2012年10月27日土曜日

円山公園へ

朝7時の円山公園はどこも静寂そのもの。東山の山裾のため起伏がありウォーキングに最適です。稜線から朝日が神々しく昇ってきました。園内には祇園枝垂桜が多数ですが、葉がほんの少し色づき始めました。ここを毎朝歩けば季節の移ろいを肌で感じることが。1年間頑張って歩かなければ!

円山公園は一日中人の往来が絶えない京都の観光名所。実は転居直後、朝6時に歩いたがベンチの浮浪者に遭遇し人けの無さにひるんで1回で中止。思えば6時では早すぎただけのこと。今朝は遅めの9時だったが修学旅行の小学生や外国人が元気に参拝。カメラのシャッターを計3組押し彼らの思い出の1ページに協力を。

             朝7時の朝日。ピンボケの携帯カメラでも朝の光はまぶしく一日の活力を
             日本一有名な祇園枝垂桜。樹齢80余年の老木ですが春には満開の桜の花が

八坂神社へ

一昨日朝7時我が家の氏神様八坂神社へ参拝しました。ご近所なのに毎日のように西楼門前を歩いているのに久し振りです。神様、不心得者ですみません。京都転居時、毎朝八坂神社へお参りし円山公園をウォーキングと心したのに1度きりで中止。今朝は落ち葉を掃き清める人のみの静かな境内でした。

古事記に登場するスサノウノミコトを祀る神社。実家の小さな神社も同じ神様です。これも何かのご縁でしょうか。これから毎朝参りますとお詫びし今後の安寧を祈願しました。今日で3日目の参拝。私は賑わう西楼門からではなく南側の大鳥居から南楼門を潜り舞殿を巡って本殿へ進む道を歩きます。

              提灯が多数掲げられた見事な舞殿。古代のコンサートホールは堂々と
              東山から上った朝日に輝く八坂神社本殿。秋空が青く澄んで穏やかに

2012年10月23日火曜日

鞍馬の火祭へ

京の御所の北の護りの鞍馬寺へ。ケーブルカーと急な階段を昇りきると目の前が明るく広がり本殿が。そして振り向けば西の護りの比叡山がくっきりと。ご本尊の毘沙門天様にお参りし信楽管長様の法話をじっくり拝聴。暖かい気持ちを抱いて下山し仁王門前の山菜料理の擁州路にて火祭を4時間30分、じっくり堪能しました。

鞍馬の町やお山に住む人々は年に一度の火祭に全てをかけるという。刺青を模した肩掛けに褌姿の男達のお尻が可愛らしい。西陣織の前垂れや女性の長襦袢を模した羽織姿が美しい。男衆のサイレイヤサイリヨウ!(祭礼や最良!)の掛け声が鞍馬のお山に鳴り響き、2基の神輿が身を震わせ無事を祈願する・・・

           夕闇せまる午後6時、祭礼が始まる。大小の松明が灯され鞍馬の町が燃え上がる
          松明は杉板や杉の葉を使用し藤つるで縛って作るという。クライマックスは午後10時頃

時代祭へ

秋晴れの22日、京都三大祭のひとつ時代祭が盛大に開催された。行列は京都御所を出発し市内を巡って平安神宮へ。明治維新から平安時代まで遡る壮大な時代絵巻で参加者は2000人。私の見物は今回で2回目。視点を変え行列がスタート前の順番待ちする皆様に「この衣装はどの時代ですか?」と声をかけ・・・

その後、出発地の京都御所の建礼門前へ移動。私の京都の友人達は行列に参加したり平安神宮で踊ったり。京都市民の役割をきちんと担っている。2000人分の衣装を準備・保管・新調するなど大変な努力が今日の行列に現れている。1200年の歴史を刻む京都の雅な祭の底力を改めて実感しました。

       最後尾の平安初期高官衣装で平安講社第一社の皆様。いよいよ2時間余の行列が始まる
          左端は平安末期常盤御前。お腹に牛若丸を抱えて。化粧し鬘を被り衣装を着て 

2012年10月21日日曜日

御茶屋さんで偲ぶ会

今年3月、40年余の長いお付き合いの旧友が亡くなりました。遅ればせながら彼女を偲ぶ会を祇園の御茶屋さんで賑やかに。参加者は名古屋・岡山・松阪・大阪・京都から計13人。なかに着物の方が3人いて大感激!さすが日本人の心遣いですね。2年前京都暮らしの際に知り合った御茶屋の女将の娘さんの計らいでとても楽しい偲ぶ会に。

ナンと舞妓さん2人と芸子さん2人の計4人も。一番若い舞妓は16歳でしたが、さすがに応対のプロ集団。軽妙洒脱な会話や仕草が素晴らしい!その昔銀座や北新地で豪快に遊んだ元同僚の弁では「彼女達は誇り高く優雅だね」とのこと。舞妓さん・芸子さんと話したのは初めての人達は「冥土の土産に!」と大笑い。楽しく笑うことはいいですね。

