2013年9月27日金曜日

徳城寺(愛知)へ

豊川進雄神社の隣の徳城寺(曹洞宗・阿弥陀如来様)へ。江比間の菩提寺(成道寺)が我が家から遠いため墓参は年に数度しかできない。母は同じ宗派の徳城寺へお墓を移そうと考えたことが。私は母の案を止めました。江比間は遠いけどお墓から三河湾が見える眺めが絶景で別荘みたいでしょ!と。

徳城寺は弘法大師様ゆかりの徳の篤いお寺です。この地に立寄った時、水を所望したが庵主が中々持って来ない。ようやく飲んだ水が冷たく美味しい。聞けば440m離れた地まで水を汲みに行ったと。大師はここを掘るよう錫杖を示した場所を1m掘ったら水が。豊川の通常の井戸は9m。この井戸は浅いのに枯れたことがないそうです。

              母によるとお墓の移転に関して徳城寺は快く了解してくれたが成道寺の和尚様の許可がでないと
               改めて参拝し母の想いを思い出し・・・阿弥陀如来様、何卒ご容赦ください







2013年9月26日木曜日

豊川進雄神社(愛知)へ

実家の氏神様の進雄神社へ。ご祭神は進雄命(すさのおのみこと)。私が現在住む京都の氏神様の八坂神社と同じご祭神です。私の進雄神社参拝は多分15年ぶりでしょう。東京勤務の頃無性に手筒煙火の硝煙の匂いが懐かしく夏祭を見るために帰省。すでに県指定無形文化財の綱火は終了し勇壮な手筒煙火が始まっていました。

青年団の若者が孟宗竹に縄を巻き火薬を詰めて手造りした煙火を神様に真摯に奉納する神事です。頭上から身体全体に火の粉を浴び最後に地面に轟音とともに火花が飛び散ります。祭が終わると周囲を取り囲む人々の頭や肩には灰が積もって。両親が健在中の我が家は親戚の叔父さん達が集まり賑やかな宴を行っていました。

        綱火は拝殿から鳥居までの約100mに張った麻縄に噴出煙火を走らせるもので種類も多い
                             来年の夏祭は必ず参拝し伝統花火の綱火と手筒煙火と大筒を見なくては


豊川閣妙厳寺(愛知)へ

私の故郷の豊川閣妙厳寺(曹洞宗・千手観世音菩薩様)へ。境内に祀られる鎮守の稲荷(だきに真天様)が有名なため豊川稲荷と呼ばれている。あまりに身近な存在で子供時代の遊び場だったがネットで検索し荘大な寺院であることを改めて認識した次第です。急遽ボランティアガイドさんを依頼。地元の友達2人を誘って参拝へ。知らなかったね~なるほどね~すごいね~の連発。

堂塔伽藍は大小合わせて90余棟も。境内にはなんと本殿と本堂があり。神社ではないが商売繁盛の神として知られ参拝者は全国各地から。気付かぬ間にご本尊様はじめ幾多の仏様達は豊川育ちの私達を見守っていてくださったことでしょう。奥の院には大岡越前守忠相寄贈の優しいお顔の狐像が。堂宇さんのご好意で触れてご利益を得て。今後は帰省のつど必ずお参りいたします。

             総欅造りの総門。門扉は欅の1枚板を使用し銅板コケラ葺きで見事な細工が美しい
                            二つの鳥居の奥に本殿が。彼岸日本殿から鳥居を見ると真ん中から太陽が昇る
                              豊川閣妙厳寺本殿。正月の三が日は本殿まで辿り着くのが大変な人人人





2013年9月25日水曜日

砥鹿神社(愛知)へ

三河で一番高い霊峰本宮山789mへ昇る時必ず参拝した一之宮砥鹿(とが)神社(祭神は大己貴命=大国主命)へ。56年前高校1年の正月3日間巫女になって御札売をした懐かしい神社です。白い着物に緋色の袴姿で。記憶よりもはるかに立派な荘厳な神社でびっくり!妹がここで結婚式をと聞いて二度びっくり!!

