2013年6月26日水曜日

華麗なるギャッツビー

アントニオ・デカプリオの華麗なるギャッツビーを。月一度の歯科検査後に新京極のMOBIXで映画を観るのが目下の私の楽しみです。5月は舟を編む。4月は東京家族。3月はリンカーン・・・・華麗なるギャツビーの映画化は私の記憶では3回目。2回目に演じた私の好きなロバート・レッドフォード演ずるギャッツビーの優雅さ切なさ男の色気が忘れられません。

ディカプリオは苦労して伸し上がった男の色気はムンムンだがレッドフォードに比べて残念ながら品性が不足。レッドフォードは並々ならぬ努力で体得した知性的で優雅な資産家の雰囲気が満点。デイジーの心を捉えたかに見えた矢先に裏切りにあい凶弾に倒れる哀しい結末に胸キュンで大泣きしたがディカプリオでは泣けない。私は原作を確か3回以上読んでいます。

               ポスターの華麗なるギャッツビー。衣装はパリの有名ブランドが全面協力

茶道のお稽古へ

京丹後の親切な友人夫妻の厚意で月1回お茶のお稽古を始めました。はや3回目。東京の茶道会館の別邸のお茶室(心猿庵)が鹿ケ谷の法然院前にあり毎回7~8人でお稽古に。亭主は茶道会館の次男。裏千家宗家の内弟子として若い時から京都で修業された新人の茶人。参加者のお茶経験は師範級から初心者の私までバラバラ。

足首に突出したカルシュームの出っ張りのせいで正座不能な私は、椅子に座って不心得修業。お手前を拝見しながら矢継ぎ早に参会者が質問攻めしますが、ご亭主はお若いのに涼しい顔で何でも澱みなく回答くださって素晴らしい!「お菓子が美味しいねえ、お茶の泡がさすがで格別だねえ」と皆一様に最高に幸せなひと時を楽しんでいます。

        お茶の稽古の待合場所は京都御苑の南端の間ノ口門の前。御苑内は静寂に包まれて
             砂利道のためランニングには不向きだが濃緑の森の中、散歩者は後を絶たず



あべのハルカス(大阪)へ

大阪天王寺に関西最高の60階建ビル「あべのハルカス」の近鉄百貨店の半分がオープンしました。全面オープンは来年6月なのに早々とニュースに。大阪市立美術館の帰りに足を運びランチを食べ売上げに貢献。大阪では今年3月大阪駅北側の最後の聖地ウメキタが、新たな商業施設として空間型ショッピングエリアの進出で開店し大騒ぎしたばかり。

ウメキタは開業後、1ヶ月の売上指標が発表されたが訪問者一人に対し購買価格600円とか。多数が押し寄せたのに見物客が多かったということ。ミナミのあべのハルカスの結果やいかに。確かに近鉄百貨店の食品階部分やレストラン階はそれなりに混雑していたがすぐに入れました。大阪経済の発展のために、キタもミナミも今後末永くの発展を祈念します。

            天王寺公園から見たあべのハルカス。雨天のため300mの上空ははるか霞んで

2013年6月17日月曜日

ボストン美術館展(大阪)へ

大阪市立美術館で開催中のボストン美術館展へ。日本美術の至宝。海を渡った幻の国宝。史上最大の里帰り。等伯・光琳・若冲・そして蕭白の絵が数点も。そうなんです。なんといっても曽我蕭白の絵がすごい勢いでした。江戸時代末期に、大胆な構図や筆致で旺盛な絵を描いた絵師の第一人者は蕭白だと思いました。

雲竜図がド迫力!襖からはがされた状態で海を渡り5年の歳月で修復された傑作です。平安時代に描かれた吉備真備入唐図は明治初期、売れ残っていた状態をフェノロサ・ビゲロー達が見出したそうです。明治維新も革命です。廃仏毀釈や時代変換の大混乱の中、大事な日本の財産が多数失われたのです。

      頭と尻尾部分が現存するが本来は胴体部分もあったとか。この襖絵、どこにあったのだろう?



2013年6月13日木曜日

MOA美術館(静岡)へ

帰りの新幹線を熱海駅で下車しMOA美術館へ。ご存知尾形光琳の国宝紅白梅図を観たくて。駅へキャリーバッグを預けてバスで山の中の美術館へ。入口から5回エスカレーターを乗り換えて展示会場へ到着したが、ナンと紅白梅図屏風展示は2月とのこと。私としたことが・・・レプリカが展示中で、ま、いいか!

