2013年8月30日金曜日

裏寺町通へ

安土桃山時代の地図を見ると、鴨川の西側(北は上鴨神社~南は八条まで)に多数の仏教寺院が並んでいます。ざっと数えて120寺院がビッシリと。近江の国から東山の峰を越えると下り坂の向こうに広い鴨川が。そして川向こうに仏教寺院がずらり並んでいた様は、京の都の要塞のようであり、また宿坊の役割を担っていたそうです。

これは豊臣秀吉による京都改革の一端です。時の為政者は傲慢です。新京極通(寺町通)を歩くと、こんなところにお寺が?と小さなお寺が多々。しかしながら本日、新京極通の1本東側に裏寺町通という道を見つけました。幅3mくらいの細い道。なんと安土桃山時代の地図で見た小さな寺院が両側に。いずれも拝観不可で写真撮影するのに精一杯の道幅です。

               光明寺(浄土宗・ご本尊不明)。立派なご門で五線の壁は門跡寺院
  大善寺(宗派不明)。六角通から四条まで現在13寺院が立ち並ぶ














2013年8月24日土曜日

仲源寺へ

四条通りの仲源寺(浄土宗・地蔵菩薩様、千手観音菩薩様)へ。京都では地蔵盆という習慣があり、各町内で祀るお地蔵さん前に集まりお経を唱え子供の成長を祈願します。我が家はマンションですが建設前、この場所にあったお地蔵さんを仲源寺に預けたそうです。お世話人夫妻と8人の参加者。私は観光客と間違われたようです。

読経終了後、「同じ町内(中本町)の者ですが」、と名乗ったところ「ようお越しくださいました」と皆さん丁寧なご挨拶が。最近は子供が少なく参加者が減少とのこと。仲源寺は室町時代、長雨で鴨川が氾濫した時、お地蔵さんを立て祈願したら雨が止んだそうです。近年は雨止みが、めやみに転じ眼病に対して霊験新たかなお地蔵さんとして慕われています。

           中本町のお地蔵さんは本堂の左側に。仲源寺は洛陽三十三番所観音霊場です
          平安時代・室町時代の鴨川の幅は広く、水の流れは筋のようで中州が多数あったそう





柚子屋旅館へ

祇園の八坂神社南側の柚子屋旅館へ。パリ・東京・大阪・京都から卒業生達が集まりました。柚子屋旅館は我が家から至近距離の徒歩1分。私は夕食のみ参加ですが、たっぷり3時間かけて美味しい料理の数々を完食しました。ゆっくり時間をかけ楽しくお喋りしながらであれば、完食可能なことが判って良かった!

前日、卒業生達はなんと京都を代表する料理旅館の柊屋へ宿泊とのこと。柊屋は真夏なのに満室状態で、女将さんをはじめ皆さんのお持て成しと料理内容は抜群で柚子屋より安価だったとか。思い返せば3年前の夏、やはり同じメンバーが柚子屋旅館へ集結。接待役はベテランの仲居さんでしたが今回は全員若いスタッフばかりでした。

               八坂神社は真夏でも参拝客が絶えず、右端の黒い門が柚子屋旅館
                 間口はとても狭いのですが石段を登りながら右へ曲がると広い旅館へ



2013年8月18日日曜日

風立ちぬへ

零戦を設計した堀越二郎と堀辰雄の風立ちぬを重ねた大人のラブストーリー。高原で結核を療養する妻とひたすら美しい飛行機を設計したかった主人公の出逢いから別れまで。堀辰雄の風立ちぬ(風が立った)を読んだのは中学の頃です。零戦が青空に飛び立った日「そして一機も戻ってこなかった」という台詞が。

飛行機製造過程の専門用語や機械音が素晴らしく、風立ちぬのタイトルに相応しく草原や服装を揺らす風の表情が印象的。生きねば、という副題から宮崎駿監督の想いが伝わる作品です。結核を患う妻の横で煙草を吸う主人公に批判があるようですが、あの時代、戦闘機を設計せざるを得なかった堀越を想像すれば何ということもない。

                   2回観ました。1回目は泣かなかったのに、2回目はポロポロ・・・


2013年8月17日土曜日

錦天満宮へ

京の台所と呼ばれる錦小路の東の突き当たりの錦天満宮へ。寺町通り=新京極にあり錦天満宮の鳥居周辺はビルに囲まれて建物全体はめり込んでいます。商売繁盛の神様かと思いきや、学問の神様菅原道真公をお祀りしています。頭の神様。知恵・学問・商才・厄除け・招福の神様。繁華街唯一の鎮守社。

