2013年7月31日水曜日

暑中お見舞い申し上げます

東京の友人からカワイイ金魚の暑中見舞いが届きました。どうぞ!皆様におすそ分けいたします。京都の夏は想像以上に暑くて暑くて蒸し暑くて熱中症になりそう~。気温は35度前後、湿度は高い時は室内で80%もあると聞きビックリ仰天!!板前さんによると2・8月は観光客が減少するそうです。

京都の皆様は「そ~う、そんなに暑い?」という人と「でしょ!」という人と。体感温度は人それぞれ異なるものですが。落語家は顔から汗を流して高座に上るとお客様に失礼だから訓練で汗をかかなくする、とは以前に何かで読んだ記憶です。根性不足の私にはとても無理な話。暑い夏も寒い冬もトンと苦手な私です。

              金魚は真っ赤なのに涼しく見えるのはなぜ?とは子供心に抱いた疑問

2013年7月29日月曜日

愛宕念仏寺へ

再び、愛宕(おたぎ)念仏寺(天台宗・厄除け千手観音)へ。優しいご住職がツアー一行のためにご丁寧に境内をご案内くださいました。感謝します!奈良時代の建立から今日までの流転は涙が出るほど凄まじく・・・千手観音様は大正時代、手が全てなかったそうです。鎌倉様式が美しい本堂は重要文化財。化野念仏寺から徒歩7分北へ上った所です。

昭和56年~10年間、1200人の一般参拝者の手で千二百羅漢様が彫られました。 お顔は一様に穏やかで優しく微笑んで。彫った人々の人生や想いが溢れ、ほど良く頭・肩に苔が覆い始めました。羅漢堂では全員畳の上に寝て、先代住職が描いた蓮華蔵世界の天井画の説明がありました。結びは「あなたも仏」深いふか~いお言葉でした。

            ギターを持ったりカメラをぶら下げたり子供を抱いたり夫婦仲良く肩を寄せたり
           右は鎌倉時代建造の本堂、左は多宝塔。人はなぜか自分の顔に似た羅漢様を彫る



渡月橋へ

バスを降り京都新聞ツアーの一行は嵐山の渡月橋を渡り、中洲を越え橋を渡って対岸の渡月亭で和食の昼食を。真夏の日曜日、橋を往来する観光客はやたらに多かったです。事のほか蒸し暑い日で私は人生初体験の大汗をかきました。真夏のGOLFも汗が出ず汗線が潰れていると思っていましたが、この歳で汗だくとは・・・

いつも嵐電の嵐山駅から渡月橋を眺め、あんなに長い橋を人々が往来するのが不思議でした。3年前、阪急電車の桂駅で乗り継ぎ嵐山へ行った時、対岸の嵐山駅を知って納得しました。以来、行きは阪急、帰りは嵐電を利用することにし渡月橋を歩くことに。渡月亭滞在は天然温泉入浴可でしたが、私は畳で寝そべってひと休み。

           桂川の水量はやや多いかも。京都は雨が降るとどの川も増水し流れが速くなる
               左が対岸、右が中州の桂川。舟遊び用の和船が係留し情緒100点満点

西芳寺(苔寺)へ

西山洪隠山の麓の世界遺産西芳寺(臨済宗・阿弥陀如来様)、通称「苔寺」へ。念願の苔寺参拝は6月のそぼ降る雨が相応しいと考えましたが都合よく参拝できません。京都新聞社ツアー(7月28日)で参拝が可能になりました。30代の頃、普通に参観できましたがすでに苔が傷み始めて。京都一高価な拝観料(3000円)ですが、成果は如実です。

配布は西芳寺庭園案内・般若心経・座禅和讃・御札でした。沿革・宗派・ご本尊様がどなたか知らぬまま本堂に通されツアーと当選者が揃って、黒髪の僧侶と共に般若心経を3回読経しました。座禅和讃は僧侶のみ読経。苔寺の庭園は私の記憶よりはるかに広く静かに存分に堪能しました。湿気の多いこの地に苔が適したそうです。

     携帯カメラはバカチョンで色に問題が。白い箇所は陽の光が当った場所で緑のジュータンが びっしり
            皆様、苔寺HPで綺麗な写真でご確認を。今年の梅雨は雨が少なかったがお見事


