないのはなんとしたことか。自己反省が頭をよぎります。なるべく早く実家へ行き、豊川のお稲荷さんに参拝しなければ・・・

                                                       人波が多く、この写真が撮れたのは奇跡的

2011年2月6日日曜日

養源院へ

養源院は話題満載のお寺です。京都へ来てから2度目の参拝ですが先回に比べて訪問者の数がもの凄く多い。NHKの大河ドラマ「江」の影響です。かの淀君が豊臣秀吉に願い出て、父浅井長政の21回忌追善のために建立とのこと。養源院は長政の院号ですがまもなく焼失。その後、徳川秀忠がお江(崇徳院)の願いにより伏見城の遺構を用いて再建し、以来徳川家の菩提所として歴代将軍の位牌を祀っています。

本堂には石田三成によって伏見城が落城した際、徳川方の鳥居元忠はじめ300余人が自害した時にたっぷり含んだ血の跡がついた床が血天井として張られています。何度洗っても落ちなかった血の跡がくっきりと。壁には俵屋宗達の見事で力強いタッチの襖杉戸絵が堂々と何枚もあり、お江の位牌には徳川、天皇、豊臣の家紋があり、鴬張りの廊下は左甚五郎の作・・・ただ今は特別展示として、淀君、江、秀頼の肖像画が展示されています

              三十三間堂の横にひっそりと。この1年は多くの参拝者で賑やかでしょう。
庭にお江の供養塔。お市の供養塔よりも当然大きい。

智積院へ

智積院参観は二度目。真言宗智山派の総本山でなんと末寺3000の中に、有名な成田山新勝寺や川崎大師があるそうです。智積院に長谷川等伯の障壁画の現物があると知ったのは昨年4月、京都国立博物館で開催された長谷川等伯展を見た時のこと。長谷川等伯の絵は楓図、松に秋風図、松にとろろ葵図、雪松図、松に立葵図など。息子の久蔵は25歳の若さで華麗な桜図を描いたが翌年病死。その横にその死を悼んで父等伯が、渾身の生命力で描いた楓図が並んでいます。

        左は等伯の楓図、右は久蔵の桜図(レプリカ)。画面一杯に鮮やかに。現物は宝物館の中。
      利休好みの名勝庭園。石組と植込みが交互に並び雄大さと重厚感に醍醐味があり冬でも圧巻。

南禅寺へ

東京から日帰りで友人がひとり京都へ来ました。私も若き頃、愛知県の実家からひとりで新幹線に乗り、三千院や高山寺へぶらり旅をしたものです。朝9時、南禅寺の三門で待ち合わせしました。友人は早朝に京都へ着き、哲学の道を散歩してきたそうです。三門はその高さ22Mで日本三大門のひとつ。ただ今、冬の特別公開中のため早速・・・

楼上は、金色に輝く釈迦座像を本尊として祀り、天井や壁面には鳳凰や天女が鮮やかな色彩で描かれ、まるで極楽浄土のようでした。石川五右衛門が追手に迫られ「絶景かな絶景かな」とのたまったのは歌舞伎の伝説のこと。私が見た京都の朝は3月上旬まで上がった気温のせいでしょうか、
不思議なカスミに包まれておりました。

                 大阪夏の陣で倒れた将士の菩提を弔うために東堂高虎が再建

2011年2月4日金曜日

建仁寺へ

建仁寺は、我が家から鴨川の向こうに屋根が見える近さ。臨済宗の寺ですがここも何度参拝したことか。中国から渡来した榮西和尚が開祖で、2014年に800年大恩忌を行います。初めて参拝した時、一巡後、「今から和尚が寺内を案内」とのアナウンス。なかなかイケ面なお坊様のため、もう一巡ついて行きました。おかげで建仁寺について私は多少詳しくなりました。

榮西和尚は中国から日本へお茶を紹介した方だそうで、確かに寺内の垣根はお茶の木が植えられています。酸性雨のため今は未使用とのこと。本坊には小泉淳作氏の双龍図が迫力満点に描かれ、俵屋宗達の風神雷神の屏風も見応え十分です。お茶室にて、榮西和尚が伝えた初期のお茶作法で抹茶をいただきましたが、千利休がその後、様式を変えた、とのことです。
                      
