2014年6月30日月曜日

びわ湖ホール(滋賀)へ

大津市の琵琶湖畔のびわ湖ホールへ。琵琶湖を背景とした建物は壮大で美しい。東京の友人からチケットを2枚入手し「ダンス+サーカス+コメディー」の幻想的なパフォーマンスを観に。ラスベガスのような高度で上質な世界が見られると期待したが・・・

全く違いました。ホールや舞台美術も小規模でシンプルで出演者も約10名のフランスの小劇団でした。 ラスベガスはラスベガスで観よを実感。巧みなダンスやコミカルな会話や演技、影絵劇、黴菌ダンス、ロープ使いの変幻自在なダンスなどなど、洗練された楽しい1日でした。

      ステージは撮影不可のためパンフより。笑いの絶えない優美な空間

2014年6月28日土曜日

両足院へ

祇園の中にある建仁寺の塔頭の一つで非公開の両足院へ。建仁寺は鎌倉時代に全盛期を迎えた禅宗の臨済宗のお寺です。開祖は栄西上人で中国からお茶を日本へ伝えた方。今も茶園で栽培されていますが酸性雨のためお茶は作っていないそうです。

両足院は参拝者が次々と。鎌倉時代の建物でご本尊は阿弥陀如来立像です。庭園には白い半夏生の花が満開でした。今年建仁寺は開祖栄西上人の没後800年大遠忌で様々な記念行事を行っています。パンフによると長谷川等伯や伊藤若冲の画を保存とのこと。見たかったなー!

                            手入れの行き届いた庭。左の建物は2つの茶室、庭には半夏生の花
               夏至から数えて半分の11~16日目を半夏生という。昔は開花が田植えの目安だったとか





本能寺へ

創建は15世紀半ば。織田信長暗殺の頃は中京区蛸薬師にあったが下京区の西京極の本能寺(法華宗/三宝尊様)へ。当時の本能寺は大伽藍を持った寺で当時は遠く九州の種子島にも布教し鉄砲伝来に寄与、信長の信任を得ていたとのこと。明智光秀に暗殺され炎上後現在の地で再建。

信長がもう10年生きていたら・・天下統一後は・・歴史にたられば空しい想像だが一向宗・天台宗など仏教を徹底的に叩きのめした信長が仏教の本能寺で祀られている所以をようやく理解。本堂はいつも閉ざしていますが6月2日は命日のためかご本尊様のお顔を拝顔できました。

                       西京極の華やかな繁華街の外れに本能寺が。総門はかっての規模を表明
        信長の遺骨は本能寺炎上後、光秀がやっきになって探したが見つからず永遠のミステリー




人力車へ

嵯峨野の化野念仏寺~二尊院まで歩いたら甥の子供が「疲れた!」とのこと。丁度良い場所に人力車が停車中。4人で2台に分乗して野宮神社から渡月橋まで、あっという間の20分でした。人力車は歩疲れたなーと思う頃車夫と目が合って、乗せていただこうかなーという体験が度々。

記憶では小樽・奈良・東京・京都・・・やや高い位置からガイド付きで狭い道路を巧みな技術で駆け抜けてまったくもって爽快です。あっという間の20分、1台4000円はやや高いかな。甥一家の京都旅の良き思い出になれば幸いです。

竹林を背景にハイポーズ。記念撮影してあーという間の嵯峨野
        車夫さんは一見優男で実は頼もしい。竹林を駆け抜けて幸せな時間



二尊院へ

嵯峨野の二尊院(天台宗/釈迦如来様・阿弥陀如来様)へ。二尊院は百人一首で名高い小倉山の麓です。開山は9世紀半ば。応仁の乱で諸堂が消失したそうですが、30年後に再建されたとのこと。釈迦如来様は人が誕生し人生の旅路に送り出してくださる仏様。

阿弥陀如来様は人が人生を全うした時に極楽浄土からお迎えに来てくださる仏様。二尊院は春には庭に華やかな枝垂れ桜が咲き、夏は木々の葉が水々しく薫り、秋はモミジが真赤に燃えて、冬には雪景色が静謐な空間を・・・この世の風景とは思えない出会いがある京都らしいお寺です。

        秋の紅葉は人が多くて雑踏のようですが、春の青モミジは生命の息吹を感じる
           枯山水の庭の本堂。二尊は立像で凛々しいお姿。庭には枝垂れ桜が







2014年6月25日水曜日

祇王寺へ

祇王寺は竹林と苔むした庭がつつましやかな尼寺(真言宗/大日如来様)です。平家物語では平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が清盛の心変わりによって妹の祇女と母とともに出家した庵です。祇王の後に清盛の寵愛を受けた17歳の仏御前が出家して祇王寺の門を叩いたのです。