想像よりも小振りな屏風でした。色も鮮やかで重厚と思いきや小さい。真ん中の黒い川の流れ(経年劣化による変色かも)が雄大な構図で古木の紅白梅図が見事に咲いていました。秀吉が御所の内裏で催した金の茶室も史実に基づき再現されておりビックリ!これって折りたたみ式なんですよ。内裏だから金ピカの茶室が活きたのかも。

         MOA美術館は宗教団体の美術館?エレベーターを乗り換えるたびに色鮮やかな空間が
          写真は紅白梅図屏風の右側半分の上部のみ。四面の折りたたみ式で意外に地味



歌舞伎座(東京)へ

4月に再建された東銀座の歌舞伎座へ。若い友人が市川海老蔵主演の助六の舞台で加東節の三味線を弾くご縁で見学しました。そして楽屋訪問も。広くてバリアフリーで使いやすいとのこと。私は関係者席で悠々と観劇。助六は市川団十郎十八番の演目で舞台は江戸吉原の華やかで豪華な一角。代役の海老蔵は一所懸命でした。

松本幸四郎の口上があり、中村福助・片岡仁左衛門・中村吉衛門・他豪華な顔ぶれ。私はイヤホン片耳に内容や俳優をじっくりと。新調した緞帳が約10枚紹介されました。一緒に観た建築家の友人が幕間にナンと銀座久兵衛のお寿司を用意してくださり感謝!花のお江戸にタイムスリップした楽しい3時間でした。

           開演前の歌舞伎座前は大変な人の数。見上げても大きすぎてカメラに入らない
          終演後の花道側の内部。杮落としは今年中,毎日大入り満員でチケット入手困難とか



目黒川(東京)へ

花のお江戸桜の名所の目黒川へ。今年の桜は3月に散って今や堂々たる葉っぱが両岸に。3泊4日の東京行きのホテルは恵比寿駅前のビジネスホテルへ。深夜に戻って寝るだけだから狭くてもへっちゃらです。3日目のランチを恵比寿の元同じマンションの友人を誘ったら「ソーメンなら家へどうぞ!」とHさん。では遠慮なくいそいそと。

4日目の朝食はホテルでTさんと。2人ともお元気で何よりでした。Tさんは同じキャリアウーマンとして新宿へ通った人。Hさんは専業主婦で面倒見の良い人。2人とも退職後の私の退屈な毎日の楽しみ方を教えてくれた人生の先輩です。恵比寿駅前のホテルは恵比寿拠点で暮らしていた私にはうってつけ。

           川の真ん中の高層マンションは中目黒駅側でキムタクと亀ナシ君が居住の噂が
           我が家近くのゴミ処理場の高い煙突。目黒区のゴミは全てここで処理する優良地区

浅草寺(東京)へ

今夜は楽しい浅草浮世絵ナイト。東京在住中に何度も通った大好きな講座です。雷門をくぐると懐かしい仲見世がずらり。法被売場で美味しい人形焼屋は?と訪ねたら亀屋とのこと。皮が薄くてアンコがギッシリらしい。何度確認しても残念ながら賞味期限は明後日とのこと。京都の皆さんへ土産にできないよー

浅草寺右横のアミューズミュージアムで、杉浦日向子さんの生れ変りを自認する江戸通のNHKのMさんから浮世絵談義を1年ぶりに受講。今回は30回記念とか。過去の講座はお江戸日本橋からスタートしているが、Mさんに事前に「おまけ編で京都を」とお願いを。なんと広重の東海道五十三次の53番目の京都から始まった!烏帽子の三条大橋に早くも怪しい物売りを発見。

                震災直後は外人がめっきり減ったが本日は多くの参拝客が
             仲見世の真ん中が浅草寺。赤くて太い柱の寺院は珍しい。創建は1300年前

東京スカイツリー(東京)へ

しめしめエレベーターの待ち時間はたったの5分。籠3台分で350mの上空へ到達しました。耳がキーンとする間もなく空中散歩が始まりました。事前調査でPM4:00~5:30は待ち時間が少ない穴場と聞いていたがその通り。都営浅草線で押上まで。本日は生憎の薄い曇天でしたがサル年生まれの私はとに角高い処へ昇りたい一心。

見える見える眼下の隅田川や遠くの房総半島が。新宿の高層ビル街は固まりになって突出し、東京湾の向こうの房総半島もぼんやりと。足元の強化ガラスを覗くとおもちゃのような車が走っていました。445mの展望回廊はスルーして地上へ。その後に会った東京人約10人に確認したが東京スカイツリーに昇った人は0人でした。

              都営浅草線の押上駅の上に東京スカイツリーが。350mまで2,000円
             この風景は350mですが、445mの展望回廊までは+1000円。高価だね

2013年6月6日木曜日

唐招提寺(奈良)へ

唐招提寺は鑑真和上開山のお寺です。中国から荒海の日本海を越えて5度の航海の失敗を重ねた時盲目となられたが強い信念で渡朝されました。南大門の太い丸い柱はギリシャ建築同様に上に行くとやや細いのです。ひび割れた柱に手を当てると天平の温もりが、とは高校時代の初参拝時に、私が勝手に想像した感想です。

以来、唐招提寺を参拝するたびに柱に両手を当てるのが私のご挨拶。門をくぐると堂々たる豊かな量感の金堂が正面に。本日の私の参拝は親切な友人に誘われ、鑑真和上坐像と御影堂障壁画(東山魁夷画伯)特別開扉に合わせて訪問した貴重な一日に。いつもは静かな境内がとても賑やかでした。

            正面に並ぶ8本のエンタシス列柱は遠くギリシャからシルクロードを経て奈良へ
       実際の鑑真和上坐像は帽子を被り暗い灯りの中で静かに・・・背景は東山魁夷の厨子絵「瑞光」