私も出席したことを思い出したが、なぜか巫女の記憶が鮮やか。わが高校から1年生が3人毎年正月に巫女になる慣わしとのこと。大きな欅と楠の森に囲まれた総檜造りの神社でその歴史は1300年。現在の御札売場は2箇所も。5月初の連休に祭があり植木市が賑やかで我が家の小さな庭も少しづつ増えました。

              鳥居前の道は狭く、 内側の正門前へ駐車。写真は正門の裏側です
巫女になった3月のこと。結婚式の三々九度の巫女依頼があり再び砥鹿神社へ










三明寺(愛知)へ

懐かしい三明寺(曹洞宗・千手観世音菩薩様)へ。姫街道の北側に鳥居がひっそりと。叔母宅へ自転車で行き来する時必ず立寄ったお寺です。創建は702年。平安時代末期戦火で焼失したが南北朝時代に後醍醐天皇の皇子がその荒廃を嘆き再建とのこと。講堂中最も古い三重の搭は1531年建造で総高約15m杮葺です。

三重の搭は国指定重要文化財だが昔も今も崩れそうで哀れです。第1層と2層は和様、第3層は禅宗様(唐様)で全国的にも珍しいとのこと。本堂内は室町末期の様式を細部に至るまで知ることができる貴重な建物だそうだが覗いても暗くて何も見えない。三明寺横の急な坂道を自転車で昇るのが辛かったが意外に小さな坂でびっくり!!

             石の太鼓橋と池と本堂の有様は子供の時のまま。住職は妹の同級生だそう
                よくぞ建っている。頑張ってください。と祈りましたが周辺は雑草が・・・











成道寺(愛知)へ

彼岸の23日豊橋駅で兄夫婦妹と合流。伊藤家の菩提寺成道寺(曹洞宗・観音様七福神様)へ。車で約1時間の道程ですが、豊橋を過ぎると右手に美しい三河湾が現われ海沿いの道を走ります。子供の頃は飯田線で豊川駅から豊橋駅へ行き渥美線へ乗り換えて田原駅で下車し伊良子岬行きのバスで江比間まで。

本家のお婆さんが毎年新しい草履を作ってくれました。江比間は水がきれいな海で有名でしたが現在は遊泳禁止。成道寺の住職は代が変わって庫裏へご挨拶に伺ってもお布施を受け取るのみ。ご本尊様参拝はお堂の外で行うのが最近のお参りです。両親をはじめご先祖様達は三河湾を眺めながら安らかに眠っています。

                本堂前に大きなソテツが左右に。青く澄んだ大空で絶好の彼岸日和



2013年9月22日日曜日

二条城で楽しむ古典芸能へ

観阿弥生誕680年、世阿弥生誕650年記念「二条城で楽しむ古典芸能」京一夜、国宝に浮かぶ能世界。二条城は400年の時をえて世界遺産へ。能楽は600年を超えて時代の最先端から古典の最高峰へ。そしてこれらの世界は未来へ広がる。10世片山九郎右衛門が重厚に演じる能「忠度」を観に行きました。

会場は世界遺産元離宮二条城の二の丸御殿台所(非公開)で開催。二条城は徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所として造営し、3代将軍家光によって伏見城の遺構を移して1626年に完成。広い台所の土間に椅子を並べ、文武に優れ一の谷の合戦で果てた平清盛の弟忠度が亡霊となって藤原俊成に会いに行く物語です。

              藤原俊成・定家親子を祖とする冷泉家26代の娘貴美子氏の講演後に忠度が



祇園甲部歌舞練場へ

花柳流の踊りの発表会へ友人2人と。初夏のよき日に出会ったご縁の方のご招待で「花柳双子りさいたる双寿会」へ。祇園歌舞練場は我が家のベランダからよく見えるが入場は3回目。過去はいずれも祇園の芸子さん舞妓さんの「都をどり」でした。東京在の時も年に1度日本舞踊の発表会へ行く機会がありました。

ご縁で知りあった花柳春翔波さんは長唄で華やかな藤娘を見事に。だらりの帯や長い振袖の着物をたくみな所作で見事な踊りを披露されました。聞けば名取とのこと。イヨッ!の掛け声がかかり、背景全面に藤の花を吊るす大胆な舞台装置で踊りはますます華やかに。終了後に控え室にお邪魔してご挨拶しました。

                           祇園花見小路に面した甲部歌舞練場。3連休の中日で通りは人波が溢れて
           薄いピンクは豪華な緞帳。天井近くに赤い提灯が並んで。友人達と前2列目でかぶりつき