法金剛院へ

京都市花園の法金剛院(律宗・阿弥陀如来様)へ。この寺は平安初期のさる右大臣が山荘を建て、死後、寺としたもの。別名「蓮の寺」とも呼ばれているそうです。後に待賢門院が極楽浄土を模して造らせた庭園は数少ない平安様式が現在もそのまま残った貴重な庭です。法金剛院参拝は2回目。いずれも蓮の花が満開の頃です。

極楽浄土に咲くという清楚でしかも華麗な蓮の花の見頃は7月初め~8月上旬。 阿弥陀如来様の広い心のような大きな濃緑の葉の上に、細い茎がまっすぐ伸び、白やピンクの大輪の花々が数知れず。実家近くの寺の濁った池の蓮もインドで見た蓮も花が白で小さく、これが極楽浄土に咲く?が長年の疑問でしたが、京都で大輪を見て大納得しました!!

               鮮やかな大輪の花が仲良く並んで。咲く時ポンと音がするとかしないとか
              早朝に咲くが陽が高くなると花びらがしぼむと教えてくれた人も。どれが本当?







2013年7月24日水曜日

満月酒宴へ

23日は満月。京都の青年が昨年11月から2ヶ月1回満月に酒宴を開催しています。満月の日は①親しい人と仲良く②親しい人と争わない③世界中の満月の夜、争いのない平和を願って・・・が開催趣旨です。美味しい中華料理の数々と伏見の老舗酒蔵山本本家とキリンホールディングがお酒を提供くださり、ありがとう!

東華采館の屋上で鴨川や南座を見下ろし、涼風の中、京都条例の「日本酒で乾杯!」。美味しい料理に舌鼓を打ちながら皆で曇天を見上げ、ひたすら満月を願ったら終宴間近、待望の満月が闇夜に顔を出しました。京都の月は東京に比べて大きく真黄色です。晴天の東山から昇る月は思わず手を合わせるような神々しさ・・・
 
                  残念ながら写真の満月は小さいが見た目はずっと大きくて
満月酒宴のブログより。ご覧の皆様。次回は9月21日です。若者に多数会えますよ



2013年7月23日火曜日

祇園祭⑤へ

八坂神社の神様は、四条通りのお旅所の神輿に乗って町を清めます。八坂神社へ戻るのは24日の神輿渡の日。平安時代、京の都は疫病が大流行。八坂神社の神様に疫病祓いを祈願し祀りを始めたのが始まりだそうです。以来、祇園祭は庶民主体で約1000年の長い歴史を持つ、京の夏の風物詩になりました。

町の人々はチマキを玄関ドアの内側に飾って厄払いします。昨年は長刀鉾のチマキを求めましたが今年は八坂神社のチマキを・・・どうぞ1年間無事に過ごせますように。69歳の身体は当然ながらアチコチに痛みが始まって。京都暮らしを始めてから数々の神仏に身体の無事を祈り、時にはピンピンコロリを願う日々です。

            四条通り新京極のお旅所です。金色の神輿が3基厳かに。数々のお供えが
              先導役の神官や白装束の町衆が手に手に運んだ弓や剣が展示されて

祇園祭④へ

祇園祭は7月1日~31日の長丁場です。17日は山鉾巡行。朝9時先頭の長刀鉾のお稚児さんが今年は綺麗に注連縄を切って、いよいよ動く美術館と言われる山鉾32基が京都の町を巡行しました。PM6:00、八坂神社の舞殿の3基の神輿に乗った神様が、南楼門から出て石段下へ。3基の神輿がぐるぐる廻って町中へ・・・

西楼門の階段で神輿を見ようと、30分前に到着したら、ナンとすでに超満員。八坂神社内に下がって遠めで拝見しました。馬に乗った武者、白い神官衣装の共揃いなど長い行列が四条通りをゆっくりと歩いています。3基の神輿はエッサエッサと町へお出まし。友人の祇園南側のお茶屋には、神輿が玄関先まで入って来たそうで総勢100人の担ぎ手がいたそうです。

左は八坂神社の本殿。右は舞殿。舞殿の神輿に乗った神様がいよいよお出まし
             西楼門の向こうは四条通り。門の真ん中には長い行列や神輿を担いだ人々が




