2013年4月28日日曜日

正伝永源院へ

臨済宗建仁寺の搭頭のひとつ正伝永源院へ。普段は非公開だが4月初め、元首相で第18代当主の細川護煕氏が描いた襖絵が完成し披露がてら院内の見学が可能に。鎌倉時代の創建時から正伝院と永源庵は別々の搭頭だったが明治初期の廃仏毀釈令で正伝院は没収され2寺を連ねた名前で残したそうです。

永源院は戦国末期荒寺だったが織田信長の弟の織田有楽斎が出家後再興し悠々自適茶道三昧な生活を送った寺で立派な石塔や茶室も建っています。住職を度々迎えるなど肥後熊本細川家の菩提寺として長く続いた寺のようです。京都は観光シーズンが終わると非公開建造物を公開して観光客の目を楽しませてくれます。

                庭園にはツツジの花が満開。秋の紅葉のような鮮やかな色模様
               元首相の襖絵は2室分。下記は春の東山風景で完成度はイマイチ!?

2013年4月20日土曜日

舟を編む

の映画を観ました。三浦しをん著の「舟を編む」は広辞苑並みの辞典を出版するまでの苦労話で2012年度の本屋大賞作品。これが本屋大賞?が私の本音で読んだのは1年以上前のためストーリーの記憶はおぼろげに。青年担当者の辞書に取り組む誠実な人柄が描かれ暗い映像と淡々とした展開に時々居眠りしながら見終わりました。

「泣けたわ!泣くような結末じゃないのに!そうよね!」とは1列後ろから聞こえた若い3人の女性の声。感動の言葉は延々とトイレまで続きました。シルバー料金の私は彼女達と感動を共有できずしごく残念。未だにTVを観て泣き本を読んで泣く感受性の豊かな私なのに。そういえば最近の芥川賞も直木賞も本屋大賞も私には??が増えたのは歳のせい?

             私も数年前(在職中)辞書の出版をしたが編集過程のあまりの相違にビックリ!



2013年4月17日水曜日

村上春樹著

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を発売初日に購入。本屋大賞の「海賊と呼ばれた男」をとジュンク堂へ行ったが店頭には「色彩を・・・」が多数展示され村上氏の過去の著作本も大量に平積みに。「1Q84」以来3年ぶり小説で半年かけて書き国内販売が1週間で100万部を超えたとは、本屋大賞よりも先に読まざるを得ません。

村上氏は60歳前半のはず。なのに36歳の青年の苦悩を延々と描き、高校時代に築いたカケガエのない絆が20歳の時、親友達から突然の拒絶を受け、真実を知るために多崎つくるが巡礼する話だが、あっけなく読み終わった。過去の村上作品は多少面倒くさい文体だったのに?文芸春秋は村上作品を初出版とのこと。本屋大賞発表に合わせて販売とはお見事!!

                  長くて不思議なタイトルに誘われてスラスラ読んで結果成る程!





2013年4月13日土曜日

平安神宮紅しだれ桜コンサートへ

初日は雅楽師の東儀秀樹氏で満員御礼。私は雅楽の音と舞が大好き!!楽器は笙とシチリキ(七力)。1400年前に大陸から日本へ渡ってきたそのものの形で現存とか。笙は天から降り注ぐ光を表し、七力は地上のあらゆる音を表現するそうです。笙はいかにも古典的で高貴な音色でひたすらうっとり。

七力はポップやクラシックなど洋楽器にもピッタリ合致し、ジュピターやトゥーランドットが高らかに演奏された。ライトアップした平安神宮の紅しだれ桜は夕暮れの蒼空と桜の花のコントラストが鳥肌が立つほど美しい。長身の東儀さんは重ね着で桜色の狩衣に烏帽子を被り平安貴族そのもの。ジュピター・トゥーランドット・・・あっという間の40分間でした。

                真冬のような寒さの中、私は冬用コートを着用し暖房完備で大満足
              やや散り始めていた桜がライトアップすると、私を見て!と言いたげで自信満々

2013年4月12日金曜日

千本えんま堂へ

千本釈迦堂から東へぶらぶら歩くと広い千本通りへ。ここから北へ9分で千本えんま堂が。千本通りは平安京遷都の頃、都大路といわれた華やかな通りでしたが、室町時代や戦国時代に飢饉・戦争・地震・洪水などで都が荒れ果て千本の卒塔婆が立つほど寂れてこの名称になったとか。えんま堂には珍しい桜の花が。

名は普賢像桜。椿のように首からポトリと落ちるのです。2年前、この桜が見たくてえんま堂へ電話で開花を確認して出かけたが、落ちた桜は1つもなく残念無念!今年はワクワクしながら訪問したが固い蕾のまま。あーぁ、桜を始めとする花達のジャストタイミングを見極めるのは難しいなぁ。最近の京都はまだまだ寒く冬コートが手放せない。

            えんま堂のポスターをパチリ!丸い花が地面に散る様はいつ見られるやら
                固い蕾の中でやや膨らんだ普賢像桜。意外に濃い桜色で期待増!