頭の神様にご祈願したいことは山ほど。賢くなりますように。記憶力が良くなるように。頭の回転が早くなるように。本が早く読めるように。認知症にならないように。固有名詞や言葉を忘れないように・・・今後は月1回ご祈願に伺いますので何卒よろしくお願いいたします。ご高齢の元気な皆様を見習わなければ。

                                  いかにも繁華街の中の錦天満宮。その起源は11世紀はじめとか   
              参拝者は次から次へと絶えることなく。鳥居より奥へ入ると敷地は広がって








大文字五山送り火

今夜、我が家ベランダ(室内)から大文字五山送り火が「3字」見えました。左右の「大」と「法」の3字です。PM8:00最初に慈照寺(銀閣寺)上に「大」が赤々と。京都テレビの同時中継を見ながら「大」を見たり映像を見たり。今夜は格別に暑いのでベランダから室内へ戻ったり。続いて「法」が見え、最後に左大文字の「大」が。

実際は、大・妙・法・船形(絵)・鳥居(絵)・大の順に点火する計6個30分間のイベントです。約5分ごとに京都の夜空に次々と灯りが。誰もが自然に手を合わせる荘厳さです。解説者によると起源は諸説あるが、足利義政が亡き息子を弔ってはじめたとのこと。妙・法は同時に点火するが書体が異なるから時代差があり、他の文字や絵があったかも・・・

              TV映像に如意が嶽の「大」が。最初は細く小さく、やがて鮮やかな炎に
                携帯カメラで撮影した「大」。肉眼では確かに見えたし松明の匂いも




2013年8月16日金曜日

法然院へ

哲学の道の途中の法然院(浄土宗・阿弥陀如来様)へ。急な坂道を登ると茅葺の山門が。この古い茅葺の屋根は苔むし雑草まで生えているという何ともいえない趣で人々の共感を得ていました。この春とうとう改修工事を行ったという新聞記事を見て以来、気になって気になって・・・

やはり真新しい茅葺屋根に。関係者の皆様の誰もが、情緒たっぷりの屋根上部を残し内側だけを修繕したいと考えたことでしょう。鹿ケ谷の法然院は若き法然が比叡山を降り人々に教えを説いた庵があった場所。参拝料は無料。朝6時に門が開き時折に梶田管主が参拝者に説法する最も仏教寺院らしいお寺です。

              深い緑の木々の間に新しい山門が。まるで農家の屋根のような素朴な

哲学の道へ

真夏の早朝の哲学の道を歩く人は少ない。開いている店もない。哲学者・西田幾太郎が思索にふけった場所として哲学の道の名前がついた琵琶湖疎水の小経です。銀閣寺(慈照寺)から南禅寺辺りまで年中耐えることなく清らかな水が流れています。頭上には大きな桜の木が覆って。春の桜と秋の紅葉は多くの人が歩きます。

大正時代、日本画家夫妻が疎水の両側に桜を植えたのが始まりとか。当時の桜はほとんど枯れたが桜守の藤右衛門さんが順次植え替えたそうです。東京住まいの頃、大阪在住の友人達とこの道の桜を見たくて歩きましたが全て蕾のまま。南禅寺近くでようやく2輪見つけてホッとひと息・・・

                         満開の桜を見たのは3回。紅葉は1回。途中で喫茶店に立ち寄ってゆっくりと






銀閣寺前へ

早朝、如意が嶽麓の銀閣寺へ。今夜は五山送り火です。京都では六道まいりでご先祖様の精霊をお迎えし、五山送り火でお送りします。6時にも関わらず護摩木を納める人々が銀閣寺前に多数。荒削りな松の木に供養の言葉を書いて納めました。銀閣寺の東の如意が嶽の「大文字」に伊藤家の小さな松明が1本。

これらが如意が嶽に運ばれて大きな松明を作りあげ、今夜の送り火になります。今出川通や西大路通の一部が見物客や車で混雑するとのこと。我が家は幸いにも「左右の大」と「法」の3文字がベランダから伺えます。京都テレビの同時中継を見ながら3文字を・・・ご先祖様達は私のピンチのたびに何度も助けてくださいました。

