2012年12月27日木曜日

鴨川の桜

今朝、今冬最低気温で京都は氷点下だったとか。東京在住中は床暖房だったが残念ながら京都宅は構造的な問題で不可。結果、広いリビングではダイキンの大型空調機を設置し、妹から送付された温風器を活用しながら底冷えの京都の冬を何とか凌いでいます。西向きの部屋のため夕陽が差し込んで暖かい。

鴨川の団栗橋は日常の通用路ですが鴨川や高瀬川の畔の桜の枝先をふと見ると小さな蕾が一杯並んでいる。桜の蕾は一体いつから花開く日の準備を始めたのやら。聞けば葉が落ちたらすぐに少しずつ蕾を膨らませ、花が咲いたと思ったらパッと散る。ナンと辛抱強く潔ぎ良い花だろう。

               遠くの北山にうっすらと雪が積もっているが川辺の桜は確かに蕾が

2012年12月26日水曜日

ブライトンホテルへ

友人とクリスマスイヴの午後ブライトンホテルでクリスマスケーキでお茶を・・・と思いましたがケーキは見事に売り切れ。そういえば苺のショートケーキを食べたのはいつのことやら。子供の時から生クリームが嫌いでクリームをお皿にのけてスポンジのみ食べていました。

なぜか無性に食べたくなったのに食べられないのは残念至極。ブライトンホテルに足を運んだのは初めてです。ブライトンはややグレードの高いホテルで和食もステーキも美味しいとか。京都の友人は車でアチコチへ連れて行ってくださり私にとっては楽しく嬉しい出来事です。感謝!感謝!!

                  喫茶ルームから高い吹き抜けの美しいエントランスホール
              写真がやや傾いたかな!ライトアップされたツリーは昼でも美しく優しい

2012年12月24日月曜日

日展へ

昭和8年創建の煉瓦タイルを使用した重厚な京都市美術館で開催中の第44回日展を観覧しました。日展を観たのは何十年ぶりのこと。私は10代の頃油絵を描いていたが日展に出品するのはダサいとの定評で仲間の誰も出品しなかった格式の高い遠い存在の絵画展です。

友人の誘いで最初に彫刻部門へ。本日は多数の高名な彫刻家や出品者が彫刻とは、各作品の制作意図など丁寧に説明してくださいました。日本画はその様相が変わり油絵の表現に近く200号前後の大きな作品ばかり。油絵も大きなサイズが主流で優しい作品が多く、工芸部門が最も色鮮やかで主張的な作品でした。

           ポスターのデザインは素晴らしい。例年このデザインを使用とのこと。さすがデス
               冬の青空がよく似合う昭和初期の堂々たる建築の京都市美術館

平安神宮へ

朝、小雪がちらつく寒空でしたが昼頃は晴天になり岡崎公園の平安神宮へ行きました。凍てつく冬空の下、さすがに応天門から大極殿前の広大な広場にも人影が少なくスッキリと参拝できました。794年平安京の開祖第25代桓武天皇を祀る美しい神社です。

創建は明治23年と比較的新しい建物です。博覧会開催跡地に創建時の平安京を5/8のサイズで忠実に再現したそうです。春には裏側に広がる庭園内にきれいな紅枝垂桜が咲き、池の向こうの能舞台でコンサートが開催されますが、初めて聴いた時日本人に生まれて良かった!と鳥肌が立ちました。

               平安京政庁の大極殿を再現。白砂が広々と。雲は雪の予感十分
         応天門。鮮やかな朱色が象徴的。この前に立つ大鳥居が我が家のベランダから見える

2012年12月22日土曜日

クリスマスカード

東京の若い友人からオシャレで可愛いクリスマスカードが到着しました。彼女は4月末~5月初めフランスのパリで一緒に美術館巡りや観光をし、11月末は京都で紅葉見物をしました。彼女は美容皮膚科の医師で私に基礎化粧品を送ってくれる貴重な存在です。

私が子供の頃は現代のように華やかにクリスマスを祝う習慣がなかったように思います。夜、靴下を頭の上の畳に置いて寝ると両親がキャラメルやチョコレートを入れてくれました。私は寝た振りをしてその行為を盗み見て、太い煙突の無い我が家にサンタクロースが来るはずがない。親が子供を騙すのはよくない。と・・・

