2012年9月29日土曜日

方丈記800年記念コンサートへ

やはり、京都は素晴らしい!!と心から実感。世界遺産の下鴨神社で夕刻からコンサートが開催されました。雅楽師/東儀秀樹の舞・1400年前から姿や音色が変わらない笙・ひちりき演奏、人形師/辻村ジュサブローと人形の舞、声楽家/ジョン健ヌッツォによるオペラ、作家・僧侶/瀬戸内寂聴の法話、25弦箏奏者/中村智弥の箏演奏などなど。

時々に方丈記の原文が朗読され、あっという間の2時間でした。さすがに日本を代表する古代建築の舞殿で音響効果は最高に抜群!!空を仰ぎ見れば月と星の光が降り注ぎ旺盛な虫達は演者に負けじとばかりに鳴き続け、この時間は鳥肌が立つような美しさでした。

        開演前の舞殿。席は下手前方の端でガッカリ。が、始まってみればベストポジションで大感激!
舞台上で雅楽を舞うのは東儀秀樹。先祖は奈良時代から続く家系で皇室専属の雅楽奏者

下鴨神社(方丈記800年記念)へ

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。の名文は鴨長明の随筆「方丈記」。下鴨神社の禰宜の家に生まれたが禰宜になれずウジウジした人生を送ったのは、京都を天変地異が襲った平安末期から鎌倉初期のこと。50歳で出家後、京都周辺の大原や日野で過ごし、方丈記を執筆したそうです。

舞殿で今夜、古典の日・世界遺産コンサートが。ほぼ丸い月(満月は30日)と旺盛な虫達の音と共に豪華出演者(東儀秀樹・辻村寿三郎・ジョン健ヌッツォ・瀬戸内寂聴他)による方丈記800年記念コンサートです。方丈記を改めて読んで出席しましたが、当時の京都は地震・台風・飢饉・戦乱・政治的混迷に見舞われ、21世紀の今と恐ろしいほど重なるとは・・・

                糺すの森を抜けると下鴨神社の正門が。参拝は2年ぶりのこと
             朱塗りの橋殿。この奥に舞殿が。その奥に岩本社が。その又奥に本殿が

糺の森へ

下鴨神社の糺(ただす)の森へ。この森の読み方は小6の修学旅行時に覚えて以来、なぜか忘れません。糺すの意味は調べる・責める・吟味とか。今更ですが、へ~え!こんなに深い意味が!の感。その昔、この鬱蒼とした森で裁判や処刑などが行われていたのかも?

敗戦後、下鴨神社や糺すの森が荒れていた時期があったそうです。森の中の参道は昼でも暗く女性が一人で歩くのは危険だったとか。世界遺産指定を受ける前、国の補助金できれいな森に整備されたそう。12世紀半ばに誕生した鴨長明はこの神社の禰宜の家系に生まれ、老いて方丈記を書いたのはジャスト800年前のこと。

           鴨川の今出川は2本の川(賀茂川と高野川)の合流地。真ん中の森がt糺すの森
             夕闇迫るPM6:00頃糺すの森を歩いたが今や何の不安もない静かな道

2012年9月28日金曜日

祇園の佐川急便へ

私の最寄の佐川急便です。祇園の町並みにしっくり溶け込んだデザインの店舗と手押し式の配達車。この車を押している飛脚姿の若くてカワイイ女性スタッフのイデタチは祇園名物。店内には佐川急便オリジナル小物(油とり紙やメモ帳)を販売中。彼女達は観光客と一緒に写真撮影に応じています。

京都へ引越し直後、飛脚姿の女の子が玄関先に現れ、荷物を受け取った時は「さすが京都!」とビックリ!!先日、友人宅へ宅急便を送ったが5日過ぎても未着!とか。控え伝票持参で調べたら受け取りのサインあり。今時の宅急便がそんな不手際をするはずがない。未着と誤認した友人がやや心配だなぁ。
     
    瓦屋根と板塀の佐川急便祇園店。鉢巻に胸当て付きの藍染エプロンの女性スタッフのがカワイイ

祇園歌舞練場へ

秋の都をどりが祇園の歌舞練場で10月1日から開催されます。京都には祇園甲部・乙部・宮川町・先斗町・上七軒の5つの芸子組合があるそうです。都をどりは祇園甲部の芸子さんや舞妓さんの踊りの発表会。観覧客は観光客かと思ったら、京都の友人達は毎回アチコチ選んで観に行くとか。えらいなぁ!町の人達が伝統文化を支えているってことね。

私は2年前、京都暮らしを始めた直後の1回だけですが都をどりを観に行きました。「月はおぼろに東山~」の名曲と共に開幕。初々しい舞妓さんやベテランの芸子さんまで勢揃いで楽しい一日でした。花見小路や四条通りを歩くと2回に1回は彼女達に出逢います。そういえば私のマンションにも芸子さんが住んでいますね。