2013年4月11日木曜日

千本釈迦堂へ

平野神社から東へ友人と見知らぬ道をぶらぶらと。滲抜屋や金襴屋が軒を連ねる京都らしい小路の左手に千本釈迦堂が。名称は大報恩寺だがご本尊が釈迦如来のため千本釈迦堂と呼ばれている。創建は鎌倉時代1221年。棟梁が柱の寸法を間違えたが妻のお亀が枡形をとアドバイスし無事に上棟式を迎えました。

お亀は女が男の仕事に口出ししたことに責任を感じて自害。上棟式は無事に終了。後の人々は貞淑で才知に溢れたお亀を称えておかめ塚を造り、菩提とお堂の無事を祈願したそうで現在も大工さんから尊敬されている寺。創建以来、応仁の乱他の火災をたびたび免れ現存する京都で最古の木造仏教建築です。お亀のような女性は今も・・・

               友人のカメラでパチリ!大きな枝垂桜はお亀桜。横にはおかめの像が
                    千本釈迦堂門前の満開の桜。隠れた名所で咲く見事な桜

平野神社へ

桜の名所の平野神社の創建はナンと奈良時代末期。平安遷都した794年には桓武天皇の父光仁天皇の御所だったそう。創建時の面積は現在の御所とほぼ同等で広大だったが時代が進むにつれ神社の格が下がって狭くなったとか。本殿は国の重要文化財。だが桜の満開時期、申し訳ありませんが本殿参拝者は実に数少ない。

鳥居をくぐると今を盛りの満開の桜の花が本殿の左手に。ここの2度目の訪問ですがいつも満開で紅白の幕やカラフルな提灯がいかにも庶民的!曇り空の平日のせいか花見客は少なかったが春爛漫の桜に囲まれると肌寒さを忘れて、おぼろげな桜色のほんわかムードが空一杯に広がって幸せ気分で大満足。

               友人のカメラで。遠くに人を撮影するとオバン顔がぼけて誠によろしいとか
                  緋毛氈の花見用縁台に人影はなく、おお寒い!桜たちを独占!





北野天満宮へ

菅原道真公を宗祀とする北野天満宮へ西宮の友人と。鳥居をくぐって進むと広場で火がたかれ四方に狩衣姿の神官が立ち祝詞を詠んでいました。聞けば「1年分の奉納絵馬のおたきあげ」とのこと。この1年、就学成就と武芸上達の神様に入学や就職の祈願をした人はさぞかし多かったことでしょう。

1月下旬に参拝した時、今年の梅の開花が遅れて咲いていたのは3輪のみ。6日、梅の花は残念ながら全部散っていましたが参拝者は想いの外多く、今年もお祈りする人は数知れず。道真公を祀る神社は全国に12,000社とか。民社党の元党首菅直人氏の祖先とは知る人ぞ知る事実。3.11の地震・津波・原発事故を道真公は案じているでしょう。

                           人々から北野天神さんと親しく呼ばれ、学問の神様として今も昔も信仰され
                                   例年は梅の花に見とれていたが今年は本殿の裏側をぐるり一周









誕生日

4月6日は69歳の誕生日。生家近くに豊川稲荷所有の「桜の馬場」があり丸い公園にドーナツ型に植えられた桜がいつも満開!初午の日近郷農家の家畜の馬が勇壮に走る競馬がありました。4月は毎年盛大な花見が行われ仮設舞台で旅役者が演じ、宴たけなわのゴザの上では酔客が戯れ芸者が三味線を弾き、子供達は屋台が楽しみでした。

6日、京都の桜は十分咲いていて大満足。京都在の友人2人からプレゼントをいただき、携帯メールがあり、妹の孫からおめでとう電話、なじみの喫茶店主も笑顔で。こんなに多数の人から誕生日を祝ってもらったことは生涯で初めてです。1人暮らしを初めてから43年。桜が開花するたびに「私のために咲いている」とにんまり!

                 happy bersday to you をひとりで歌いましたが中々の体験でした
              私のお腹にはちょっと多かったが、全部一度にいただきました。ありがとう!