白拍子というはかない女性達の性が弔われ静かな祈りの心根が胸に伝わってきます。新緑と苔むした庭の調和はこの世のものとは思えない静かな空間です。祇園精舎の鐘の声諸行無情の響きあり沙羅双樹の花の色盛者必衰のことはりをあらはす・・・・平家物語は美しい言葉から始まります。
          
                    瀟洒な山門をくぐると落ち着いた苔の庭が広がって・・・・・
             楓の林の下青々とした苔の絨毯が参拝者を静かに迎えて優しく

化野念仏寺へ

平安時代空海が野ざらしの遺骸を埋葬したと伝えられる鳥野辺の化野念仏寺(浄土宗/阿弥陀如来様)へ。後に法然が念仏道場を開き念仏寺になったという。平安時代以来の墓地であり風葬の地として知られていた。明治36年化野周辺に点在していたお地蔵様を丹念に集めて祀ったお寺です。

境内に祀る8000体を数える石仏・石塔は宝塔説法聴く人々になぞらえ配列安祈しています。竹林と多門塀を背景の茅屋根の小さなお堂はこの世の光は元より母親の顔すら見ることなく露と消えた水子の霊を供養する地蔵尊。無縁仏の霊にローソクをお供えする千灯供養は地蔵盆の夕刻に行われてます。

  あだしとはむなしいとの意で「化」の字は「生」が化して「死」となりこの世に再び生まれ変わること
       梅雨の時期美しい竹林が化野の地を浄化し未来へ向ってまっすぐ天に伸びる志を


2014年6月24日火曜日

清水寺へ

東京から甥が家族と一緒に京都へ来ました。我が家近くの八坂神社でお参りし、ねねの道を歩いて清水寺へ向いましたが人人ひとの波。浴衣姿の若い男女が多いのですがナンと台湾人と中国人がかなりの数。おまけに大汗をかくような暑い天候で小4男子がアチコチの店に出入りし、ようやく清水寺へ到着。

転居以来、清水寺は何度も参拝したがこんな混雑は初体験です。修学旅行シーズンは終わったのに。子供は3週間前に左腕を骨折し添え木をつけ痛々しい姿でしたがすこぶる元気でした。事前に小型のご朱印帳を用意し彼と一緒に神社仏閣で記帳していただきました。達筆で書かれたご朱印帳が一杯になりますように。

                 清水寺の上は雲が漂い今にも雨が降りそうな天候で、でも降らなくてひと安心
清水の舞台は釘を1本も使用せず日本建築の粋を世界に表明する建物





2014年6月20日金曜日

ワールドカップだぁ!

1994年アメリカで開催されたワールドカップ優勝決定戦を幸運にもロスで観戦。確かにこの眼で観たのです!当時の日本はJリーグ発足前でスポーツオンチの私はチンプンカンプン?イタリア×ブラジル戦で優勝は延長戦・PK戦の結果「ブラジル」。ブラジルサポーターが賑やかに盛り上がっていた姿が今も。


以来、私は立派なサッカーファン。といっても初戦と日本戦のみリアルにTV観戦し残りはニュースや特番をぐいぐい見ています。行け―!入れ!あーぁ!と独りで大騒ぎ!!ギリシャ戦はシュートが多かったのに1点も入らず残念!25日は勝ってネお願い!ゴールを入れよう!ニッポン!!!

      高島屋京都店の店頭ディスプレイはワールドカップ一色。ボールを記念に買おうかナ





2014年6月15日日曜日

玄武洞へ

コウノトリで有名な豊岡市の玄武洞(国指定の天然記念物)へ。玄武岩は160万年前の火山活動の際に流れ出した溶岩が冷えて固まったそうですがびっくりするほど美しい模様を描き出しています。六角形の石はゆるキャラの玄さんで有名ですが四角や丸型の溶岩もあり山肌にくっきりと鮮やかに。

突然の訪問でしたがボランティアガイドさんが丁寧に案内くださいました。細長く固まった溶岩が時の流れによって約20㎝の厚さで横に亀裂が走るため、豊岡では石垣や漬物石として利用したそうですが、国の指定を受けてから一切の持ち出し厳禁とのこと。よくよく見ると鉛筆の形や蛇のお腹や・・
            
            右下の洞穴は人々が玄武岩の石を持ち出した跡で計5個の穴が
                    川の流れのような玄武岩。20㎝ごとに亀裂が入って落ちそうで中々落ちない


