2013年10月27日日曜日

アマテラスへ

残念ながら携帯を忘れ東山区南座で公演中のアマテラスの千秋楽へ。南座内部を撮影したかったのに。歌舞伎界当代一の立女形で人間国宝の坂東玉三郎と佐渡島の太鼓芸能集団鼓童19人の競演です。古事記を題材の音楽舞踏劇の前評判はイマイチでした。アマテラスの玉三郎がひらひらと優雅に舞うのみで見応えがないと。

確かに太陽神アマテラスの玉三郎は高貴で優美な踊りに終始していました。しかしながら鼓童集団の太鼓は鍛えられた全身で南座全体を揺らし躍動感に溢れていました。楽日のためスタンディングオベーションが続きアンコールは11回も。3階席1列目ほぼ真ん中のため舞台奥まで演者や道具がよく見えて大満足な2時間15分でした。

            高天原で荒ぶる魂のスサノオに慈愛の心を捧げるが嘆きのあまり天の岩戸へ・・・
                            チラシより。鼓童の太鼓は佐渡島観光で見たが本日の演奏は格段の感が








梨木神社へ

上京区京都御苑東側の梨木門を入ってすぐ右側の梨木神社(祭神は三条実萬公・実美公)へ。明治18年創建の維新の立役者を祀る神社です。現在、京都では梨木神社内にマンションが建つそうでちょっとした騒動が起きています。御苑を地図で見ると梨木神社は完璧に鬱蒼とした京都御苑の森の中です。

梨木神社は財政難で不動産業者へ土地の一部を売却したとのこと。御所へ行く時何度か梨木門を利用しましたが騒動が起きるまでその存在に気付きませんでした。参拝のために鳥居をくぐると時代祭の当日だというのに確かに人影が全くない。舞殿の向こうに本殿があり静かで荘厳な佇まい。しかしここにマンションが建つのはいくら何でも。

           実萬公と実美公は明治の元勲の中で唯一神格化された公家の聡明な父子とのこと
             維新の頃この辺りは武家屋敷で梨木町と呼ばれていたので梨木神社の名前が

2013年10月24日木曜日

鞍馬の火祭へ

幸いにも4年連続で友人達と鞍馬の火祭へ。火祭は鞍馬寺鎮守の由岐神社の祭礼で歴史は約900年とのこと。鞍馬寺と深いご縁のご親切な大阪在住の二人のお心遣いで鞍馬寺境内の山菜料理屋の座敷で食事をしながら燃え盛る松明を間近に見る幸運を体験しました。京都は優雅な祭が多いのですが火祭は荘厳で勇壮そのもの。

夕闇迫る頃小さな子供が祭礼衣装を着て燃える松明を担ぎ山門前の神輿までサイレイヤーサイリョーの掛け声と共に町を行き交します。9時を過ぎると鞍馬街道は太鼓の響きと大松明の焔とどよめきと男達の熱気が満ち溢れます。今年は松明の数が増えたそうで山門前に集結した時は見物人も火傷しそうな熱さで灰をたくさん被って厄払いしました。

           山門前の神前に集まった松明。この位置で火祭見物できるのはご親切なお二人のご厚意あってこそ
                    松明1本を3人の男衆が担ぐが重そうで、この近さで撮影するには火傷しそう
漆黒の闇に焔立つ風景は神聖そのもの。燃え上がる炎と松明の匂いに酔いしれた一夜





由岐神社へ

鞍馬山の鞍馬寺境内の由岐神社(祭神は大己貴命様)へ。本殿から下山は九十九折れの急な坂道が最適で途中に鞍馬寺鎮守の由岐神社があります。鞍馬寺は平安京造営の折、東寺・西寺とともに北の護りとして建立されました。天皇の病平癒、天下安泰を祈願するしきたりがあったそうで現存の拝殿は豊臣秀頼再建とのこと。

本日の鞍馬寺は参拝者が実に多い。下山道にはロシアや欧米からの来山者が多数でした。鬱蒼とした森の山全体が信仰の対象で一木一草の命も大切にし倒れて枯れるままを自然の営みとして敬っています。身も心も森羅万象の営みを体感する時間です。九十九折れを天皇や清少納言、吉田兼好などなど実に多くの皆様が参拝するのを想像すると・・・

   山門(仁王門)から左の階段を昇ると由岐神社が。鞍馬寺参拝の往復に鎮守社を参拝したのでしょう
     樹齢1200年の杉のご神木が天高くそびえ立つ。神々しい威厳に溢れて人々が思わず見上げて