2013年4月9日火曜日

祇園白川へ

京都の名所祇園北側の白川へ。琵琶湖疎水から流れる人工の小さな川で鴨川に注いでいます。辰巳大明神の朱赤の鳥居と辰巳橋と両岸の日本家屋と緑の木々はあまりに有名です。2月は梅が、4月は桜と柳が見事なコントラストです。今年の桜の時期はあいにく晴天は一度もない。黄砂かPM2.5か春霞か定かではありませんが。

我が家近くのため昼は東京の若い大学生と2回、夜は東京の医師と1回見に行きました。夜は散り始めていましたがライトアップと花灯路のせいで肌寒さを忘れる幻想的な美しさ。ライトアップは花見を長く楽しむ手段だとつくづく感心。花灯路も、3月に東山界隈で使ったものを使い廻しているとは水炊き萬次郎の仲居さんの弁。

           雨がそぼ降る寒空の祇園白川。右側は3年前友人が滞在した料理旅館の白梅
           満開のソメイヨシノ。どこから撮影しても美しい。この花の命が1週間とははかない

2013年4月8日月曜日

大河内山荘へ

時代劇の名優大河内伝次郎氏が昭和6年から64歳で亡くなるまでの、30年間の歳月に亘り、美を求めてこつこつと創り上げた庭園です。広大な庭は回遊式で多数の松、桜、楓が四季を彩り山荘からは嵐山や東山の比叡山が望め、眼下に京都の町並みが広がっています。お茶を一服しひと休みしてから庭内を散策。

大乗閣・妙香庵・滴水庵・御堂・展望台。自宅にこんなに建物があるなんてすごい金持ちだったんだ。子供時代に見た白黒映画で、片目が傷跡で見えず白い着物で眼光鋭く悪人をバッタバッタと切り倒す、丹下左膳に扮した大河内伝次郎氏はっきりと記憶があります。映画好きな我が家は一家揃って見たのでしょう。

                           大乗閣前の広い芝生の庭。桜と雪柳が満開でこの先で抹茶を一服
                  展望台から見ると向こう側に嵐山の借景が。中腹には山桜が



常寂光寺へ

嵐山駅から西山の麓を北へ進むと、静かで落ち着いた田舎道を散歩する気分でオゾンを胸いっぱいに吸って軽快に歩くことができます。左に小倉山の麓の常寂光寺の仁王門が突然現われます。開山は戦国時代末期の1595年。帰依者には秀吉の兄弟姉妹、小早川秀秋、加藤清正、京都の町衆などが多かったそうです。

仁王門をくぐって長い階段をまっすぐ上ると本堂が。後ろを振り返ると京都の町が一望できます。こんなに高い場所に上って来たのか、と感慨無量。正面に比叡山がそびえ、大文字山・東山・山科まで。市街地は建物が林立し、どこがどこやらの感がするが創建時はきっと碁盤の目に従って、神社仏閣の屋根や搭が確認できたことでしょう。

                常寂光寺の仁王門。南北朝時代の建立で仁王像は運慶の作
                本堂前から後ろを振り返ると桜が満開の京都の町が明るく広がる


2013年4月7日日曜日

二尊院へ

百人一首で名高い小倉山の麓にあり本尊に釈迦如来様と阿弥陀如来様を祀っています。創建は847年。釈迦如来は人が誕生し人生の旅路に出発する時に祝福してくださる仏様。阿弥陀如来はその人が寿命を全うした時に極楽浄土から迎えに来てくださる仏様。現在は天台宗に属し法然上人25番霊場の17番目です。

本堂には2つの仏様が金色に輝いて優しく微笑んでくださいます。天皇家と深い関係があり旧宮家や角倉家の菩提寺です。明治維新まで天皇の名代として勅使参詣があったとか。春の桜と秋のモミジの美しさは言葉にできない美しさ。JRの「そうだ、京都行こう」で紹介されたポスターは記憶に残る京都の風景です。