     雪だるまが4個。京都は先日雪がチラホラ降りました。予報では24日は雪らしい、そうです





2012年12月12日水曜日

本能寺へ

戦国時代、頂点を極める直前に非業の死を遂げた織田信長の本能寺へ。消失前はもう少し南西の地にありましたが再建時京極に移されたとか。現在の京極は若者達が集う歓楽街の北の端にあり場所としては拍子抜けの感。2年前参拝した時本殿は改修中でしたが今回は完成済み。

暦女の私としては織田信長と聞けば感情が高ぶるところですがこの本能寺・・・あまりに胸に心に訴えるものがなくふ~んと本殿をグルッとひと巡り。新し過ぎるせいか大きすぎるせいか立地条件が騒々しいからか。亡くなった時遺体がなかったので逃亡した、地下道で果てた、など諸説があるが想いを巡らせるにはう~ん物足りない。

           本能寺は信長の京での滞在地のため、寺内は多少要塞化されていたというが
             味気ない信長公の御廟。門構えは立派だが公を心から敬う何かが足りない

大江能楽堂へ

中京区の大江能楽堂へ行きました。知人の若い狂言師のお招きで狂言見学が目的です。市役所横の町の中にあり明治期の100余年前創建の大江能楽堂は古き時代の良き面影を残す芝居小屋のような能楽堂でした。午前中で七番の演目。若い知人は一番目の雅礫と六番目の寝音曲に出演。

伯母ヶ酒では男性外人が演者として出演しびっくり。台詞も動きも正座も立派な狂言師。
演技は見事な酔いっぷりで思わず会場から笑いがこぼれました。会場のアチコチにストーブが置かれていたが当日はあまりに寒く私は午前中で退出。日本の伝統文化には凛とした美しい佇まいがあり素敵ですね。

              客席が500余もありそうな立派な能楽堂。明治の面影がしっかり残る

2012年12月10日月曜日

京都市役所前へ

我が家から御池通りの京都市役所まで徒歩25分。晴天の気温6度の冷たい日曜の朝9時頃、市庁舎前広場は多数の人々でごった返していた。何事?と思った瞬間「フリーマーケットにお集まりの皆様公明党の・・・」なるほど。建物の築年数は古そうですがカッコよい市庁舎で大好きです。

門川市長はいつも和服姿で業務を遂行し市の発展のために活躍している様を新聞紙上で拝見するため名前と顔をすぐ覚えました。この際エントランスを覗いてみようと目指したが残念ながら日曜で休館日。たまたま前を通過しただけですが次回、市庁舎内をゆっくり見学したいと思います。

              今朝は抜けるような青空だったことを写真を見るまで気づかなかった

2012年12月7日金曜日

多摩プラザセンター(東京)へ

11月下旬甥の結婚式前日、東京の多摩で京王プラザに宿泊した際、綺麗なイルミネーションを見ました。家族13人で夕食後、妹・姪・その子供の4人でホテルから直結した多摩プラザ駅前のイルミネーションを堪能。姪達は「豊川にこんなに綺麗なイルミネーションはないね」と感心することしきり。

当日はかなり冷たい夜でしたが満月でキラキラと色鮮やかな光が輝いていました。そういえば、京都もこんなに美しいイルミネーションはないので、私もすっかり田舎住まいになった気分です。結婚式は両家の親族と友人達の少人数で式と会食のみ。シンプルでしたが若い2人がより良い家庭を築くよう心から願っております。

                十文字に広がった道路に鮮やかな光達が夜空いっぱいに輝いて

2012年12月5日水曜日

建仁寺へ

京都最古の禅寺、建仁寺へ。臨済宗建仁寺派の大本山。開山は栄西禅師で2度入宗し中国から初めて茶種を持ち帰って栽培することを奨励したそうです。当時のお茶は高級な飲物で薬としての効用があったとか。創建は鎌倉時代1202年。純粋な臨済宗の禅寺として修業の場となりました。