         花見小路に面した立派な祇園の歌舞練場。我が家のベランダの左手に堂々と建物が
         歌舞練場の表示があり門のような舞殿のような。踊りはこの左手の近代的な建物で開催

2012年9月22日土曜日

辻村ジュサブロー展へ

平家物語絵巻縁起~清盛、その絆と希望を観た。平家物語を題材とした新作が140点も展示。平清盛をとりまく多数の人間模様を多彩に繊細に表現。この人形達は4年前から制作を創めたとのこと。独自の解釈による平家の栄枯盛衰物語を巧みに人形で表現。氏は現在83歳。人形達は「無常」の心で創り「愛情」はないとの弁。

圧巻は原因不明の熱病に苦しむ清盛。女性の着物を着て母親への思いを示し輝きのないうつろな瞳で哀感溢れた情念を表現。作者の清盛への力強いメッセージを感じる。氏は着物の生地をハサミで着る時、顔の表情を作る時、それぞれに語りかける制作シーンの映像は感無量。自己の精神世界を完結したようです。

      ポスターに使用の清盛の熱病にうなされた姿。武家の世の高みを築いた清盛の苦悩を全身で表現



2012年9月20日木曜日

清水寺へ

京都で一番有名なお寺、清水寺で毎月1回年12回講義の第1回に出席。「おもしろ清水寺学」がテーマ。京都へ転居直前「清水寺の謎」という本を読んだばかりで絶好の機会。東山三十六峰の1つ音羽山の中腹に存在し広大で壮麗な堂塔伽藍には年間500万人も訪問者があるとか。舞台から滝へ目を奪われがちだが本堂にはご本尊の秘仏十一面千手観音様が。

創建は778年奈良時代末期。奈良明日香に現存する法相宗の子島寺の第2代住職の延鎮が開祖という説が有力らしい。延鎮が音羽山の音羽の滝で修行中、白鹿が現れ討ったのが坂上田村麻呂。ここで観音様に蝦夷征伐の戦勝祈願をしたところ全戦全勝だったとか。普段内には入れない経堂での講義は多数の仏様に囲まれ荘厳な雰囲気でした。

             本堂横の江戸時代創建の舞台から京都の町が一望できる絶景ポイント
                  朱塗りの西門。仁王門と三重塔に挟まれたやや小さな門

2012年9月19日水曜日

ニ年坂・参寧坂へ

我が家から石塀小路を通ると高台寺横の二年坂へ。早朝だったため閉まっている店もあり人の姿がない。こんなに静かな二年坂と参寧坂を登ったのは初めて。最近、石段を補修したが転んだり滑ったりして怪我をする人が多い。中国マネーで売却された店舗もあり。と新聞に記載されていたので、一段ずつ気をつけて昇降しました。

約30年前、参寧坂で清水焼の素朴な人形を購入。その人形屋がまだ残っているのが嬉しくてこの坂を降りるたびに立ち寄って作家の作品達を眺めます。聞けば店主のお姉さんが人形作家とか。引越し時、人形が転んで足が折れた、と話したら無償で修理してくれました。感謝!です。

                静かな二年坂。この新しい石段が滑ったり転んだりしやすいとは
             帰りはいつも通り多くの人が溢れていた。ここを昇降するのは7~8回目かな

2012年9月16日日曜日

石塀小路へ

八坂神社の東側、東山の山裾に高低差を石塀や高板塀で巧みに垣根を作った見事な一角がある。狭い石畳の路地が続き独特の京都らしい景観です。ほとんどが料亭や宿のようで人通りが少なく静かな空気が漂いゆっくり歩くのに最適。和食とフレンチレストランが各1軒、京都の友人のおかげで馴染みができたのが嬉しい!

京都には東京や世界の有名観光地のような高級ホテルや宿が少なく、この石塀小路に1日2組の客を対象とした高級な宿が多いとか。少し前、この道でお行儀の悪い中国人の一団に遭遇した。今、尖閣問題で中国からの観光客は激減したが、どうぞ、この道の静けさをご理解いただきたい。

                   車が入れない狭い路地に、いかにも京都らしさが漂う
                  石塀と石畳の日本家屋が両脇にびっしり.。階段を4~5段上ると玄関が

佛大セミナー⑨へ

今回の講師は「ひょう亭」主人の高橋英一氏。甘味が好きで和菓子ケーキを問わず一日に5回食べるとか。南禅寺参道に構える400年の老舗懐石料亭の16代目です。子供の時から手先が器用で物心がついた時から調理場は自分の居場所だったそう。大学卒業後、東京と大阪の料理屋へ丁稚奉公へ出たのは自然の成り行きとのこと。