円山公園の枝垂れ桜へ

祇園祭の暑い日、久し振りに円山公園内の日本一有名な枝垂桜にご挨拶。樹齢80余年の高齢のため伐採された枝も多く、立ち姿は美しいというより哀れを感じる昨今です。今年は桜の季節から枝先に細いロープで、うな垂れかかる枝をピンと張っています。そのせいか高齢でも幾分堂々と見えて嬉しいです。

桜守と呼ばれる佐野藤右衛門さんは、西山の麓近くに住む庭師の10代目。現在の円山公園の枝垂桜は先代の9代目が、10代目が誕生した年に植えたとか。10代目の藤右衛門さんは、すでに新しい枝垂桜を育て、いつでも植え替え可能なように準備中です。私が初めてみたのは20歳の頃。大木の枝垂桜の美しさは感動的!

        葉桜満開の枝垂桜。 夏の訪問者は大木の枝垂桜を見上げ満開の桜の花に想いをはせる


2013年7月17日水曜日

祇園祭③へ

15日(祝)は祇園祭の宵々山で人出は23万人とか。その前に4人で祇園北側の和食料理「川柳」でコース料理を食べましたが、妹と息子夫婦は美味しい!と見事に完食。馴染みの店主が「今日はよく召し上がりましたね」とのこと。実は甥が、私が残した分まで食べてくれました。全員あまりに満腹のため御池通り室町通下るまでタクシーを利用。

例年になく涼しい祇園祭でどの通りも人がいっぱい。山鉾が展示された通りは屋台や店開きする会社があり人人人の波。警官に通行止めされ迂回を宣告されたが「私の家はあそこ!」と指さして強引に通行。「ズルしちゃダメ」と甥に叱られたが遠回りはゴメンです。室町通りを南下、蛸薬師通りを東へ、烏丸通りを南下、四条通りを東へ・・・

                 早歩きで通過したためチマキを買い忘れ、斜めに撮影した長刀鉾
室町通りの鯉山。鉾は車輪で動き、山は担いで巡行する(幕の下に小さな車輪が)





竜安寺へ

西山の麓の竜安寺へ。元々徳大寺家の別荘だったが、1450年細川勝元が譲り受けて寺地とし、創建とのこと。臨済宗妙心寺派の禅寺で世界文化遺産です。応仁の乱で焼失し1499年に再建。江戸時代の火災で多くの堂宇を失ったそうです。あまりに有名な方丈前の枯山水の庭はいつも静かに佇む人が・・・

庭は白砂の上に15個の石を配して。東西25m×南北10mの小さな庭ですが、菜種油を混ぜた油土塀に囲まれて極端なまでも象徴化された庭石の意味は謎に包まれ、見る人の自由な解釈に委ねられている。初訪問は20歳の頃。禅の意味を知りたくて約15分座って石を眺めたが、何も悟らずムムム・・・

             どこから見ても15個の石の全てを数えられない。今回も端から端まで歩いたが


2013年7月16日火曜日

金閣・鹿苑寺へ

金閣寺と呼ばれていますが正しくは鹿苑寺。お釈迦様の舎利を祀った舎利殿「金閣」があまりに有名ですが臨済宗相国寺派の禅寺です。鎌倉時代は西園寺家の別荘だったが足利三代将軍義満が気に入って譲り受け山荘「北山殿」に。金閣を中心とする建物や庭園は極楽浄土をこの世に現したそうです。なーるほど。

足利義満没後、遺言により夢窓国師を初代の住職として迎え、義満の法号から二字をとって鹿苑寺と名づけたそうです。西の衣笠山を背景とする金閣寺は金が好きな中国人観光客が必ず参拝するそうで、本日も会話が実に賑やか。庭園・池・建物・森林ともに存分に手入れされ、世界文化遺産に相応しいお寺です。

           鏡湖池に映る金閣寺。境内は想像よりも広大な敷地で義満の権力が伺える
             池を右に廻ると金閣が目前に。次回は金閣に雪が積もった時に来たい!