              朝6時の銀閣寺は門を固く閉ざし朝陽が山の上に差し掛かったばかり



2013年8月13日火曜日

JR白馬駅(長野)へ

8月1日京都駅→名古屋駅→松本駅→白馬駅(大糸線)へ軽やかな第1歩のはずが、下車する際、バランスを崩してホームで転んだ!あーみっともない!大きなリュックを背負った山男が駆け寄ってくれましたが「大丈夫ですね」と笑顔で。幸先が思いやられると考えたのは一瞬のこと。ペンションの奥様の笑顔を見たらスッカリ忘れました。

高原のお嬢様になって本を読む予定が、山ガールへ・・・ あーぁ、日本中歩き回ったつもりなのに、こんな世界があったなんて。北アルプスの向こうは糸魚川でその向こうは日本海。黒部ダムも日帰り可能だそうです。運動オンチの私でも1歩1歩進めば大丈夫でした!このブログをご覧の皆様、白馬村へ北アルプスへ、ぜひどうぞ!

             JR大糸線の車中から北アルプスの山々が見えると、乗客は右席へ移動してうっとり。



白馬リゾートホテル ラ・ネージュ(長野)へ

ギャラリー&カフェの「森と人と」の奥様のお言葉で、素敵なホテルへ1泊することに・・・天井が高く家具も小物も落ち着いてとても素晴らしい。白馬の最後の夜を優雅な気分で過ごしました。北安曇野郡白馬村和田の森。この森は別荘地のようです。本館と東館があり、私は緑の木々が優しい森の本館へ。

白馬国際音楽祭の折、ドレスアップした皆様が同席していましたが、ラ・ネージュに宿泊し、4日間のコンサート後、皆様で夕食をアチコチへとのこと。私が泊まった部屋はリビングとベッドルームとジャグジー風呂の計3室の一番大きな部屋。泥を掃ったつもりのウォーキングシューズとカジュアルスタイルの私にはモッタイない部屋でした。

               森のホテル ラ・ネージュ。ご主人の女性が集めたオシャレな家具が洗練されたインテリアに
            エントランス正面のステンドグラスが。自然・森・時間・風・微笑・灯り・そして何?



八方尾根(長野)へ

ゴンドラとリフトを2回乗り次いでスキー場の山頂へ。私がここを登るのは2日前と今回の2回目。1回目は霧でした。それでも登ってスキー場の上を歩いたら雨が。やむなく下山。2回目は快晴の白馬晴れ。リフトを降り徒歩約1時間尾根を登ると美しい池があるという。ここまで来たら・・・杖をつき岩や石だらけの険しい道を黙々と。

下を向き1歩ずつ私の足で1時間40分。ようやく尾根の途中の八方池に到着したら眼前に3000m級の白馬三山が雪渓を抱いて現われた!!登って良かった!!と握り飯を頬張ってひと休み。この歳でこんな高山へ1人で登るとは人生何事に巡り合うやら。帰り道親切な青年が先導し下山してくださり助かりました。

           神様が導いてくださった風景が目の前に。山々も池の水も清々しいことこの上ない
                   八方池の手前にリンドウのような可憐な花がうつむいて。峰々の険しい表情とは裏腹な









蔵シック館(長野)へ

松本城から駅への道に蔵町通りが。白い蔵造りの家が多数集まった美しい町です。中町蔵シック館は隣町にあった造り酒屋を移築し喫茶店として開業しています。白壁に太い梁が縦横に走った重厚な構え。ランチは友人に美味しい鰻をご馳走になりました。お茶は高価な松本家具だらけの喫茶でしばし休憩。

私は松本家具が大好きです。できればこの家具で我が家を満たしたいと考えたのは30代の頃。しかし松本家具だらけだと室内が重くなりすぎてコーディネートが案外難しい。などと思考して数10年。たった1脚の椅子と1個の机で我が人生は終わりそう。従って、たびたび松本へ旅し、お城はいいな!松本家具はいいな!が、夢の中。

                佇まいが良い町はここかしこが美しい。人々も 家も町も山も
                   松本家具だらけの喫茶店。抹茶ミルクのカキ氷de身体を冷やして





松本城(長野)へ

旅先から旧友に会いに松本へ。大糸線で片道1時間45分の鈍行です。私が新宿勤務の頃、たびたび仕事が終わると「あずさ」に乗車して松本へ。定宿は明治時代創建の「松本ホテル花月」。チェックイン後、夜間ライトアップされた黒壁の国宝松本城まで徒歩数分。わくわくしながら城を一周したものです。

