2012年10月6日土曜日

瑞泉寺へ

豊臣秀吉の甥の関白秀次を祀る寺です。三条大橋の近くですが当時の鴨川は現在の河原町まで横に広く筋状の川が何本も。寺の位置は中洲だったとか。秀頼生誕後、秀次はあらぬ疑惑で関白の地位を追われ高野山で果て、その時、妻子など36人が鴨川の中州で処刑され、その地に建てられたのがこの瑞泉寺です。

高瀬川沿いの一角にひっそりと瑞泉寺がありました。私は今まで何回も通ったのに気づかず大変失礼しました。晩年の秀吉は我が子秀頼可愛さに政道を誤り、その犠牲になった一族です。後に鴨川の氾濫で寺は消失したが後日3つの墓石が汚泥の中から発見され同じ場所に再建されたそうです。

          瑞泉寺境内。右へ曲がると関白秀次の墓と一族の小さな墓がずらりと並んでいる
       明治維新の廃仏毀釈時、寺に使われていた瓦の真ん中に菊の紋章があったが配慮して削ったとか