鞍馬寺へ

入山するたびに不思議なパワーで元気をいただく北区の鞍馬寺(ご本尊は尊天様)へ。鞍馬山は毎日を明るく正しく元気よく生き抜く活力を尊天様からいただく道場です。愛を月輪の精霊(千手観音様)が光を太陽の精霊(毘沙門天王様)が力を大地の霊王(護法魔王尊様)に現し、この三天を「尊天様」と称して祀っています。

鞍馬寺は気の気配が市街とは一変します。鞍馬寺と長年に亘って深いご縁を持つ優しい二人のご好意で本殿や各伽藍を丁寧にご案内いただき、ご高僧の信楽管主様の法話を拝聴する機会を得ました。管主様は90歳の優しさに溢れた女性です。命と心の大切さについて笑顔で切々とお話しいただき全員と温かい両手で握手してくださいました。

        山門から坂道と階段とケーブルカーで本殿金堂へ。三天の尊天様をご奉安、地下には・・・
             本殿から下り階段を見上げれば美しいモミジが葉を広げ紅葉は1ヶ月後とか







時代祭へ

22日は京都の三大祭のひとつ時代祭が。次々と大型台風到来のため天候を心配しましたが晴曇の好天日に。上京区京都御苑内の京都御所南門の建礼門前から2時間以上かけて平安神宮まで行列が続きます。ご親切な京都在の友人のおかげで建礼門前の関係者席を確保いただき最前列で悠々と観覧しました。

東京から友人知人6人が大喜びでした。時代祭は明治天皇が遷都のお触れも出さないまま江戸へ行幸されてから京都活性化のために始まった祭礼とか。明治維新から平安初期まで京都で各年代に活躍した人々約3000人の壮大な行列です。静御前や巴御前、和泉式部や紫式部に扮するのは舞妓さんや芸子さん達とのこと。

          各時代衣装を3000着も揃え保管するために京都の人々は大変なご苦労があるそう
京都府知事と市長は鎧兜の武将姿で愛想よく。写真右端の建物が建礼門




2013年10月23日水曜日

大谷祖廟へ

東山の丸山公園横の大谷祖廟へ。ここは浄土真宗開祖の親鸞聖人の御影堂を始め歴代の上人や門徒の方達を祀る広大な墓所です。私は曹洞宗のため威厳に溢れた大谷祖廟はあまりに立派で参拝を避けていましたが、今回は意を決して総門の中へ。日本中に信者を持つ東本願寺の境外敷地です。

長く緩やかな昇坂を歩いて墓参するのはご年配の方達。しかし本日の参拝者は年配者に混じって欧米系外人が多数でした。どうやら大人気の八坂神社から円山公園を通って大谷祖廟まで足を運んだ様子。昨年親鸞聖人750年大遠忌が盛大に開催されましたが人々の信仰心は相変わらず深いようです。

    東山山系に向かって長い坂が続く大谷祖廟の参道。真ん中を歩くのは遠慮したくなるような雰囲気が
              夕陽を浴びる堂々たる総門。我が家のお墓とは大違いの威厳に溢れて

円山公園へ

ぶらぶらと毎日のように散歩する円山公園へ。祇園八坂神社の東側で東山山系の麓へと続くなだらかな丘陵地です。春は桜、秋は紅葉が美しい公園ですが、明治時代まで八坂神社と円山安養寺の境内の一部だったが維新の廃仏毀釈で安養寺は壊され京都市初の都市型公園が誕生したそうで日本一有名な枝垂桜が。

ところが最近は枝垂桜の枝先を烏が突付くため枯れ枝が多くなり哀れな姿に。桜守の藤右衛門さんが必死に手入れしていますが衰えは加速度的。よくよく見ると円山公園内はあまり手入れが行き届かず、ほどよく自然のままが残っている按配のよい公園だと気付きました。現在は朝に夕に散歩する私の公園になりました。

           写真の右側は坂本竜馬と中岡慎太郎の銅像。公園の桜の紅葉はもう少し先のよう
               右側の茶店は私と同マンションの斜め向かいの方が50年間経営の銀茶寮