堀川御池ギャラリーへ

フォトグラファー坂口澄夫さんの写真展「創る人」へ。坂口さんは1990年から年2回パリコレクション取材を継続して15年。有名デザイナー・モデル・女優・ミュージシャン・ダンサー・アーティストなど各界を代表する方達を独自の目線で撮り続ける。今回のテーマ「創る人」は各地で地道な物創りに携わる匠達50人を優しい面差しで撮影しています。

誰でもいいものと出会ったら嬉しい。いい人と出会ったらもっと嬉しい。その人が素晴らしいものを創っていたら更に嬉しい。人のチカラは無限だと思います。とはチラシの言葉。 坂口さんはもの創りする人達の本来の人間性を引き出しひたむきな原点の美しさを表現しています。坂口さんの写真の皆さんは素敵な優しい笑顔でした。

            シンプルに物事に真正面から向き合いハッピーにしてくれる人達の笑顔でした


2013年9月18日水曜日

冠者殿社へ

四条通りの八坂神社の祭神(スサノウノミコト)の御旅所横の冠者殿社へ。狭い間口だが八坂神社の境外末社で荒魂を祀っています。神霊のおだやかな様を和魂といい猛々しい様を荒魂というそうです。元は烏丸高辻の大政所御旅所に鎮座していたが明治の四条通り拡張に伴い現在地へ転地したとのこと。

毎年10月20日を「誓文払い」という。昔の商人達は神様に商売ができることへの感謝と利益を得ることへの償いの意識を持っていた。この感謝と償いの意識により年1回の安売りをしてお客様へ利益を還元するという商道徳がしっかり守られた。この日京都の人々は感謝を祈願して多数参拝するそうです。

              京都人の商売繁盛の根源を示す神様に本日はじめて参拝。失礼いたしました

鴨川・高瀬川へ

50年に一度の災害を告知する「大雨特別警報」が16日未明京都で発令。雨台風の18号で京都のあちこちは水浸し。渡月橋が流木や泥水で押しつぶされそうになり嵐山界隈の商店街は冠水。桂川と鴨川の合流点の伏見辺りで堤防が崩れ・・・突然の天変地異はいつどこへ襲ってくるかわからない時代になりました。

17日鴨川の四条大橋を渡ったが水量は多く濁流のまま。西側の「床」の下に流れる疎水のみそそぎ川まで鴨川は一体化したようです。いつも橋から川を覗くと約80cmの黒い鯉達が悠然と泳いでいたが、もしかして伏見まで流されたかも。我が家は東山区で何の被害もなかったが友人家族から無事確認が多々あり嬉しく思いました。

           写真右の「床」の下まで鴨川の幅が広がったようだが今も濁流は勢いよく流れて
            台風一過の青空の下、江戸時代に造られた木屋町通り沿いの高瀬川も濁流のまま





2013年9月16日月曜日

京都えびす神社へ

東山区の京都えびす神社(祭神:八代言代主大神・大国主神・少名彦神)へ。西宮・大阪今宮神社と並んで3大えびす神社と呼ばれる商売繁盛の神様です。今年の1月10日えびす神社(えべっさん)へ出かけましたが狭い境内に大勢がギューギュー詰め。鳥居の外まで人が溢れていました。本日は曇天の夏の終わりで訪れる人もなく・・・

約800年前栄西和尚が宗から帰国する時シケに遭遇。京都にて臨済宗の建仁寺を創建する前に鎮守として建てたのが京都えびす神社とのこと。えべっさんの日は東門と西門の通りに出店がびっしり並び道ゆく人は縁起物の笹を求めて門前列をなして。京都の各店舗内に飾られた笹をみるたびに商売繁盛笹持って来いを思い出します。

    曇天で逆光のため真っ黒けの東の鳥居。えべっさんの日鳥居の外まで前に進めないほど人並みが
    本殿の左手に廻って板戸をトントンと。えべっさんは耳が遠いので叩いて「お願いしまっせ」と念を押す



2013年9月13日金曜日

六道珍皇寺へ

人々に「六道さん」と呼ばれる六道珍皇寺(臨済宗建仁寺派・薬師如来様)へ。京都仮暮らしの夕方この寺で不思議な光景に出会いました。今回特別公開中と知って意を決して参拝に。8月7~10日のお盆の入りの4日間で10万人がこの寺を参拝するそうです。ご先祖様の霊を迎えて自宅の仏壇でお参りし五山の送り火でお送りを。