丹後くろまつ号へ

JR天橋立駅から豊岡駅まで走る列車「くろまつ号」の新聞記事を読んでワクワクしながら早速申込み。美しい風景を眺めながら沿線の食材を活かした料理で丹後の魅力を満喫するはずでしたが・・・窓から丹後の海が見えたのはスタート直後のみ。 初夏の田園や山間風景を眺めながらランチした2時間の旅。

北近畿タンゴ鉄道が普通車両を全面リニューアルし金土日のみ営業の「くろまつ号」。メニューはくろまつオリジナル料理とか。揺れる列車でランチをこぼさず食べるにはちょっとした工夫が必要です。正直言って期待外れのランチ列車旅でしたが幸いにも好天に恵まれ、京都の北西地方をのんびり旅した1日でした。

          ホームで停車中のくろまつ号は1車両編成で期待十分の堂々たる風体
                   車内のインテリアは木彫で美しい。料理は美味しかったが何かイマイチの感?



2014年6月12日木曜日

宇治上神社へ

古代道「さわらびの道」の中ほどの宇治上神社(創建は不明/ご祭神は菟道雅郎子命・応神天皇・仁徳天皇)へ。隣の宇治神社と一対の神社で後ろの木々の景観を含む建物全体が世界文化遺産です。本殿・拝殿は国宝で後方にご三神を祀る社が。参拝者は少なく時が止まったような静寂です。

拝殿の屋根は昨年葺き替えが終了し本殿の屋根は今年度中に完成とのこと。檜皮葺きの屋根はおおよそ35~40年経過すると風雨による痛みのため葺き替えが必要です。木造の日本建築は創建時の技術を受け継ぎ修復や時には全面解体復元を繰り返して1000年余の歳月を得て現存しています。

           仮本殿で若い人達が手を合わす。どうぞこの先幾千年も続きますように
                      本殿前の門は素朴な建物です。梅雨の曇のこの日新緑が目に鮮やか・・・




2014年6月11日水曜日

源氏物語ミュージアムへ

千年前の平安中期、日本文化が大きく花開いた時代に紫式部が書いた「源氏物語」の展示場です。ここには時空を超えて広がる王朝絵巻の雅な世界が。全54帖の中で最後の10帖の舞台となった宇治。当時は貴族の別邸地として愛されてきました。復元模型や映像で源氏物語と平安時代の文化に触れる場所です。

今春、南座で上演された源氏物語の衣装を特別展示中。私は2階の最前列で極上の時間を過ごしました。市川海老蔵が光源氏を、アメリカのテノール歌手が語り部を、観世流の能役者が紫の上や六条御息所を華麗に演じました。光源氏の狩衣が4着。紫式部の十二単が1着。小物が数点。映像はホリヒロシの美しい人形で浮舟を。

          このミュージアム訪問は確か4回目。廊下と庭と照明が絶妙な空間を描く
                  光源氏の住まい六条院の模型。春夏秋冬の部屋や庭が復元されスポットライトに





宇治市植物公園へ

紫色の花「ジャガランダ」を見るために宇治市植物公園へ。豊かな自然の林の中にある静かな公園でした。散歩道をそぞろ歩きすると涼しい風が吹いて心地よくオゾンを体中に感じることができました。平日のため来場者は少なく幼稚園児の団体が職員の説明に聞き入っていました。

花と水のタペストリー、モミジやコナラやアカマツの林、温室、花壇・花木園・棚田、観月台など整備された苑庭が。花と水のタペストリーは圧巻のスケールで目の前に出現!各色の花や葉のプランターで見事な絵画が描かれていました。若いボランティアスタッフがにこやかに応対し、まさに花と水の楽園でした。

     今回のテーマは「ちはや姫」。やや釣り上がった目が特徴で使用したプランターは3678鉢
宇治市植物園の入口前。通路の手前は駐車場とレストラン。向こうが植物公園

ジャカランダの花

紫色の満開の花を大木のジャカランダは憧れの花。南アフリカの公園都市プレトリアで街路樹として10~12月満開の花が咲くのです。ジャカランダの花を旅行パンフレットで見たのは約20年前のこと。桜の木よりも背丈が倍近く高く衝撃的な花が満開に咲き、落ちた花弁が紫色の絨毯のように染まるのです。

南アフリカ旅行のパンフで満開のジャカランダを見つけて胸がワクワク。出掛けようかと迷っていたところ、佛大のセミナー仲間から宇治市植物園の温室で今、ジャカランダの花が開花中と聞いて早速出掛けました。えーッ!これが?目が点になる驚き。3m位の細い木に紫色の花房が4房咲いていました。
        