                       本殿前の見事な枝垂桜。今まさに満開ですが訪れる人も少なく静寂そのもの





嵯峨野の竹林へ

嵐山駅周辺は土産物屋がずらりと並んで大変な喧騒です。大覚寺の門を過ぎて細い道を左へ曲がると竹林が。天高く孟宗竹が伸びる小道が長く続き、空気が一気に変わります。同行の東京から来た大学生2人は東山を歩いていても嵯峨野でもさかんに「空気が美味しい」と鼻をクンクンしていました。
   
           この竹林は春夏秋冬いつ来ても青々として美しい。誰が手入れしているのやら

渡月橋へ


東京の大学生2人と、保津川と鳴滝川の合流点の渡月橋へ。阪急電車で河原町から桂で乗り換えあっという間に嵐山へ到着しました。春爛漫・桜爛漫・絶好の好天に恵まれ、ぶらぶら歩くにはもってこいの一日でした。現在の渡月橋は江戸時代の豪商角倉了以が架け替えたものだそうです。

公園には家族や友人とお弁当を広げてのんびり過ごす人々が。のどかな日本の春だなぁ。同行の大学生は焼きそば・お好み焼き・抹茶ソフトが食べたい、と素直でよろしい。私も桜の下満喫しましたが、渡月橋をゆっくり歩いて嵐電側の嵐山へ。観光客や修学旅行客が賑やかな笑顔で溢れていました。

                                 桜の花は今が盛りの満開です。春の空桂の川面になごむ子ら
             渡月橋は修学旅行生がいつも多数溢れています。薄桃色の山桜が山肌に












2013年4月2日火曜日

八坂神社へ

ただ今、祇園四条通は花見見物客で大騒ぎ。八坂神社前=通称石段下のローソンは私の最寄コンビニですが、トイレットペーパーや牛乳が売り切れて私の生活に多少の不便が生じています。八坂神社参拝者や円山公園花見客が朝から晩まで押し寄せています。本殿も人々が並んで参拝し舞殿では衆目の中で結婚式も行われていました。

創建は1200年前。天照大神の弟スサノウノミコトを祀っていますが、この荒ぶる神様は現状の喧騒をいかに感じていることか?でもね、きっと喜んでいるでしょう。1200年間京都の人々から慕われ尊敬されてきたのだから。通常の10倍近い露店が賑わい、満開の桜を見上げる人達は一様に笑顔で幸せそう!

                            満開のソソメイヨシノ。江戸時代に交配して誕生したたった1本の桜が全国に
                 八坂神社本殿。左側に約10人が3列に並んで参拝順を待っている


2013年4月1日月曜日

清水寺へ

清水寺の創建は奈良時代末期。征夷大将軍の坂上田村麻呂が蝦夷征伐の折に戦勝祈願のため立ち寄ったところ清らかな滝があり熱心に修業する僧が。山中にて白い鹿に出会い、これは吉兆と確信したそうです。征伐後、この地に田村麻呂の邸宅を作ったが後に寺院としたとのこと。

清水寺の舞台がいつ完成したか正式な記録はない。その原因は度重なる火災で書物の多くを損失したそうです。現在の本殿と舞台は江戸時代のまま。舞台は釘1本使わない日本の優れた建築技術です。江戸時代には清水の舞台から飛び降りて生還すると念願成就すると流行ったとか。確か飛び降りた人は20数人のはず。

 ねねの道から三年坂二年坂を上って山門へ。清水寺詣では江戸時代から現代まで庶民のプチ外出の娯楽旅
              十一面観音様が本尊ですが人々は参拝は二の次で舞台から京都の町見物

高台寺へ

豊臣秀吉の妻北政所が徳川氏の援助で秀吉を弔うために作った高台寺へ。高台寺は最近商売熱心で年間を通してイベントを仕掛けており、京都人の評判はあまり良くない。ねねの道は観光客の人の波でそぞろ歩きしかできません。道の両側には多数の土産物屋や飲食店が軒を並べていますがどこも超満員。

少し前まで私のお気に入りの静かな散歩道でしたが、桜が咲くとこんなに人々が訪れるとは・・・
和服姿の若い男女がよく目につきます。会話を聞くと韓国語だったり中国語だったり。着物の着こなしが上手いのにビックリです。最近は欧米からの観光客も多数見かけます。京都を訪問する外国人は年間約5000万人とのこと。

              枯山水のみごとな庭園には満開の枝垂桜が1本。春爛漫の高台寺
                孟宗竹が天高く伸びる高台寺の庭。暖かい陽を浴びてすくすくと