鎌倉時代発祥の禅宗の臨済宗はどちらかといえば貴族や武家など上流階級の禅寺として普及し、曹洞宗は一般庶民に普及したとのこと。なるほど伊藤家は曹洞宗ですが京都市内には確か2寺しか存在しない。俵屋宗達の風神雷神図屏風や小泉純作の双龍図があまりにも有名です。

                    建仁寺の方丈。受付で写真OKですとのこと。展示は高精細デジタル複製、本物は倉庫
 法堂天井の巨大な双龍図。創建800年を記念して小泉淳作が2002年に制作。堂内は暗くポスターをパチリッ

2012年11月27日火曜日

瑞峯院へ

室町時代のキリシタン大名大友宗麟が創建の寺へ。観光タクシー運転手の計らいで大徳寺瑞峯院の和尚様自らお茶室で接待を受け法話を拝聴する機会を得ました。京都のお坊様に観光客がお逢いし話をする機会は滅多にないのですが本日は貴重な体験ができました。

千利休が唯一残した二畳の茶室待庵が復元され現存。幸運にもこの茶室にも通していただき若和尚から詳細説明を受けました。居士400年忌に因んで有士が集まり復元して瑞峯院へ寄贈されたそうです。大徳寺の搭頭は現在お茶会会場として使用されることが多く、この寺も3室保しています。

  方丈前の独座庭。寺号の瑞峯をテーマにした蓬莱山式庭園の枯山水名庭。悠々たる蓬莱山と大海の荒波が
               門から瑞峯院へ至る寺道の紅葉。今日の雨で石道に散らばって

2012年11月26日月曜日

勝持寺へ

東京の友人と京都の観光タクシーで紅葉見物へ。勝持寺は京都の西山連峰の麓にあり小塩山大原院勝持寺と呼ぶ679年創建の古刹です。タクシー運転手一押しの紅葉との前触れで直行。本日は雨でしたがその真っ赤っかさ!!はお見事です。赤い葉、黄色い葉、緑の葉のコントラストが絶妙です。

いいえ、雨中でも目に鮮やかな真っ赤っかさは京都一番!!寺への道は細いためタクシーしか訪問手段がなく知る人ぞ知る寺で参拝者は少ないとのこと。近々晴天の日ぜひとも再訪したい。歌人の西行が出家し滞在した寺で花の寺と呼ばれる桜の名所とのこと。本尊の薬師如来様のお顔は優しさと自愛に満ちていました。

                私の古い携帯ではその真っ赤さが撮影できず誠に残念無念!
                 小さな古刹ですが真っ赤に紅葉した庭は予想外に広くて素敵です

皇居前広場へ

甥の結婚式出席のため2ヶ月ぶりに東京へ。式場は多摩でしたが再現された東京駅舎が見たくて東京駅へ直行しました。幸いにも建築家の友人が駅舎を案内くださり感謝感激。約束より1時間前に東京駅へ到着。ドーム天井を眺めてから丸の内側から真っ直ぐ皇居へ向かう銀杏の並木道へ。

戦前は東京駅から国賓等を馬車で皇居へ送迎した道で当時のニュースを見た記憶がある。晴天のこの日4列に並んだ東京都のシンボル銀杏が黄色く見事でした。右側の歩道を歩いて皇居まで往復。10月1日以降、復元された東京駅舎をはじめ周辺への訪問者は3割増加したとのこと。

             心なしか京都の銀杏よりも東京の銀杏のほうが高くて大きいような気が

復元・東京駅舎へ

建築家の辰野金吾設計で1914年に完成し1945年の東京大空襲3階部分を消失し2階建てで60年以上使用されていた東京駅舎が創建時の姿に忠実に再現された。人々が普通に乗降し列車が行き来する駅舎としての機能を維持しつつ13年の歳月をかけ復元した日本の建築界の力量が遺憾なく発揮された建物です。

外装部分の色目が異なる煉瓦タイルの追加数は50万枚。屋根部分の黒いスレートは震災地の東北産の天然石を使用。銅版は腕利きの板金職人を60人招集。戦災で消失した内装部分はモノクロ写真から色調や残された資材から再現。難題は330mの駅舎全体の免震化のための地下工事だったそうです。

