2012年1月21日土曜日

雪の伊吹山(滋賀)

この季節は新幹線開通当初、米原や関が原辺りを通過すると大雪で、モノトーンの神秘的な風景が広がっていました。徐行運転が常で30分早く乗車したものの、遅刻しないかドキドキしたものです。しかし最近は、技術革新の進化で雪で遅れることはありません。また温暖化のせいか、今回の新幹線の往復ともに田畑や森林に雪は全くありませんでした。

さすがに伊吹山は雪をかぶって大貫禄!滋賀県と岐阜県の県境に南北に連なる山々ですが、若い頃、スキーに行った思い出があります。初めてのスキーでしたが雪空が寒く舞い散る中、運動神経の鈍い私は四苦八苦。何度も転んで転んで・・・転んでばかりで滑った記憶が全くない。

              伊吹山(いぶきやま・いぶきさん)の主峰は1377m。日本百名山のひとつ

鴨川団栗橋(京都)へ

京都のマンション探しの最中に、鴨川の団栗橋へ。この橋は私の京都住まいに近かったので、よく散歩に行きました。堤防下の散歩道は私のお気に入りで季節の花々や緑が心を癒してくれました。冬の北山はうっすらと雪が積もり、そこから流れ出る豊かな鴨川が清流となって、旅の疲れを癒してくれました。

団栗橋のたもとの桜をよくよく見ると、枯れ木にしか見えない枝先に小さな固い蕾がビッシリと。桜の花は真冬の今から開花準備をしているのかと感心するばかり。京都の桜は実に種類が多く、3月20日過ぎから4月20日頃までお花見が楽しめ、心躍る毎日でした。醍醐寺の見事な枝垂桜・伏見の黄桜酒造で見た黄桜・・・・今年の花見はどうなることやら?

                鴨川にかかる向こうの橋は四条大橋。手前の桜に小さな蕾がびっしり

石清水八幡宮(京都)へ

歴史に名高い石清水八幡宮を参拝しました。平安京の鬼門の護りは比叡山延暦寺。ここ石清水八幡宮は裏鬼門に位置する男山に国家鎮魂の社として855年創建。木津川・宇治川・桂川の三流の合流点に位置し、京阪八幡市駅からケーブルで男山に登る時、冬の京阪平野が広がって美しい田園風景でした。

石清水八幡宮は厄除けの神様として京都の人々をはじめ全国各地の人々から篤い崇拝を受けています。今年厄年の姪が次男を早産しそうで入院中のため厄除開運と私の家内安全をご祈祷していただきました。八幡大神様との絆で今年一年、健やかな生活を過ごすことができるよう願っています。

     皇室・平氏・源氏・信長・秀吉・家光など多くの為政者が寄進造営し崇敬した本殿 

2012年1月11日水曜日

東京タワーへ

泉岳寺参拝後、昭和の東京を象徴する建物の東京タワーへ。地上150mまでエレベーターで一気に上り、次のエレベーターに乗り換えて地上250mの第2展望台まで。春霞がかかったような晴天でしたが360度見渡す展望台からの眺望は壮大なパノラマ。東京湾・レインボーブリッジ・東京スカイツリー・ディズニーランド等々が見え、誠に武蔵野平野は延々と・・・広大です。

新宿の超高層ビル群の中にコクーンタワーもクッキリと見えました。360度の関東平野の高層ビルが一体何棟建っていることやら。眼下には徳川家菩提寺の増上寺が。本日は俳優の二谷英明さんの葬儀を実施中のはず。増上寺左側には東京大空襲で焼け崩れた徳川2代将軍秀忠墓所跡の広い空地を望むことができました。

                 東京湾は意外に近い。春霞のように見える美しい東京の風景
                  東日本大震災で東京タワー先頭の細い部分がやや傾いたまま

高輪泉岳寺へ

忠臣蔵で名高い高輪泉岳寺へ参拝してきました。泉岳寺は徳川家康が曹洞宗の寺院として創立。寛永の大火で消失したが家光により現在の高輪へ復興移転した際、毛利家・浅野家などの大名に
命じて完成したそうです。浅野家と泉岳寺とのご縁はこの事業以来とのこと。当時は七伽藍を持つ大寺院で修行僧は200人もいたそうで現在も学僧が修行しているようです。

吉良上野介の所領は私の故郷の愛知県内で吉良の仁吉でも有名な場所。三河湾に面した穏やか地形にあり土地の人々は吉良上野介を良き為政者として現在も語り継いでいます。泉岳寺の赤穂義士の墓は一人づつ墓標が建ち、時折に映画やTVドラマで演じた役者の顔が目に浮かぶ不思議なご縁を感ずる墓参でした。

   泉岳寺総門の裏側。松の佇まいがお見事。しかし東京の寺院の本殿は一様にコンクリートの建物で妙な感じ
              屋根付の建物が大石蔵之助の墓。47人の義士の墓碑も線香が絶えない