2013年6月5日水曜日

薬師寺(奈良)へ

近鉄西ノ京駅に隣接する薬師寺は白鳳時代に遡ります。大和朝廷を確立した天武天皇の発願で、妻の持統天皇によって本尊の薬師如来が開眼し飛鳥の地に建立したが平城遷都に伴い現在の地に移されたとか。小6の修学旅行で初参拝時、かなりの荒れ寺でした。建物や土塀が崩れかけていたのに端正なお顔の薬師三尊が凛とした姿で輝いていました。

2度目は高校時代美術部の夏の合宿。 若き高田後胤師が優しい笑顔で語りかけてくださり深く感動した記憶が。あれから50余年の月日が。その間の私の参拝は数え切れませんが、確かに薬師寺は大きな躍進を遂げました。どの堂宇も白壁と朱赤の柱に建て替えられ・・・今日も多くの修学旅行生が多数参拝していました。

           薬師如来・日光菩薩・月光菩薩の三尊を祀る金堂。東搭はただ今改装修理中
             六重に見えるが各層に裳階(もこし)をつけた三重の東搭。完成が待ち遠しい


安井神社へ

我が家近くに不思議な神社があります。いわゆる縁切り神社で先日NHKでも特集していたようです。私は切りたい縁も結びたい縁もないため参拝するたびに「?」の心境ですが、友人の友人が
「ぜひ、行きたい」とのこと。従って、安井神社へ行き写メを撮って送信しました。午後5時頃でしたが熱心に祈願している若い女性が3人。

安井神社の境内は決して広くありません。ここを参拝している人は一様にもの静か。長い長い行列ができていた日もありました。カップルも多く、もちろん単身者も。お札が山盛りの白象のような物体の下の小さな穴の手前から向こうへ這って抜けると切りたい縁が切れ、向こうから這って戻ってくると新しい縁が結べるそうです。

              北門。日本の神社の本殿の大多数は南向きだ、安井神社は東向き
                 元は石のようですが、お札は何枚貼られているのだろう




友人宅へ

京都在の友人宅へ友達と一緒にランチに。私は「割烹ふくしま」と呼んでいますが訪問は今回で3回目。とに角料理内容が凄い!のです。毎回、懐石料理のおもてなしで美味しくてきれいでびっくり仰天!3年前、私がお試し滞在した京都で出会った着物をこよなく愛する日本を代表する奥様達の1人です。

京都では「ぶぶづけをどうぞ!」は「帰れ」ということと聞いていたが真っ赤な嘘。京都人は付き合いずらい、とも聞いていたがこれも間違い。ランチのたびに私を車で送迎してくださる方。私に高価な訪問着を快く着付けしてくれた方。ランチに行ったら新玉葱を5個くれた料理人。オハギ屋で宅配を依頼したら甘夏やオハギをくれた店主・・・京都の皆様は一様に素敵です!!

            食材の数は20種以上。「高島屋B1が冷蔵庫」の私にはプロ技に感謝感激!
           大盛りご飯は同伴した友人用。食事の後、お抹茶もいただき滞在時間は計7時間!


2013年6月2日日曜日

智積院へ

東京の友人と東山五条の智積院へ。入山の午後4時に5分遅れて残念ながら名勝庭園のみ横から拝見しました。ここは戦国時代末期に活躍した絵師長谷川等伯親子の桜図楓図の屏風が有名です。3年前京都国立博物館で長谷川等伯展開催時、私は作品に魅され2度通いましたが2枚の傑作が智積院の襖絵として並んでいます。

等伯は狩野派全盛時代に金沢から上京し京都で頭角を現して一派をなし秀吉の庇護の下多くの傑作を残しました。故郷を描いたとされる霞にけぶる松林図は今も鮮明に記憶しています。神社仏閣の参拝は遅くとも午後4時までに入らないと5時には門が閉まることを改めて痛感。近々出直ししようと思います。

閉門間近の本堂の門。五色の幕は五つの知恵を現すと聞いたことが
             京都の名勝庭園に指定された金堂の庭。庭師によって万端整備された京の美

青蓮院へ

東京の友人と天台密教の青蓮院へ。ここは私の大好きなお寺です。創建は平安時代末期の約800年前。ご本尊様(青不動)は仏像ではなく曼荼羅です。幾多の戦乱火災を得て現在の曼荼羅は約400年前豊臣秀吉によって寄贈されたもの。秘仏として一切公開されなかったが平成17年に1回のみご開帳したとのこと。

皇室とは深いご縁の門跡寺院で現在の門主様は平成天皇の従兄弟。庭は小堀遠州作。梅雨の曇天の中、サツキやツツジがきれいに咲いていました。本殿は御所造りで光格天皇・明治天皇が休息された間が現存し庭には左近の桜右近の橘が。夜間ライトアップの頃蛍の光のような幻想的な世界が芝生にボーツと点滅し訪問者は皆しばし無言で佇む場所。

                地恩院から青蓮院へ向かうと道沿いに3本のもみの木の大木が
              金堂前の美しい小堀遠州作の庭。その向こうは孟宗竹が生い茂る静かな山道