ご年配の品の良いガイドさんが親切に案内くださいました。本堂の横に六道の世界を描いた大きな絵巻物が。その昔比丘尼がこれらの絵巻物を持って全国行脚をしたそうです。この世とあの世の分かれ道・・・六道とは一切の衆生が生前における善悪の業因によって必ず趣かなければならない六種の冥土です。

                  雨が降り始めた夕刻お経が鳴り響き・・・本日は蒸し暑い曇天で穏やか
           裏庭にあの世とこの世を結ぶ井戸が二つ。二つ目の井戸は2年前に発見されたばかり



安井金毘羅宮へ

東山区の通称安井神社へ。祭神は崇徳上皇・大物主神・源頼政。当初はお寺として創建されたが長い歳月の間で数奇な運命を変遷。明治の廃仏毀釈で強引に安井金毘羅宮になったそうです。ご近所の高齢の方の話では戦後荒れすさんでいたが徐々に綺麗にし現在のように多くの人々が参拝する神社になったそうです。

悪縁を切り良縁を得るというご縁結びの神様で24時間参拝可能。いつも若い女性(または男女)が御札に願い事を書いています。私の生涯はわが道をゆくのため神様にお願いして切りたい縁も結びたい縁もなく熱心に祈願する人々に出会うたびに不思議な気分に。世の皆様は感情豊かに繊細に生きているようです。くれぐれもお幸せに!

             南側の鳥居。東側と北側の鳥居もあり正月には参拝者が長い列を作って





2013年9月10日火曜日

ヨガレッスン

運動オンチの私がヨガ教室に通い始めました。本日で4回目。なんと1回目のヨガ体験で腰辺りの背骨が自分で触っただけでも痛かったのにピタリ!と止みました。原因は十分承知していますが、5年前の左足親指の骨折です。その結果、約半年の間に、左の足首・膝・腰へと痛みが見事に順番に上ってきました。

ご丁寧なお試し体験で、触るとビリビリと痛かった背骨が触っても痛くないのです。真後ろから見ると左へ湾曲していた背骨がほぼ真ん中へ。69年間の体の歪みや縮みをヨガで矯正を。呼吸を整え筋肉や筋を伸ばして鍛えて、なんのその。少人数レッスンのため指導者は一人ひとりの体を考察し原因を分析して指導くださいます。頑張らなくては!!

    ヨガグッズ。左は100円ショップの子供用ビニールボール。右はオリジナル・イガイガ・ふにゃふにゃボール


              





2013年9月7日土曜日

月真院へ

非公開の高台寺搭頭月真院(東山区・臨済宗建仁寺派・千体地蔵菩薩様)へ。9月19日は中秋の名月。当夜この寺で満月酒宴が開催されるため下見に。ねねの道に面した高台寺の北側です。非公開でも門は閉じていないので遠慮なく10歩境内へ。庭がとても広いそうで月真院から見る満月はさぞ美しかろうと期待が。

津和野藩主亀井家庇護の下、北政所の従兄弟によって創建された亀井家の菩提寺です。幕末の一時期勤王派の御陵衛士の屯所が置かれていましたが、1867年油小路事件で新撰組によって事実上御陵衛士は消滅したそうです。私の京都観光は2年目のため今後は非公開寺院を中心に参拝しようと思います。

         いつも観光客で大賑わいのねねの道沿いの月真院山門。御陵衛士屯所の高札を読む人が
              10歩入った左側に本堂が。写真右の白壁の向こうが広い庭で満月を望む



祇園閣へ

非公開の大雲院境内の祇園閣へ。1928年大蔵財閥の大蔵喜八郎氏が御大典記念に創立した祇園祭の鉾の外観をした立派な楼閣で京都市内が一望できる。内部は廻り階段で上へあがるが敦煌の莫高窟所蔵窟の壁画が上部までびっしりと描かれています。壁画の前には〇〇窟と番号が記載されたプレートが。

それぞれの壁画の有名な箇所の一部が描かれています。仏教文化に造詣の深い井筒雅風氏の指導を仰ぎ敦煌の壁画を模写したそうで釈迦説法図と観無量寿経変相図を中心に構想が練られ、日中友好の一助になればとの願いが込められています。この祇園閣窟が敦煌莫高窟研究の一端となり仏教文化の礎となることを祈願しているとのこと。