       西門。この寺の門はたくさんある。祇園の中にあり寺内は行き交う人々の生活道路のよう。
                  珍しい双龍図。ユーモラスでかわいい顔、五本の指が特徴。

えべっさんへ

遅ればせながら京都えびす神社へ行ってきました。通称「えべっさん」。10日恵比寿の日、それはそれは多数の人が参拝したようで続く道は人波が絶えず近寄りがたい感じがしました。商売繁盛の神様ですから京都の人々にはとても大切なのでしょう。

鳥居には小さな網籠があり、お賽銭を投げ入れて運勢を図るようです。私の前のカップルは見事籠に入れていましたが、私は5回目で達成。今年の私の運勢は時間がかかるというか、まどろっこしいというか、何事もゆっくり生きなさいとのことでしょう。慌てず気ままに残りの京都生活を楽しみたく思います。

                                                          鳥居の真ん中に小さな網籠が。

2011年2月3日木曜日

桜の蕾

京都の四季は本当に美しいです。夏は蒸し暑く秋は紅葉が美しく冬は寒くて冷たいが春は花々が輝きます。四季がはっきり分かれており個性が際立っているのが京都。私はマンションの9階住まいですがフローリングの床からじわ~と冷たい底冷えが。これが京都の冬なんだと。

鴨川沿いの桜の木に蕾を見つけました。昨夏、暑さが厳しかった桜は例年よりも早めに葉を落としました。幹や枝に養分を蓄えるためだそうです。今、桜は枯れ枝のようにしか見えませんが、その先端はまさしく蕾だらけ。堅くて小さいが確かに蕾です。心なしかピンク色に膨らんでいる蕾もあります。明日は立春です。自然は春の準備を

                                         橋は四条大橋。ひとつ南側の団栗橋から枯れ枝のような桜が。
                  小枝の先端に多数の蕾が。北山にはまだ雪が積もっている。

2011年2月1日火曜日

桂離宮へ

京都暮らしを始めてから何度目の訪問のことやら。桂離宮は私が京都で最も美しいと思う場所です。平安京の時代、藤原道長の別邸があった場所で源氏物語では松風の帖でこの地が描かれています。桂=月とのこと。八条宮初代智仁親王により宮家の別荘として創建され、二代智忠親王が完成したが、明治16年まで約300年間、宮家の別荘として使用されていたそうです。

私が中学生の確か美術の時間のこと。ドイツの建築家ブルーノ・タウトが岡倉天心等と日本建築の調査を行った際に桂離宮を訪問し「涙が出るほど美しい」と評した話は50年以上、私の頭から離れなかった。目の当たりにしてまさにその美の境地に感動しました。少し歩くとその先に全く新しい風景が目に入り、今見た場所は跡かたもなく隠され、素朴な純和風建築には同時期のルネッサンス様式が遊び感覚で垣間見ることができます。最近はインターネットで参観予約できますから、未訪問の方はぜひどうぞ!

                                    紅梅の向こうに右から古書院、中書院、新御殿が雁行の形で並ぶ。
          中央が古書院。月見台があり中秋の名月が東の空に現れ、やがて月は池に浮かぶ。

再び、東寺へ

四国遍路うの旅を一緒に始めた大阪の友達と一緒に東寺へ行ってきました。納経帳に記帳していただくのが参観目的です。大師堂・講堂・金堂を参拝後、食堂にて目の前で書いていただいた見事な筆跡と朱印に感謝感激。

桓武天皇が平安京を造営した時代から、現代の京都は御所をはじめとして大部分が東へずれているが、東寺はもとの場所に残っており左寺とも呼ばれるそうです。「身は高野 心は東寺に おさめをく」は大師の言葉。講堂・講堂諸尊・東塔を造営着工した後、高野山に入定されました。つまり高野山を自らの修禅の場として開き、そこで得られた智慧を東寺で実践された、とのこと。

                               台風や地震でたびたび大破したが現在の講堂は室町時代に再興。
                 しばしば災火をうけ消失は4回。現在の東塔は徳川家光の寄進。