清水寺へ

清水寺は平安時代初期、坂上田村麻呂邸が建てられ、その後寺になった古刹。高台寺から三年坂・二年坂を上る細い参道は年中若い男女が溢れている。今回は4人のためタクシーで二年坂下までズル参拝。修学旅行で京都訪問すれば必ず訪れる清水寺は京都一の人気スポット。浴衣着用者も多く各国の言葉が入り混じっていました。

今回は、初めて髄求堂の体内巡りを体験。本尊の大髄求菩薩はどんな願いも叶えてくださる大悲の母仏。堂内へ入るとすぐに真っ暗闇。ロープを伝って微妙に右や左へ巡ると一点の光明の下に大きな石が。梵字が書かれた不思議な石を手でぐるぐる廻す間に、1つ願掛けすると叶うとのこと。体内を一巡し再生するそうで、ピンピンコロリを祈願しました。

                  清水の舞台が完成したのは江戸時代。願かけて飛び降りた人が多数とか。今は厳禁
          本堂へ向かう時、ついつい舞台方向へ目が行くが今回は天井の豪華な照明をパチリッ!



円徳院へ

北政所が高台寺の西側で生活の場としたのが円徳院。本殿には教科書で知られた秀吉の肖像画があり北政所・大政所の肖像画も。今回は本殿横の500年前に造られたお茶室で、私の妹・息子夫婦とお抹茶を頂戴。障子超しの薄明かりの中、4畳半の和室はひんやりと涼しく一服の涼で桃山時代に思いを馳せて。

北庭は小堀遠州作。鳥羽伏見城築城の際、絶大な勢力を誇った秀吉に各大名がこぞって寄贈した各地の名石が所狭しと並んでいる。絵師長谷川等伯が住職に何度懇願しても襖絵を描かせてもらえず、留守中にこっそり上って襖に墨絵で一気に書き上げた松林図が大好きです。今回は展示数が少なくてガッカリ!

          見事な石の数々。鳥羽伏見城消失後に運び並べたそうで枯山水の庭は贅沢な空間



高台寺へ

豊臣秀吉没後、その菩提を弔うため夫人の北政所が1606年に建立した寺。建設に当たって徳川家康から多大な財政援助をうけ、東山霊山の麓に広大な敷地を有して創建され当時の寺観は壮麗を極めたようです。北は現在の四条通の茶屋一力から八坂の搭辺りまで。度々の火災で多くの堂宇を失い、敷地も狭くなったとか。

当時の建物が500年の時を経て、現存するのは開山堂・霊屋・傘亭・時雨亭・表門・観月台のみで国の重要文化財。霊屋は秀吉と北政所を祀る場所。厨子内の左右にお二人の木像が安置されています。方丈から眺める庭園風景は素晴らしく、紅葉や桜の季節、夜間ライトアップで池に映し出される開山堂は息を飲む美しさです。

                               ねねの道の途中に高台寺への長い石段が。左側に水の流れがあり涼やか
       方丈から勅使門を臨む白砂の庭は憩いの場所。誰もが軒先に腰を降ろしてしばしの時を



2013年7月13日土曜日

祇園祭②へ

仏教大学社会人セミナーは四条烏丸交差点の北東角のビルの4階。私は週1~2回受講するが、本日の講義タイトルは「歌舞伎の家とその一門/尾上菊五郎編」。交差点から東へ約100mの場所に祇園祭の先頭を練り歩く長刀鉾が。今まさに組み立ての真っ最中(3日目)でした。釘は1本も使わず全て縄で締めるとのこと。

我が家は八坂神社の斜め前のため毎日、部屋の中までコンチキチンのお囃子の音が。10日の夜は神輿を担ぐワッショイ!の掛け声が聞こえベランダから覗き見。神輿洗いのため鴨川まで行き、神官が汲んだ水で清めて戻ってきたそうです。13日は長刀鉾他の曳初め。14日の宵々々山~17日の山鉾巡行のクライマックスへ

               ペルシャ絨毯や西陣織の豪華な装飾が四方に張られ提灯が灯ると








2013年7月12日金曜日

小山園へ

御池通り西洞院下るの小山園のカキ氷は絶品です。日光氷室の天然氷を使用し極め細かくかくため、口に入れると淡雪のように溶けて頭がキンキンしないのです。本当ですよ。夏季限定ですが、私はこの夏2回目食べ3回目は待ち人が多く断念しました。我が家から小山園まで歩くのはやや遠いのですが、暑い日は無性に食べたくて・・・

いつも抹茶小豆を注文しますが、お茶メーカー経営のため抹茶がとに角美味しいです。私は暑い太陽の日差しの下で氷を食べるのは好きですが、クーラーの効いた店で食べると必ず残していましたが、小山園のカキ氷はいつも完食。京都は連日35度を越える蒸し暑い毎日です。あーぁ、明日にでも小山園に行きたい!!