2013年10月20日日曜日

建仁寺へ

東山区の京都最古の禅寺建仁寺(臨済宗・十一面観音菩薩様)へ。海北友松によって桃山時代に描かれた方丈の襖絵雲竜図・花鳥図・竹林七賢図・琴棋書画図(すべて重要文化財)の全50面を高精細デジタルにて複製が完成し常設展示が開始されたので見に行きました。開山は中国からお茶を日本へ初めて伝えた栄西和尚です。

方丈の有名な風神雷神図は私の好きな筆致が巧みな俵屋宗達画。窓口で「どこを撮影しても良いですよ」との嬉しい言葉。この寺の襖絵や屏風は模写ではなくデジタル画像のためか気前よく写真を許可してくれる。土日の参拝者が多い日お坊様が参拝者に声をかけ自ら寺内を案内してくださるが本日も途中から参加できました。

          栄西800年の建仁寺は最も繁栄した時期には四条通りまで壮大な伽藍があったそう
       海北友松の全50面の方丈襖絵は全て墨絵で禅寺に相応しい究極的な美しさ。雲竜図は計8枚



2013年10月14日月曜日

東山慈照寺(銀閣)へ

よりによって3連休の初日慈照寺(臨済宗・釈迦牟尼仏様)へ。往復ともにバスが大渋滞にはまって計3時間半も要し参拝者数も門前列をなす状態。非公開の国宝東求堂と方丈(本殿)を特別公開で拝観。東求堂は足利義政公が自らの美意識を追及し8年の歳月をかけ建設した山荘で簡素枯淡の美を表現した山荘です。

日本家屋の原型といわれる建物内部は一見に値します。出家した義政公坐像と初めて対面。教科書でみた四畳半の書院作りの棚には義政公愛用の中国や朝鮮の書画道具や壷がきれいに並んで。方丈(本堂)の与謝蕪村・池大雅の襖絵は美しく保存されていました。東求堂や方丈からみる観音堂(銀閣)と白砂の砂盛り向月台と波紋を表現した銀紗灘は見応え十分でした。

             参道も境内も人人人・・・京都住まいの皆様はぜひ平日参観 されますよう
        観音堂(銀閣)拝観は不可。色彩は漆塗りだが経年劣化で白っぽくなり銀閣と呼ばれるように

2013年10月7日月曜日

光雲寺へ

友人に誘われて左京区の東福門院和子(徳川秀忠・江の娘)の菩提寺、非公開の光雲寺(臨済宗・釈迦如来様)へ。創建は約800年前。東福門院は14歳で入内しのちに後水尾天皇の中宮に。娘は奈良時代以来の女性天皇(明正天皇)。秀忠公の遺金で光雲寺を再興した当時は広大な敷地に七伽藍を有し参拝者が多数だったそう。

本堂で敦賀在の人村朱美さんのワンマンライヴが。寺宝のご本尊様・東福門院念持仏の観世音像・明正天皇坐像他多数の仏様の御簾が開けられ、お顔を拝見しながら参加者は見事な語り・朗読芝居・一人漫才・朗読を鑑賞しました。天井が高くほぼ真四角の本堂は抜群の音響効果。朗々と声が響き渡り至福な空間に包まれて。

       光雲寺は南禅寺の境外搭頭で本堂の有様は威風堂々。南禅寺禅センターとして禅の普及に
            東山の霊芝山を借景の庭園は池に琵琶湖疎水をひく名勝。池には多くの赤や白の鯉が悠々と

2013年10月6日日曜日

興雲庵豊川稲荷へ

東山建仁寺の搭頭興雲寺内の豊川稲荷(本尊は陀き尼尊天)へ。豊川稲荷は建仁寺の鎮守とのこと。毎日のように歩いている建仁寺横道に陀き尼尊天が祀られていると知っていましたが、よくよく見たら石柱に「豊川稲荷陀き尼尊天」と記載が。八坂神社のすさのうのみこと/建仁寺の豊川稲荷陀き尼尊天様・・・

今更ながら私は京都にて郷里とご縁の深い神様仏様のご庇護の元で暮らしていることに気付きました。興雲寺境内に初めて入って豊川稲荷を参拝。ご挨拶が大変遅くなり誠に申し訳ありません。今後はこの道を通るたびにお参りいたします。普段は物静かな境内ですが祇園や宮川町の人々からお稲荷さんと大変親しまれているそうです。

                        建仁寺(臨済宗)の西側にひっそりと。この道路の前は細道だが車が非常に多い
                境内は守り神のお狐様が祀られて。陀き尼尊天様の前には葵の花が