       南国特有の発色で肉々しい花弁が・・・これが憧れのジャカランダ?もうガッカリ!!
     カタール航空のビジネスクラスで行く南アフリカ周遊の旅に掲載中の満開のジャカランダ



2014年6月10日火曜日

 祇園白川へ

昨年、長野県白馬のペンションで出会った高齢の方と、梅雨の晴れ間に南座前で待合わせ。1人旅の私と朝夕の食事を共にし、互いに京都在と知って、帰ってから、2~3回食事を一緒にした方です。 祇園北側の和食料理店の板長が3月末に独立したカウンター8席の小さな店へランチに行きました。

「川ばた」は大和大路通祇園白川から北へ30mのビルの3階。本日は幸いにも客は私達2人のみ。ゆっくりと美味しい季節の野菜や魚の数々をいただきました。祇園白川の散歩道は最も京都らしい風景。桜の葉が青々とした森のように繁り、柳が風になびき、清流がしぶきを上げ、紫陽花が咲き・・・

        スマホ(iPhone)初めて撮影した桜の葉のトンネル。涼風と木陰のバランスが絶妙
          梅雨なのに京都は雨がホンの少々降っただけのため白川も水量が少ない

2014年6月5日木曜日

百済寺(滋賀)へ

湖東三山のひとつ百済寺(天台宗・十一面観世音菩薩)へ。百済寺はひゃくさいじと読みます。推古天皇(奈良)の時代聖徳太子の御願で百済人のために建立された古刹。当初は僧侶も百済から招いたとか。その後天台宗に属し湖東の小叡山と称され鎌倉室町時代には壮大な寺院に発展したそうです。

信長の焼き討ちで伽藍は全て消失。十一面観世音菩薩様(奈良)は僧の手で無事避難されたそうです。江戸時代初期将軍家や多くの大名家の庇護をえて本堂・仁王門・山門が再建され現在に至っています。四季百彩とうたわれ天上の楽園とも。山門を入って遠望台へ昇ると湖東平野が眼下に広がる風景が。

          左が本堂、右は鐘楼。鐘をひと突きしましたが山々にゴ~~ンとこだまして
                         遠くに琵琶湖が、そのはるか向こうには渡来人の母国「百済国」を望む

2014年6月3日火曜日

金剛輪寺(滋賀)へ

琵琶湖東三山のひとつ金剛輪寺(天台宗/聖観世音菩薩様)の創建は奈良時代。聖武天皇の祈祷寺として行基が建立。現在の本堂は鎌倉時代建築で実に700年の歳月をえています。源義経が参籠し木曽義仲追悼の太刀を奉納、北条時宗は近江の国中の寺に元軍の降伏祈願した歴史に名高い古刹です。

創建時の僧坊は百余を数えたそうです。信長は焼き討ちを命じたが僧の機知により本堂・三重塔・二天門は残ったとのこと。猛暑のこの日、緑濃い木立の長い参道を登りきると新鮮な空気が辺り一面に。春はさつきや石楠花が咲き夏は紫陽花が。秋には本堂脇の血染めの紅葉が鮮やかな赤に染まります。

     聖観音菩薩様は金箔のお顔で理知的な気高さ。天下安泰と時の人々の願いを受け止めて
     明治維新により全僧が下山帰俗。全国10万の観音信者の祈願で復興し三重塔も再建された

2014年6月2日月曜日

西明寺(滋賀)へ

一日バス旅行で琵琶湖の東、湖東三山巡りの旅へ。西明寺(天台宗/釈迦如来様)の創建は平安初期。戦国末期、織田信長の比叡山延暦寺焼き討ちの影響で寺の多くは消失。幸いにも本堂・二天門・釈迦如来様は火難を免れ現存しています。ご本尊の薬師如来様の公開は、1人の住職が在職中に1回しか行わない秘仏とか。

京都の気温は36度の真夏日でしたが湖東は30度とのこと。西明寺は山中のため木漏れ日がキラキラと美しく日陰は涼しい風が。ご本尊様は火災の時僧侶に担がれて避難したそうです。日頃は御簾の中に隠れているためか、保存状態は極めてよく、凛とした佇まいで優しい笑顔でした。

   本堂の中はヒンヤリとした空気が漂い、お顔や佇まいをゆっくり拝見すると心が落ち着きます
    約10年前、秋の紅葉真っ盛りの頃、西明寺を参拝しました。多彩な赤や黄色が目に浮かぶ