2012年1月8日日曜日

回向院へ

私は20歳頃、山本周五郎全集を読破し大感激しました。昭和39年講談社発刊(全13巻)全集を毎月1冊ずつ購入。その後も藤沢周平や宮部みゆき作品などを次々と。江戸時代物を読んでいると両国橋や回向院の話はよく登場します。私は最近、江戸時代と現代地図を比較した図鑑を購入しました。

出掛ける前後や時代物を読んでいる最中に地図を見ながら確認しています。江戸時代の回向院は広大な敷地で立派な寺院だったことが伺えますが、なんと現代の総門は銅版葺きで表参道は短く敷地はビルの谷間に埋もれて狭く見る影もない。明暦の大火で亡くなった人を始め、多くの人々の供養をしています。

             両国通りの突き当たりに回向院の総門が。屋根は銅版で柱はコンクリート
                     境内の力塚は立派な巨岩。相撲関係者の供養搭

両国国技館へ

江戸東京博物館へ行くと両国国技館の前を必ず通ります。駅周辺で必ず若いお相撲さんに出会うのも楽しみのひとつ。まだ一度も大相撲を見ていないのが残念。大相撲は明暦(1657年)の振袖火事で亡くなった人々を弔うために建立した回向院の境内の掛け小屋で奉納相撲をしたのが起源とか。

明暦の大火は江戸城本丸を始め、町の大半が焼けてしまったが、幕府の都市再開発はすばやく隅田川の東側はまだ畑だったが、莫大な資金を投じて両国橋をつくり広大な日除け地を作り町を作り江戸の町が大きく東へ発展しました。現在の両国国技館は高い塀を巡らしており、立派な建物を伺い知れないのが残念です。
                  
                   国技館の前には各相撲部屋の幟が青空にはためく
       両国駅から江戸博への道すがらは緑色の屋根しか見えないが、両国駅のホームから 絶景が

平清盛展へ

NHK大河ドラマ50周年記念の平清盛展を見に行きました。両国の江戸東京博物館です。権力者となってからの平清盛像の印象が強いが、ドラマは若き日にスポットを当て不安定な武家社会を類まれなリーダーシップで確立。瀬戸内の海賊を制定し日宗貿易で財をなし、貴族の仲間入りをすると共に太政大臣まで昇りつめた偉人です。

のちに源氏に敗れ「奢れるものは久しからずや」と平家物語で後世に語られたが、新しい時代の先駆者としての為政者には違いない。京都市内では現在の祇園南側の六波羅に大邸宅があったようですが現存するのは六波羅蜜寺のみで敷地は狭い。しかしながら広島県安芸の厳島神社の美しさは清盛の美意識の高さや海の安寧を願う気持ちは測り知れないほど大きい。厳島神社に納めた平家納経の豪壮な実物や絵巻の各種は一見に値しました。

               両国駅から江戸博までずらっと展示された看板。見学者は高齢者が多い

2012年1月4日水曜日

ミッション・インポッシブル

最近、六本木ヒルズへ行く回数が増えました。映画好きな友人と二人連れでTOHOシネマズへ通っています。今回はなんとトム・クルーズのミッション・インポッシブル。ドバイの高層ビルの100数階を吸着手袋でよじ登ったり、綱1本で下へ走って降りたり、横へ移動したり・・・スリル&サスペンス映画は久し振りでした。

いつもはレディースデイ(1000円)を選んで鑑賞していますが、お正月なのでこの際奮発してプレミア席(3000円)でゆったり席を確保しましたがほぼ満席。なんと開演前には特別なラウンジがありバーカウンターから飲物がガラスのコップで1本無料。六本木TOHOシネマズはこの映画を3面使って上映中の大人気でしたが、私達の感想は、次からは1000円席で良いね!あー楽しかったぁ!!

         後ろの超高層ビルが森ビルの六本木ヒルズ。手前のガラス窓がTOHOシネマズのビル
         六本木ヒルズ手前の円形ビルは広告搭。メトロと直結し長いエスカレーターでヒルズへ

明けましておめでとうございます。

皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。私は願わくば今年中に京都へ移転したく思います。年末、マンション探しに京都へ出かけましたが、今年は何度でも京都へ足を運ぶ予定。京都の町は3方が山に囲まれ、2つの大きな川が流れて、1300年に及ぶ長い歴史と文化や伝統工芸が息づいている美しい町。私は世界遺産の町京都に居住地を構え、新しい生活を築きたく思います。

4月下旬、若い頃からの念願の夢、パリ長期滞在生活を体験しようと目論んでいます。卒業生達の協力を得ながら・・・可能であればフランスから周辺各国へ旅もしようと。本来ならば、そろそろ安定した老後生活に入る年齢ですが、私は最後の悪あがきをしようと。若い人達にご迷惑をかけないよう気をつけますね。

         我が家(11階)のベランダから見た元旦の夕陽。朝は生憎の曇天でしたが一瞬の輝きが