2013年10月5日土曜日

二条城へ

国宝・世界遺産の二条城へ。東大手門を入って豪奢な唐門をくぐり二の丸御殿へ。御殿内の障壁画は狩野派の絵師達が描いたが400年の時をえて劣化が進んだため管理者の京都市は模写を制作し「はめ替え作業」を推進している。今回は老中の間の障壁画のはめ替えが完了。資料館では原画も同時展示されています。

とにかく疲れました。東大手門から砂利道を歩きながら唐門をくぐって二の丸御殿内へ。遠侍の間,将軍と来訪者が謁見する大広間、老中の間、黒書院、白書院を巡って二の丸庭園を歩いて。ここまでは若い時に歩いたが今回は本丸御殿(1750年焼失)の広い庭を一周。北西角にあった五層の天守閣の石垣へ昇り徳川家気分を味わって庭の一角でお茶をいただき、クタクタで足が痛い!!

          東大手門。江戸時代初期後水尾天皇を迎えた時、櫓部分は失礼に当ると一旦取り壊しその後再建
            二の丸御殿。二条城は各所の改修工事が必要で一口城主を募集中。100万円寄贈者は一日城主に

2013年10月4日金曜日

ひこうき雲

いつも通りソファーに寝転んでいたら秋空に美しい「ひこうき雲」が。本日の京都の天気予報は曇りなのに。西山に沈む前の夕陽をボーッと見ていたら青空にチョークで書いたような白線が。ベランダに出て空を見上げたら2機の飛行機が何本も美しいひこうき雲を描いていました。誰が何の目的で青空に白線を描くのでしょう。

白い坂道が空まで続いていた・・・あの子の命はひこうき雲・・・これは荒井由美の「ひこうき雲」。我が家の窓は西向きのため西日が強く初夏から晩秋の夕刻の数時間はカーテンを引いたりサンルーフを下ろしたり。夜空を見上げると星がたくさん見えて幸せです。京都条例で夜間照明が禁止されたため、京都の空は真っ黒で月も星も美しく時には流れ星も。

             宮崎駿の「風たちぬ」でひさしぶりに聴いた「ひこうき雲」。初秋の空に白線が
   西空に沈む頃の太陽はアフリカの上空にと聞いた記憶があるが本当か。最近の私の記憶は間違いが多くて


2013年10月2日水曜日

ステーキ屋へ

祇園白川沿いの神戸ステーキ屋さんで友人と夕食を。京都は高くて美味しい店が多々ありますが私は手頃な価格で美味しい店を確保。まずランチで店の様子と味と価格をチェック。ランチは一人でふらりと入ったり友人に連れられたり。おかげ様で私基準の美味しい店が徐々に増え京都生活がますます充実しています。

京都観光指南役の最寄の喫茶店主の弁。「祇園のランチを全店舗食べ歩き美味しい店を教えて」とのこと。木屋町生まれ木屋町育ちの店主の見識は相当高く厳しい目線で恐れ入る。価格と味は合格だけど店の飾りが多すぎる。お運びのオバチャンが不細工。濃い色のお皿に煮魚を乗せるとは。花のない花瓶を飾るなんて。絵が安っぽい。などなど手厳しいことこの上ない。

               祇園白川の辰巳橋から夕景の川面。左側には数々の美味しそうな料亭が
                  ステーキ屋さんから白川を望む。川の向こうは観光客がそぞろ歩き


2013年10月1日火曜日

祇園白川へ

次々と遠来(上海・東京)の客がありました。祇園南側の花街をぶらぶら散歩すると日本家屋はきれいだねと関心することしきり。花見小路はいつ歩いても観光客が多い。本日は祇園北側もぶらぶら歩き疎水が美しい祇園白川へ。京都へ何度も足を運んでいる友人も意外に知らない人がいて、「ザ・京都だね!」と大喜び。

京都は夏日の30度。「10月1日だから本日は衣替え」と律儀におしゃれな秋服に着替えてきた友人は上着を脱いで祇園白川で しばしのため息。京都は歴史と日本文化が息づく町で美しいね!祇園へ転居して良かったね!引退したら京都へ来ようかな!!とのこと。皆様、なるべく早く京都宅を確保しいつでも京都へいらしてください。

              珍しく歩く人が少ない祇園白川。右は柳、左は桜で春の美しさは絵のよう
              技芸上達のご利益がある辰巳大明神。正面で拝んだら祠の裏側をひと廻り