今日も真夏の青空の下、松本城は凛とした佇まいで美しい。「やはり、松本城は構造が木造で本物だから佇まいに無理がない。無理がある城は嘘っぽい。松本城は素敵ですね」とは、お節介にも写メを送った松本出身の建築家の返信です。入城までに30分待ちとか。庭内に入るのを遠慮して蔵町へ。

         定宿の松本ホテル花月からわずか数分。この城に昼夜を問わず近づくと胸がドキドキ



白馬五竜高山自然園(長野)へ

ゴンドラリフトを乗り継いで白馬五竜スキー場の頂上へ。ここから先は「かもしかの散歩道」がグルッとひと回りのよう。歩き始めたが濃霧のためか人がいない。前後にまるでいない。熊除けの鐘をカンカン鳴らして引き返しました。山頂滞在は15分。リフト1つ分下る坂道には数10種類の高山植物が咲いていました。

満開の花達をゆっくり眺めながら緩やかな階段をひと足ふた足。多分気温は20度以下でしょう。持参のビニールジャケットを着てのんびりと。眼下には白馬村が霧の中に霞んで見えました。珍しい紫色のケシの花1輪見つけた!7月中旬~8月中旬までいろんな花達が見られるそうです。

         ゴンドラから白馬の町が。山頂が曇っていても私は登ったり降りたり。まるで子供のよう
                    ヤナギランの群生地。他にシモツケ草の群生地・コバイケイ草・裏白七カマド・他多数



白馬ジャンプ台(長野)へ

1996年長野オリンピック白馬ジャンプ台へ。一番上までエレベーターで行けるそうだが、今回は下から見上げたのみ。次回必ず登ってみたい!ラージヒルとノーマルヒル・・・あの日大雪の中、原田が舟木が次々と大きく跳んだジャンプ台。ジャンプは跳ぶのはホンの一瞬でひたすら落ちる、遠くへ長く落ちる競技です。

夏のこの日、ジャンプ台の上にはナンと人影が。シャーッ!という音とともにジャンパーが跳んできた。下の広い芝に着地した時、バシャンッ!という音が。よくよく見ていたら次々と人が跳んでいる。地元の高校生かも、とはペンション娘さんの弁。大声で、頑張れ!と叫んで拍手したが届いただろうか?

         なぜ写真に人が写っていないのか?ノーマルヒルを跳んだ人が4人立っていたのに

2013年8月10日土曜日

森と人と(長野)へ

素敵なギャラリーとカフェが、とはペンション奥様の弁。「森と人と」は名古屋で朝日新聞記者をされたご夫妻がオーナーとのこと。ギャラリーにはアーティステックな作家のファッションや小物が展示されていました。奥様に私の元勤務先を伝えたら、理事長と学長の名前をすらすらと口にされてビックリ!

1960年代半ば、20代の若い二人が名古屋駅前に開校した学校を、ご夫妻ともに取材し支援くださったようです。白馬村でこんな出会いがあろうとは・・・ご縁ですねぇ。ギャラリー展示作品は時折に作家を替え、カフェでは奥様が世界中から集めた美味しいお茶とケーキがいただける極上の白馬です。

           庭一杯の溢れんばかりの花達。奥様は石ころを1つずつ運んで庭を造ったそう


菊池哲男山岳フォトギャラリー(長野)へ

白馬和田野の森アートガーデンは小さな建物がいくつも並んだカワイイ一角で結婚式用の教会もあるそうです。写真家菊池哲男が撮った白馬山岳写真は迫力満点でお見事のひと言。1961年生まれの菊池さんは、07年和田野の森に常設展示場をオープンしたそうです。

八方尾根の黒菱平から黒菱林道を下った大きな木が茂る静かな場所が和田野の森。私はペンションの奥様の案内で鑑賞しましたが今朝一番の訪問者でした。従って静かな館内に大きな色鮮やかな様々な風景のアルプスの写真をひとり人占めし、1階と2階をウロウロと。

                  私のペンションの隣に宿泊の行きずりの方がお薦めのギャラリーは迫力満点の写真が

白馬三枝美術館(長野)へ

北安曇野郡白馬村みそら野小鳥の森、700坪の敷地に白馬三枝美術館が。白馬に魅せられた多数の画家の絵が展示されています。庭は春から秋まで山野草の花が咲いているとか。日展をはじめ各会所属の数10人の画家達の作品が約100点、びっしりと展示されています。

 テーマはアルプスの五月・初夏の栂池高原・雪山を見る峠・安曇野の田植え・溶岩ドーム北壁などなど。四季折々の北アルプスの模様や湿原・高原のアチコチの様子が描かれています。滞在したペンションの奥様によると、白馬は湿気が多いから緑がよく育つとのことです。