       保存による技術の進化。技術を受け継ぐ職人の存在。駅舎は次の100年へ向けてスタートした
       知恵と技術を結集した駅舎復元。ドーム天井や東京ステーションホテル内は見物客で溢れている

2012年11月22日木曜日

永観堂へ

浄土宗西山禅林寺派総本山永観堂禅林寺へ。ここは京都で1・2を争う紅葉名所で参拝客の数がメチャクチャ多い。東山を背景に阿弥陀堂をはじめとする古建築が緑と水に恵まれた庭に紅葉が絶妙なコントラストを描いています。モミジの永観堂としてその名は全国に轟いて。

金箔のみかえり阿弥陀様は首を左に傾けて振り返り遅れる者を待ち思いやり深く見守っておられます。自分自身をかえりみ人々とともに正しく前へ進む姿勢そのもの。参拝客は多いが皆静かにこの寺の阿弥陀様や建物や紅葉に敬服し回廊を譲り合い礼儀正しく日本の秋に感嘆しています。

                     このモミジは杉の葉のように刃先が細くさけている
黄色い銀杏の葉が緑の芝生にこんもりと。私の携帯カメラでは美しさが伝えられない

金戒光明寺へ

浄土宗大本山くろ谷金戒光明寺へ。くろ谷の地は法然上人が43歳の時比叡山の修行を終えて下山しこの地で念仏をされた時紫雲が全山に漂い光明が辺りを照らしたことから浄土宗の最初の念仏道場を開いた場所とのこと。2年前JRのそうだ京都行こう!で紹介されて以来、紅葉の名所として一躍有名に。

幕末の頃水戸藩主松平容保が京都守護職として宿営した寺で「江」の墓もあり放映後参拝者が一気に増えたようです。先日NHKの仕事ハッケン伝という番組を偶然見ましたが、タレントが構想し作庭した「ご縁の道」が観光名所に加えられ立派なパンフが作成されておりビックリ!

               放生池のほとりの美しい紅葉。モミジはレンズを近づけて撮影するに限る
               

真如堂へ

秋の紅葉シーズンで大変賑わう真如堂へ。正式名称は真正極楽寺で比叡山天台宗の寺。創建以来1000年の歴史を持つ古刹です。今年の京都の紅葉は例年より1週間早いというので出掛けましたが、まだまだ町中は紅葉が始まったばかり。月曜日だというのに大変な人出でした。

2年前の参拝時は地面まで真っ赤に燃えていましたが、今回はモミジの葉が赤くなった程度で落ち葉がまだまだ少ない。京都人は今年の紅葉は例年になく美しいはず!と誰もがいうが、私にはイマイチの感。2年前初めて参拝した時の紅葉があまりに美しかったせいでしょう。

             普段は訪れる人が少ないが最近になって紅葉の名所として有名に

2012年11月15日木曜日

霊山護国神社へ

坂本龍馬・中岡慎太郎他、多数の明治維新改革で亡くなった各藩の志士を祀る護国神社へ。3回目の参拝ですが本日はなぜか超満員。龍馬と慎太郎の墓前には多数の若い参拝者が並んでいた。本日の京都は小雨が降ったり止んだりの女心の秋。出掛ける時は寒かったが途中でポカポカと。

併設の霊山資料館では龍馬関連の詳細が多数展示され、明治維新に関わった人間模様がよく判る。なんと今日,維新志士の墓参り料の代わりに坂本龍馬の名刺を受け取った。肩書きは土佐海援隊隊長・亀山社中代表取締役。住所は東山区清閑寺霊山町1番地。宛名は明治維新史蹟事務所内。

                高台寺の東山の霊山護国神社。背景の紅葉が綺麗に始まった
             坂本龍馬と中岡慎太郎の墓前から市街を振り向けば美しい京都の町並みが



奈良公園へ

角切りを終えたばかりの人懐っこい鹿が相変わらずの奈良公園。銀杏の黄色、モミジや桜の赤、その他の緑が見事なコントラストの紅葉です。東大寺大仏殿参拝後、私は西側の静かな道を歩き馴染みの喫茶店へ。ここの窓から綺麗な風景が見られるのです。5~6年前、東京から二月堂のお水取りを見に来た時、見つけた店です。