       金屏風の前で優雅に踊る芸子さん。日本の美、優雅の極みここにあり。吉田先生、楽しかったね!!
         月はおぼろに東山~の祇園小唄を3人で。つかの間の夢の時間を三日月の夜半の茶屋で

2012年10月19日金曜日

滋賀県立美術館へ

石山寺縁起絵巻全巻展示を見たくて見たくて県立美術館へ。京都新聞の記事に誘われてイソイソと出掛けたのに。石山寺縁起絵巻の全貌を展示。史上初。重文全7巻同時公開。色あせぬ信仰の心。時を越えて。完成に480年、寺の永続願い・・・魅力的な新聞の見出しに惹かれて。

三井寺前からタクシーに乗ったが遠かったぁ!縁起絵巻は最近描かれたような鮮やかな色調=写本で拍子抜け。しかしながら私は、石山寺縁起絵巻に関して紫式部が源氏物語を書き始めた寺という認識しかない。事前に本を読み内容をじっくり把握した後、訪問すべきでした。反省!反省!!

             滋賀県立美術館。大津市の外れで大津市民も車でなければ不便な場所
               ポスターを写メで撮影。今考えれば、あまりにも色鮮やかでいと美しい

大津市歴史美術館へ

祇園の最寄の板前料理屋で偶然出会ったご親切な学芸員さんのお招きで当館へ。今回のテーマは「阿弥陀さま」展。ほとんどの阿弥陀様は滋賀県内の寺院から出品されたとのこと。法然上人没後800年記念、親鸞聖人没後750年記念で開催。阿弥陀様は南無阿弥陀仏と唱えれば誰でも極楽浄土へ・・・

平安中期に僧恵心が往生要集を著して以来浄土教が比叡山天台宗の中核に。今回の展示は私達を極楽浄土へ導いてくださる阿弥陀様がずらりと勢揃い。平安中期(藤原時代)から鎌倉時代、運慶快慶を生んだ仏師慶派の作が多数。穏やかな優しいお顔・なだらかな肩の線や服装のシルエットが特徴の仏様達でした。

                 大津市歴史美術館。園城寺の北側に位置し立派な石垣が続く
美術館の前には琵琶湖が大きく広がり滋賀県らしい雄大な風景が

園城寺(三井寺)へ

滋賀県の三井寺へ。三井寺=園城寺とは知らなかった!その歴史をひも解くと正しくは総本山園城寺だが天智・天武・持統天皇の産湯に用いた霊泉があり御井(三井)の寺と呼ばれたことが由来するとか。創建は奈良時代。長い歴史の中で再三の兵火で消失したが豊臣や徳川の尽力で再建されたのが現在の建物です。

滋賀県大津駅は京都駅からJRで2駅の至近距離。春の桜・秋の紅葉シーズンはことさら美しいとはタクシー運転手の弁。京都は観光客で混んでいるが滋賀はいいですよ、とのこと。園城寺は長等山の山裾にあり琵琶湖からも近く、現在も広大な敷地の中に著名な堂塔が多数あり、ぶらぶら歩きには最適です。

              重要文化財の仁王門。徳川家康が甲賀の常楽寺から移築寄進したとか
         国宝の金堂。ご本尊様の弥勒菩薩様は天智天皇が信仰した霊像で秘仏として静かに祀られて

2012年10月17日水曜日

佛大セミナー13(古事記)へ

古事記が書かれて丁度1300年(西暦712)。日本は今、ちょっとしたクール古事記。夏、京都現代美術館で「大出雲展」が開催されて友人のお誘いでに観に。出雲では最近、直径3m以上もある古い巨大な木柱(3本展示)が発見され、柱を元に天高く階段を上る巨大神殿模型(1/20)が再現されていました。早速、佛大の古事記セミナーで俄か学習を・・・

平城京遷都が714年、日本書紀が書かれたのは720年。古事記はローカル都市の出雲で書かれ、日本書紀は大和朝廷の奈良で記載。2つの神話の相違が今回の講義でよく理解できました。古事記はスサノオノミコト=大国主命から現代の皇室へと繋がれていくが日本書紀は神武天皇からスタートする。第2回以降の講義が楽しみです。

          四条烏丸交差点の北東角に佛大の社会人セミナー会場が。受講が目下の私の趣味

2012年10月9日火曜日

由岐神社へ

鞍馬寺鎮守社の由岐神社へ。由岐神社は鞍馬寺仁王門から徒歩数分です。鞍馬寺は急斜面の山の中ため往復徒歩で参拝するのはやや大変。従って往路は途中までケーブルカーを利用し階段を登ります。参拝後、復路に九十九折れの坂道を下ったところに由岐神社が。

源義経・鴨長明・和泉式部・・・歴史上の華麗な人々や一般の人々まで一体何人がこの坂道を往復し鞍馬寺や由岐神社を参拝したことでしょう。毎年10月22日開催の鞍馬の火祭はこの由岐神社の祭礼で1200年余の歴史を持つ勇壮なお祭。私は今年で3回連続、友人達とともに優美で厳かな鞍馬の火祭へ。