                             白馬三枝美術館。館内にはイギリスアンティークやコーヒールームも併設

白馬国際音楽祭(長野)へ


白馬村へ到着するまで、白馬国際音楽祭が開催を知りませんでした。今年で第15回。会場は白馬美術館コンサートホール。正面の演奏家の後ろは白馬の森です。暮れなずむ夕方、空の色は刻々と変化して、ライトアップされた森が。観客数は約120席。音響効果が素晴らしい音楽堂です。

洗練された演奏者達の音が。 ビオラ・フルート・マリンバ(2名)・ピアノ。そしてソプラノ歌手。国際的な活動をされている一流の方達です。7月31日~8月3日まで。私は2日間通いましたが鳥肌が立つような感動がありました。バッハ・シュトラウス・ドビッシー・カーター・ラフマニノフ・他。1回2時間たっぷりの素敵な時間でした。

            今年で15回目の白馬国際音楽祭。1日目は隣の行きずりの友人と。2日目がペンションの娘さんと
                  天井の三角形の空間が素晴らしい反響を示す音楽堂。マリンバ2重奏は息もピッタリ。


2013年8月9日金曜日

シェラリゾート白馬(長野)へ

白いテラス隣のシェラリゾート白馬はカナダのホテルをイメージした素晴らしいホテルです。敷地は2万坪とか。手入れが行き届いた庭には一面の芝が広がり美しい花々が咲いています。ランチ後、庭のパラソルの下でお茶を飲んだら突然の雨が。 スタッフさんがすかさず傘を差してくださり・・・

 白馬は毎日、曇り・晴れ・雨のめまぐるしい天候です。次回、このホテルに長期宿泊を!は、年金生活者には無理ですね。スタッフさんが皆さん優しいのです。PC持参の私にネットラウンジを貸してくださり笑顔で対応くださって感謝感激!ランチのみの私が2日間通って広い庭をぶらぶら・・・

                           芝生を歩くふかふかな心地よさはゴロリと横になりたい夢心地の空間
      左右には2階建てのこだわりのロッジが。白馬でお逢いした皆様の笑顔とお持て成しが素晴らしい

栂池高原自然園(長野)へ


栂池高原スキー場客用のゴンドラリフトを乗り継いで栂池高原自然園へ。標高1800mのスキー場の頂上に高山植物が満開の山道がありました。一番奥まで往復すると5~6時間の道のりとか。生憎の曇天にも関わらず、その名も高い老若男女の山ガールや山ボーイがリュックを背負い杖をつき各々が自分のペースで歩いておりました。

小型リュックを背負い麓の売店で杖と帽子を購入し、私も俄か山ガールへ大変身。運動オンチで膝腰痛の身でどこまで歩けるか?不安ながらも板道から落ちないように一歩ずつ前進するのみ。ほんの少し霧が晴れたら雪渓を抱いた白馬三山が。可憐な高山植物の出現に目を奪われ、我を忘れないように引き返した往復3時間の山歩きでした。

満開の車百合が板道に。柳欄・紅花一薬草・衣傘草・信濃金梅・稚児車・ 紅花苺・大葉酢の木etc
板道や階段を約1.時間歩き続けると大湿原が。ニッコウキスゲが花盛り。霧の晴れ間に雪渓が

白いテラス(長野)へ


長野県白馬村のペンション「白いテラス」へ。白馬を訪問するのは初体験ですが、北アルプスの山々を背景に道路には紫陽花が美しい爽やかな高原です。友人紹介の白いテラスは白馬村の落倉高原の森の中。経営はペンションを開業して35年のベテランご夫妻です。朝は鶯と油蝉の鳴き声で目覚め、夕方にはヒグラシが・・・

奥様は初宿泊の私のために多数のパンフを収集し、どこへでも何時でも車で送迎くださり飽きることなくアチコチへ。朝夕食は心のこもった手料理の数々で大満足。滞在半ばで常連客お二人と親しくなりお喋りに花を咲かせ、少食の私がほぼ完食!お風呂は天然温泉で身体ポカポカ!お土産に私の好きな風知草をいただきました。大きく育てなくては・・・

                 白いテラスの正面玄関。階段には紫陽花やベコニアの花々が
白いテラスは20人以上宿泊可能なペンション。35年の間に白樺が自生し常連客が顔なじみに