今日は大入り満員の盛況でした。奈良はどこも美味しい食事に巡り合わないのですが、クズキリは奈良が一押しだと思う。紅葉風景を眺めながら食べ、本日も12000歩のお散歩とは同行した友人の弁。携帯に歩行数が表示されるなんて、もしかして私の携帯も?docomo shopで確認してみよう。

          折角の紅葉がピンボケ。携帯の買い替え時期かな。この際、スマホに変えようかな
                      本来ならば言葉いらずの紅葉なのに。あーぁ!

戒壇院(奈良)へ

聖武天皇は光明皇后とともに仏教普及のために渡来した鑑真上人の教えを受け受戒のための戒壇院を建立。素朴な怒れる尊天様や自国天様の四天王が天邪鬼を脚元に踏みつけ、世の中を安寧に導くよう四方を遠くをにらんでいる。私は高校時代、ユーモラスに顔をゆがめた天邪鬼をひたすら写生した。

東大寺大仏殿の北東に位置する戒壇院。往く道は所々崩れそうな土壁だったが綺麗に整備され、最近の院内は撮影もスケッチも許さない。50年前確かに夢中でスケッチした真夏の良き日に四天王と天邪鬼と蝉の声と私だけの世界があった。遠い記憶よりお像全体が拝見するたびに白く見えるのは照明か私の気のせいか?

    戒壇院正面。お堂も砂利も綺麗に整備され院内の四天王も心なしか離れて展示されているような
          石段下からの戒壇院の門。この風景は相変わらず。土塀は今や崩れかけていない



東大寺大仏殿(奈良)へ

東大寺大仏殿参拝は2年ぶり。奈良は小学校の修学旅行・高校の美術部の部活で写生旅行以来、私は何度訪問したことか。奈良全体が50年前とほぼ変わらない姿で奈良がそこにあることに感謝します。平城京は80数年の短い都ですが、強烈な全国統一律令国家体制が成立した証でしょう。

5年前、大仏開眼1250年法要が盛大に行われ5月の連休に2泊3日で参加。東大寺の倉庫には1250年前の開眼法要で使用した物品や贈答品が人の目に触れぬまま大切に保存されている。講座で当時のお香の台座の再現物を見ましたが見事な色彩と技法に感嘆。遠くはペルシャ・インド・中国からも使者が・・・
   
     東大寺大仏殿は平安時代平家に焼かれ徳川時代に再建。建物は当初より小振りだがそれでも十分大きい
                  ピンボケの大仏琉遮那仏。台座は奈良時代、お顔は江戸時代

正倉院展(奈良)へ

奈良国立博物館の秋の風物詩、第64回正倉院展を観に。京都~奈良は近鉄特急で30分の至近距離。東京在住時代も含め3回目の訪問です。入場者数が多く30分待ちでしたがいつも通りイヤホンガイドにまっしぐら。メイン展示物を主体に見学しました。聖武天皇の遺品が正倉院に納められて1300年。よくもまぁ、ここまで・・・

メイン展示は瑠璃杯=ワイングラスです。さすがにここは見物者が多くトグロを巻いていました。高さ10㎝の美しいガラスの器に銀の脚。日本では奈良時代にすでにガラスが製法されていたそう。螺鈿紫檀琵琶・紅牙撥(バチ)鐘撥・赤字鴛鴦唐草文錦端飾・銀平脱八稜形鏡箱が特に精巧な技術と巧みな色彩が印象的でした。

照明が暗く鈍った瑠璃色の杯。壁に貼られたポスターを係員の目を盗んでパチリッ!
                 曇天の奈良国立博物館。どの日に訪問した人も30分待ちだったとか

2012年11月8日木曜日

伏見稲荷大社へ

多数の赤い鳥居で有名な伏見稲荷大社へ。ミステリードラマなどであまりに有名だが全国に5000社ある稲荷神社の総本山。豊川稲荷が我が故郷の私には格別な親しみを感じる神社です。本殿前の2匹の狐が豊川稲荷の狐に比べて精悍で賢く見えるのはなぜだろう?