                                       いつも外から眺めていたが京都には珍しい建物との疑問が解決



大雲院へ

日頃は非公開の大雲院(東山区・浄土宗・阿弥陀如来様)は織田信長・信忠親子の菩提を弔うために創建されたお寺です。当初は御池御所(烏丸二条)にあったが秀吉の命により寺町通りの現在の高島屋の地に移されたが、周辺が商業繁華の地となり布教・教化に相応しくないとの考えで1973年現在地所有の高島屋とバーターし東山に転地したそうです。

京都には珍しく鉄筋コンクリート造りのお寺で八坂神社の南側にあり、何度この周囲を歩いても門は固く閉じられていたが今回は特別公開中。島津家分家・山岡鉄斎等の菩提寺で書画が多数展示されています。庭には石川五右衛門の立派なお墓もあり、京都検定1・2級を保持する品の良い有能なガイドさん達がご親切に解説くださいました。

                 ようやく拝観が叶った大雲院本殿。左側には御池御所にあった鐘楼と八坂神社にあった鐘が






2013年9月4日水曜日

おわら風の盆(富山)へ

立春から二百十日の風封じと五穀豊穣を願い、演者が三日三晩唄や踊りに酔いしれる「越中おわら風の盆」を見に行きました。最初に、往時を偲ばせる佇まいの家々の坂の道諏訪町で三味線と胡弓、哀愁を帯びた地方衆の演奏に合わせた踊り手の優美な所作を拝見。旅館が用意した椅子席をちゃっかり確保。最後は、聞明寺の本堂で優雅な踊りを・・・

加賀百万石の前田藩、後に分家となった富山藩で八尾のおわら風の盆は300年の時を経て、目深に被った編み笠で顔を伏せしなやかに踊る女性達と切れ味の良い凛とした所作の男性達の踊りが町を流します。人口2万人の山間の町並みにぼんぼりが揺れ観光客が溢れています。当夜は12万人。前夜の日曜日は20万人だったそうです。

               男性と女性が全く異なる所作で踊る町と同じ所作で踊る町がある
                  富山の男性は男らしいとは居合わせた名古屋女性の弁。なるほど凛とした所作で踊る姿は逞しい




2013年9月3日火曜日

北陸自動車道(京都~富山)へ

2日PM1:30京都駅からバスで滋賀県・福井県・石川県を通って富山県の八尾市へ。帰りはPM10:30八尾市を発ち途中で石川県の健康ランドで入浴仮眠を取ってから一気に京都まで走りました。片道4時間30分~5時間の道程。滋賀県の琵琶湖東側を北上した辺りから豊かな日本の秋の田園風景が広がりました。

今にも雨が降りそうな曇天でしたが、稲が小金色に染まり森林が健やかで点在する家屋は存在感があり、思わず見惚れて窓の外を眺めていました。帰りの車中、真っ暗な夜空に大きな星達が瞬きオリオン座と細い上弦の月ががくっきりと。真っ黒な夜空が鈍い朝焼けに刻一刻と変化する様は荘厳そのものでした。

                  帰りの車中、福井県辺りの朝焼が今まさに始まる5時頃の風景
                早い夕食のために立寄った石川県の尼御前パーキングエリアの窓から





2013年9月1日日曜日

みやこメッセへ

岡崎公園内のみやこメッセへ。夏の白馬で一緒になった京都の方のお誘いです。京都老人会の発表会が、とのこと。なるほど、絵画や書道、手作り人形や手まりの展示。民謡や謡の発表会があり、とても賑やかです。お元気な高齢者達が大集合。同行者から「物が残るものはやっちゃダメ、いつでもお迎えは覚悟する。楽しいことをしなきゃ・・・」と名言が。

身体に良い青汁と桑の葉のお茶を試飲したら「即効性があるね」と元気もりもり。健康体操の指導を受け、血管老化度をチェックし足型負荷を測定し、肌健康度を確認して美容液サンプルをいただき・・・滞在中の3時間を満喫。おやおや和服姿の門川市長のご尊顔を拝見し、気楽な2人で安価な充実した一日を過ごしました。

            みやこメッセ前の鮮やかなオブジェ。後ろのモミジの紅葉が始まってビックリ !
              美しい壁面装飾。依頼されたクリエイターの自由な発想から勇気をいただく