                                由岐神社の鳥居。 拝殿は戦国時代末期に豊臣秀頼の寄進で再建
                               
               鳥居と拝殿の中間に樹齢800年の直径2mもありそうな大杉が天高くそびえ立つ


鞍馬寺へ

京都へ転居して3ヶ月。ようやく念願の鞍馬寺を参拝しました。早く伺わなくては・・・と考えつつ暑さに負けて引き篭もりの日々。鞍馬寺は私にとって特別な大きな存在です。鞍馬寺と親しい大阪在の友人のおかげで何回も参拝し、幸いにも管長様の法話を何度も伺う機会を得ました。森も木も活き活きと。

いのちの環。自然を敬い、自然に感謝し、自然と共に生き、自然に教えを聴き、自然の中に自分と同じいのちをみつける。草木や鳥、虫も菌も石も、互いに捧げ合い扶け合いながら、互いに摂取し合い消滅しながら共に生きるいのちの環。めぐる大自然の環の中に私たちも生かされている・・・・

               鞍馬駅から徒歩2分で仁王門へ。ここからいのちを考える時間が始まる
         ケーブルカーと階段を昇ると本殿金堂が。創建1200余年の古寺。振り返れば比叡山が

2012年10月8日月曜日

高橋由一展へ

国立近代美術館で開催中の高橋由一展へ。実は先週台風到来の時、西宮在の友人と出掛けたが生憎の閉館でした。折角2人で雨風にも負けず出掛けたのに!由一は近代日本洋画界の先達ともいえる人で鮭・花魁が有名。江戸時代最晩年に武家に生まれたが早くから油絵に着目したそうです。*携帯を忘れたので写真なし

由一展は初めて拝見。生涯画壇の評価は高くなく不遇な時代を送ったそうだが、確かにそうでしょう。私には由一さんの迷いがよく判る。理解できない構図が多々。なんか落ち着きが悪い。鮭をあんなに大きく描かずとも?この絵が評価されたようだが本人は満足しただろうか?肖像画が多いが食べるために描いたように見えるのは私だけ?

2012年10月6日土曜日

三条大橋へ

久し振りに鴨川の三条大橋を渡りました。傍らに弥次さん喜多さんの像が。江戸時代、三条大橋は東海道五十三次の最終地点でした。笑顔の素晴らしい2人は生い茂る柳の下に立っているため気づく人は極めて少ない。いえ最近の若者は弥次さん喜多さんを知らないかも。

江戸時代、東海道を通過する人は5000人もいた、と何かで読んだ記憶がある。日本橋を発ってから、ここ三条大橋へ到着してホッとひと息ついた人はどの位いたのだろう。3連休の初日、三条大橋はかなりの人でした。四条大橋の人出と変わりがないかも。橋には立派なギボシをかぶった欄干がいくつもありました。

           私の背丈より約1m高いギボシ。三条大橋は鴨川にかかる橋の中で一番立派!
       東海道中膝栗毛を書いた十辺舎一九の弥次喜多の像。足元の丸石をなでると順調な旅が

瑞泉寺へ

豊臣秀吉の甥の関白秀次を祀る寺です。三条大橋の近くですが当時の鴨川は現在の河原町まで横に広く筋状の川が何本も。寺の位置は中洲だったとか。秀頼生誕後、秀次はあらぬ疑惑で関白の地位を追われ高野山で果て、その時、妻子など36人が鴨川の中州で処刑され、その地に建てられたのがこの瑞泉寺です。

高瀬川沿いの一角にひっそりと瑞泉寺がありました。私は今まで何回も通ったのに気づかず大変失礼しました。晩年の秀吉は我が子秀頼可愛さに政道を誤り、その犠牲になった一族です。後に鴨川の氾濫で寺は消失したが後日3つの墓石が汚泥の中から発見され同じ場所に再建されたそうです。

          瑞泉寺境内。右へ曲がると関白秀次の墓と一族の小さな墓がずらりと並んでいる
       明治維新の廃仏毀釈時、寺に使われていた瓦の真ん中に菊の紋章があったが配慮して削ったとか

2012年10月3日水曜日

ウエスティン都ホテルへ

六波羅蜜寺の住職の講演会「六波羅・彼岸と此岸再発見」に出席。ただ今NHKで平清盛を放映中のためタイムリーな企画です。平家は清盛の最盛期六波羅に広大な敷地(5200の家屋)を保持。創建は平安中期963年。開祖は空也上人。京都は火事が多くほとんどの神社仏閣が焼けて再建されたがこの寺は1050年間一度も焼失していないとか。

空也上人は天変地異の結果、荒れ果てた都の庶民救済のため自ら十一面観音を彫り車で御仏をアチコチへ連れて新たな井戸を掘り南無阿弥陀仏の念仏を唱えました。大伽藍は最盛期東京ドーム22個分も。従って寺には国宝・重要文化財・有形文化財他が2000もあり秘仏の御本尊は12年に1回のご開帳で幸いにも今年の11月3日から。ぜひとも拝観に伺わなくっちゃ!!

   ホテルの車の出口へ入って行ったら守衛さんがNo!No!Leftへ・・・とのこと。又外人に間違えられた??