何でこんなにたくさんの赤い鳥居が、とカップルが話している。私は早速説明役に。奥の院にも赤い鳥居がたくさんあるね、というカップルには、若い内でないとこの山は登れない、ご利益があるからと後押し。お賽銭入れて何を拝んだらいいかワカンナイ!という修学旅行の高校生にもアドバイス。お節介にわか観光案内役を務めました。

   本殿裏に朱赤の鳥居が2本の道に分かれてずらり。写真は左側。どの道を通ってもよいとは宮司さんの言葉
        鳥居の奥は南楼門。秀吉が北の政所の病気平癒で建立したとは観光タクシー運転手の弁

奉納狂言へ

伏見稲荷大社で開催された奉納狂言を観ました。京都の大蔵流茂山忠三郎家の若き狂言師は東京の友人の弟さん。先日鞍馬の火祭でご一緒したご縁で今回の狂言鑑賞に。伏見稲荷大社の本殿東側にそれはそれは立派な能楽堂があり、午前中三番の二番「清水」でシテ(主役)を。

野村万斎さん似のイケメン狂言師さんと知り合いになれて私は嬉しいです。若い伝統文化の担い手には心から拍手を贈りたい。5年積み重ねれば5年の、10年重ねれば10年の、とは彼の弁。私の京都転居目的は観光ですが、この歳で若い知人友人が増えるのは嬉しい出来事です。

            左が知り合いになった狂言師さん。15分前に会場へ到着し最前列で鑑賞
          


2012年11月7日水曜日

西宮西口駅へ

懐かしい西宮西口駅へ。わが青春時代の2年間を過ごした町です。大阪校開校前から開校直後まで梅田の勤務先と西宮北口をひたすら往復した日々。40年前の今、往時の面影は全くない。我が家は線路沿いで約7分ほど梅田へ戻った畑の中の6階建ての小さなマンション。夕闇暗い夜道を小走りに歩いて。

西宮北口駅を出ると目の前に西宮球場の外壁が覆いかぶさるように建っていた。が、今や周辺は近代的なビルが立ち並び百貨店やコンサートホールや銀行が立ち並ぶ立派な近郊都市へ変貌した。西宮芸術劇場内の喫茶でお茶を飲んだが建築家の想いが詰め込まれた建造物のアチコチに見惚れて。

県立西宮芸術劇場。突き当たりはレストラン。ケーキセットでしばし休憩
       コンサートホール前の見事な空間。誰もがここへ立つと本日の演奏への期待感が高まる場所

逸翁美術館(大阪)へ

阪急電車をはじめホテル・百貨店・宅地造成・宝塚など大阪の北部山の手で一大事業を成しえた関西を代表する経済人のお屋敷の隣に小林氏が収集した美術品を展示する逸翁美術館がある。今回の開催は遊興の世界源氏物語展。鎌倉時代や江戸時代に描かれた源氏門物語絵巻を展示。

源氏物語は初めて世に発表された11月1日は今年から古典の日という記念日に。千年の時を越えて読み継がれる日本を代表する古典文学の源氏物語絵巻はとに角美しい。そこに描かれた華やかな王朝絵巻の世界は広く絵画や工芸の世界に表されている。

               源氏物語は明石の巻から書かれた。紫式部は石山寺で書かれていない・・・?これらって本当なの?

池田城址公園(大阪)へ

西宮在の友人に誘われて阪急電車で池田市へ。河原町駅から十三駅で乗換え池田駅で待ち合わせ。私が大阪の郊外へ行くのは40年ぶりのこと。若い頃関西一円の高校や短大へ新規開校のため約2年間に渡ってご挨拶に駆け回った記憶が。豊かな住宅地の中の小高い丘の上に池田城址公園があった。小さな木造創りの出城のような池田城が。

この地は室町時代から戦国時代にかけて池田豊中蓑面辺りの国人池田氏の居城があった場所。織田信長の摂津攻入国により降伏し家臣に組み込まれ荒木村重が池田城を支配したそうです。平成4年枯山水井戸などとともに公園を造成し復元した池田城を再現したそうで池田市民の憩いの場となっている。