店先へ行ったことがあるが茅葺屋根の質素な店構え。主人が自ら育てた山野草花を育て各所に自己流で活けてお持て成しをするそうです。大宮御所へ皇室の皆様がお出かけの時、和手配を担当。皇后様は必ず草花の名前を当てるそうです。皇室関係の話を講義をしたのは初めてとのこと。今回限りの秘話が多数聞けたのは楽しい体験でした。

2012年9月9日日曜日

京都の空

我が家ベランダからの眺望は抜群。京都へ転居してよかった!とつくづく思います。転居後2ヶ月ですが今まで地震は全くなく、今朝7時、ベランダからの京都の町並みは晴天。南は京都タワーがくっきり。西は祇園の花街の家並みが眼下と西山が。北山は鞍馬山。東は知恩院奥と東山の頂上まで眺めることが。広くて大きな空を望むことができる風景です。

ここ2週間ほど夕方になると京都の町は一転俄かに黒雲が現れ土砂降りに。雷鳴と閃光が町を襲い人々が右往左往しています。藤原道真や平清盛を始め京都のあまたの人々が恐れたこわ~い天変地異の一端見られます。ところがこの私、子供の時から雷が大好きでワクワクドキドキ・・・稲妻や閃光をうっとりと眺めておりまする。

       眼下の甍は祇園南側の町屋風景。花見小路と四条通りが私の生活道路で観光客と一緒にぶらぶらと
           真ん中に平安神宮の赤い鳥井が。右端は知恩院本殿奥の東山の風景まで一望に

大阪城ホールへ

本日、元勤務先の卒業作品発表会があり大阪城ホールへ。東京校は代々木第一体育館、名古屋校は愛知県体育館で毎年開催。このイベントは1974年から開催しているが、モード学園はファッションショーが主体。HALはゲーム等のPC作品を多数展示。学生作品とは思えない見応え十分な作品達が会場一杯に溢れます。

当初から広告代理店が全体を仕切り、イベント会社のプロが演出、プロモデルを起用する本格的な作品発表会。他校とは一味も二味も異なる優秀な作品群。表彰式で受賞した学生が涙ながらに家族や担当教師や仲間達に感謝の言葉を述べるのが印象的。3地区共にアリーナに各種ブースを展示し、真ん中にはど~んとステージが。

                   立派な石垣が囲み、ドーム型のホールの全容は判りにくい
              十文字型のステージでショーを開催。プロモデル着用の作品は一様に・・・

2012年9月2日日曜日

Miki MIALY展示会へ

早朝、豊橋から新幹線で東京へ。神田の歯医者でインプラントの確認をし恵比寿駅近くのレストランで同じマンションだった友人と有機野菜のカレー屋でランチし、フランスで活躍するMiki MIALYさんの展示会場へ。3日目の最終日でしたが相変わらずの賑わいでした。彼女は私がこの春、フランスのパリ滞在中に大変お世話になった卒業生です。

Mikiさんは何事にも頑張り屋でコミュニケーション力に優れた人。パリでは友人知人が非常に多く、私は滞在中に何人も紹介されて驚きました。ホテル近くの彼女の自宅とアトリエへ何回も訪問しましたが多忙な仕事の間に、何度も手料理を振舞ってくれ、親しい友人達と一緒に美味しいレストランで楽しく何回も。本当にお世話になりました。今後共に充実した毎日を送ってください。

          Miki MIALYさんのパンフの表紙。カジュアル・エレガントな作品のファンは世界中に
             どの写真も美しい。彼女の感性、優れたクオリティが豊かに表現されている

渥美半島へ

愛知県渥美半島の両親の墓参りに。農産物で有名な田原の先が父の故郷です。私が育った豊川から車(兄の運転)で1時間30分の遠距離。しかしながら子供の頃は飯田線・渥美線の電車を乗り継ぎ田原からバスで海沿いの道を走って江比間まで3時間以上の長い道程。父の実家は夏休み、毎年遊びに行く大切な海辺の家でした。

本家のお婆ちゃんが草鞋を新調し待っていてくれるのが楽しみでした。水着に着替え草履を履き浮袋を持って川へ入り沢蟹や魚を探しながら150mほど下るとそのまま三河湾の江比間の海岸へ。子供にとって冒険心を満足させてくれる絶好の遊び場でした。江比間の海は透明度が高く海水浴場として有名でしたが、現在は川も海も護岸工事が施され遊泳禁止に。

             墓前に広がる三河湾の海。対岸には蒲郡や形原が見える絶景ポイント
       曹洞宗の末寺の成道寺が伊藤家の菩提寺。私はおっ様から先祖の話を聞くのが好きでした