              残念ながら写真の上が切れましたが、左は追加の抹茶、右は練乳





2013年7月4日木曜日

祇園祭①へ

八坂神社の祇園祭は7月1日~30日までの長丁場のお祭です。その始まりは貞観11年(西暦869年)。都を始め諸国に疫病が蔓延し、人々はこれを牛頭天王(八坂神社)の祟りとして恐れた。そこで国と同じ数の鉾を立てて祭りを行い、神輿を神泉苑に送って疫神の祟りを祓おうとしたことが祇園祭りの始まりとか。

盾と鉾は町内ごとに豪奢を極め、遠くはペルシャから絨毯を取り寄せ金襴緞子や西陣織をふんだんに使った盾や鉾がコンチキチンのお囃子とともに真夏の京都の町に鳴り響いています。7月に入ったとたん京都の町は祇園祭りムード満載に。四条通りや河原町通りのアーケードは提灯や幕が張られいよいよ・・・

                高島屋店内は祇園祭の展示がアチコチに。美しい鉾が3基並んで
                     店内に飾られた情緒豊かな提灯と祇園祭屏風



エクシブ京都へ

豪華会員制ホテルのエクシブ京都八瀬の中華レストランへランチに。京都の友人で食べることが大好きで京都の美味しい場所をよくご存知な人が、ドライブがてら連れていってくれました。鞍馬や大原方面へ行く道の緑が美しい閑静な空間に優雅な佇まいが。広々としたスペースに包まれた癒しのホテルです。

エクシブに到着したとたん、ガラス窓の向こうはバケツをひっくり返したような大雨が。ゆっくり食事した後、ホテルを発つ時は小雨に変わって一安心。京都八瀬のエクシブは何かと話題の会員制ホテルで一度行ってみたい場所でしたが、友人に感謝感謝!!中華料理は上品でどれもが美味しかったです。

エントランスから正面サロンへの通路。左右には手入れされた百日紅が
                   雨のため噴水は中止の正面入口。夢空間へのご到着演出が素晴らしい








2013年7月1日月曜日

愛宕念仏寺へ

愛宕山は京都の町から見える一番高い山です。愛宕山の麓の愛宕念仏寺へ行ってきました。ご親切な方がカメラやギターを持った石仏のお寺がある、と誘ってくださったのです。創建は700年代後半で山城国の愛宕(おだき)郡に愛宕寺(おだきてら)として。その後祇園の南側で1000年以上の歳月の後、大正11年に当地に移築されたそうです。

昭和56年寺門の興隆を祈願して「千二百羅漢落慶」を発願。1200人の一般の参拝者の手によって彫られた羅漢さんが丁度良い加減に苔を頭に被って親しく笑って迎えてくださいました。カメラやギターは祈願者の趣味だったのでしょう。御酒を酌み交わしたり男女が寄り添ったり、その表現は実に豊かでした。

       ご本尊は鎌倉時代の厄除け千手観音、本堂は重要文化財。屋根は鎌倉様式の美しい曲線
              境内のあちこちに1200体の羅漢さん。10年の歳月で落慶法要したとか






大極殿跡へ

平安京(794年)が始まった頃、南北に走る都大路は現在の千本通りでした。現在の京都の中心は烏丸通りです。京都の町全体が1200年の間に火災で焼かれ、再建されるつど、御所を含んで全体にやや東へ移動したことになります。千本通りと丸太町通りの交差点の北西に大極殿跡がありました。

大極殿の建物は奈良の平城遷都1300年の2010年に、実物大で建物が再建されました。当時、私は京都で仮住まい中だったため、平城京内の大極殿を見に行き、強い印象を持ちました。大極殿は天皇の即位の礼や国家的儀式に使われた壮大な建物です。現在は京都の街角の住宅の影にひっそりと。なにやらパワーを感ずる場所でした。

                   京都の町を歩いていると幾多の史蹟に接することがある。ここには1,000年の歴史が