            美しい追手門。池田城は築20年のため城も公園も新しく池には鯉がゆったりと

2012年11月3日土曜日

八坂神社の舞楽へ

私は雅楽が大好きです。笙やヒチリキや太鼓の音・オレンジや黄色の豪華な衣装・優雅な舞。多分、大和朝廷成立の頃から雅楽は天皇家専属の音楽として様々な儀式を彩ってきたのでしょう。11月3日は文化の日。私の氏神様八坂神社の舞殿(古代のコンサートホール)で雅楽が奉納されました。

本日は3時間の長丁場。じっくり拝見と覚悟しました。12時から舞殿の前に陣取って見学。50分後に祇園の板前料理屋で昼食をとり又もや八坂神社へ。3時の終演まで立っていたら足脚腰が痛い痛い!!境内で焼きたての鯛焼きを買って祇園を食べ歩き、高瀬川沿いの最寄の喫茶店で一休み。

             雅楽は中国・朝鮮から伝来・・・とは解説者の弁。5番目の演目「還歳楽」
             西楼門と舞殿の間に建てられた巨大な装飾品。見学者は意外に少なく寂しい

2012年11月2日金曜日

桶「う」へ

祇園町南側花見小路の鰻屋・桶「う」へ。東京の友人の強いお薦めの店です。鰻の蒲焼が桶(3人前)で出てきました。少食の私は京都で出会ったイケメンの若者2人を誘って久し振りの鰻に舌鼓を。確かに、丸い桶に鰻が6枚。お味は関東風の蒲焼で背開きで美味しかったです。

東京の友人達は祇園で食べた美味しいお店に思い入れがあり、あの店へぜひ!この店へ行って!・・・と紹介してくれて大助かり!京都で出会った皆様は、美味しくて適度な価格で観光客が行かない店を紹介してくれ、これまた大助かり!!私は最近、もっぱらランチで各店巡りをしています。

           祇園花見小路より1本西側の「う」。歌舞練場の辺りです。鰻が好きな方はぜひどうぞ!

2012年11月1日木曜日

六波羅密寺へ

NHK大河平清盛で大盛況(低調?)の六波羅蜜寺へ。京都の友人3人とランチ後に参拝。2年前主演の松山ケンイチが成功祈願した清盛ゆかりのお寺です。創建は平安時代中期の951年醍醐天皇の第二皇子空也上人。この時、都は荒れ果て疫病が蔓延。空也上人は天皇の命を受け民衆救済に。

自ら十一面観音を刻み御仏を車に乗せ市中を廻りお茶を振舞い南無阿弥陀仏を唱え井戸を掘り悪病を追い払ったとか。平安末期清盛の時、六波羅に館を置いた平家の加護で伽藍は東京ドーム22個分も。本堂は創建以来一度も消失していないそうです。平清盛像・空也上人立像・運慶坐像・湛慶坐像などなど需要文化財を多数展示しています。

       六波羅蜜寺の本堂(南北朝時代に改修)。道幅が狭く写真撮影は困難。写真はパンフから拝借
都の建物はほとんど火事等で消失再建されたが六波羅蜜寺は改修のみ。結果秘宝秘仏古文書等多数保管とか

南座前へ

ほぼ毎日通る南座の前で友人とランチで待ち合わせ。南座では夏、山田洋次監督映画のフィルム製作作品が1回2本上映で500円。結構賑わいました。京都へ本格転居して3ヶ月半、この間歌舞伎は少なかったため一度も観ず。12月には東京より一足お先に顔見世が行われるため楽しみです。

南座は鴨川沿いの四条通りで祇園町の入口にあり八坂神社の参道のスタート地で絶好のロケーション。高島屋のデパ地下で惣菜を買い四条大橋を渡ると南座の威風堂々たる建物が柳の木の向こうに。祇園や花見小路は外人客で賑わいますが、お行儀の悪い中国人はとんと見かけずホッとする人・ハラハラする人も。

ピンボケの南座。この建物は4階建てだろうか。御殿のようなお城のような
          これから新派の公演が開催されるらしい。現代の観客を引き寄せるのは京都ならでは