2011年7月29日金曜日

天平聖武絹作品展へ

友人のUさんご夫妻は丹後縮緬の織元です。ただ今、東京の青山で新作の着物展を開催中。Uさんの奥様と私は昨年4月、奈良法華寺で偶然のような出会いをして以来、親しくさせていただきました。手操りという2000有余年に及ぶ日本の伝統技法を今も伝え、展示会は長い歴史の重みをずしりと感じる作品群でした。

天平聖武絹とは奈良時代の朝廷へ献上した絹のこと。聖武天皇が大仏開眼祭を行ったのは1255年前。東大寺の保管庫に当時の献上絹が今も大切に保管されているのを知ったUさんのご主人は、約40年前、その昔の技法で全く同じ絹布(鮮やかな茜色)を再現し、以来、毎年5月に開催される東大寺の大仏開眼祭に、天平絹を献上しています。

                                  携帯の写真では素晴らしい絹の色や風合いが表現されず、残念
            溜息が出るような丹後縮緬の着物。絹糸の1本や繰り方にUさんの熱い想いが

2011年7月24日日曜日

モード学園コクーンタワーへ

新宿の元勤務先(学)モード学園のコクーンタワーへ行き、久し振りに各教室巡りをしました。夏季休暇に入り、東京モード学園・HAL東京・首都医校ともに、校舎全体がゆったりと落ち着いた雰囲気でした。教職員は元より、私の顔を知らない学生達からも、笑顔で挨拶があり、モード学園教育は相変わらず、と再認識しました。

3校の教室や付帯設備ですが、オシャレな外観に相応しいように、かなりクリエイティブな空間を丹下設計の建築家と相談して造りました。今回、同行した東京の友人達に、とても良かった!素晴らしい教室!と褒めていただき、ひと安心。一般の方は学園見学ができませんが、建物完成後約3年が経過しましたが、整理整頓・掃除が行き届き、ひと安心でした。

                             50階の展望ラウンジは関東平野を360度、グルッと見渡せる。
                50階のラウンジからレインボーブリッジや東京タワーがくっきりと

2011年7月22日金曜日

ドン小西・着物発表会へ

京都の小田章さんから、ドン小西さんの着物を発表するそうで、プレス発表会がありました。なんと小西さんの実家は呉服屋さんで着物とはご縁が深いとのこと。粋でモダンな柄はさすがドン小西さん。当日、小西さんも着物着用でお出ましかと期待していましたが、いつものスーツ姿でビシッと。取材陣ににこやかに応対していました。

会場に居合わせた取材陣やモデル達も小西さんの着物に興味深々。小西着物は着付けの素人でも3分間で着用可能とのと。レポーターのリリ子さんが急きょモデルとなって、タンクトップにパンツ姿の上に短時間で粋な着物姿に大変身して皆ビックリ!!遊びや仕事のついでに着物を着用しパーティーへ行き、すぐ脱いで・・・ですって。モデル達も「私も着たい!」と次々と大盛況でした。

                                      着物柄は曲線が多いが、小西着物は直線にこだわりを、とのこと
                    オシャレで粋な柄の小西着物は現代っ子にピッタリ!

表参道ヒルズへ

敗戦後、現在の代々木公園に駐留軍の将校たちの宿舎があったそうで、その後、東京オリンピックの選手村となり、そのまた後、代々木公園に整備されたとのこと。キディランドは駐留軍家族向けのおもちゃ屋さんで、原宿界隈は、なんとなくオシャレな雰囲気が残っており、ファッション街へと変貌しましたが、60年の短い歴史が重層的に重なって現在の街を造り出したようです。

表参道ヒルズは安藤忠雄さんの代表的な建築ですが、オープン当初は押すな押すなの盛況ぶりに驚いて早々に退散しました。今回は久し振りの訪問でしたが、落ち着いた大人のオシャレなファッションビルとして定着したようです。しかしながら、1軒ずつの店舗はオシャレ過ぎて我ながら入りにくく、横目で眺めて楽しみました。

                  明治神宮のケヤキ並木は暑さにもめげず逞しく人数も多い
                      地下3階から中庭を見上げると見事な空間美が

2011年7月19日火曜日

浅草寺へ

浅草は大変魅力的な町です。今回は友人との約束よりも早めに到着し、普段通らない横道をいくつか歩いてみました。境内の伝法院周辺は若い外国人女性客を乗せた人力車が走り、江戸金細工の店に入って繊細な商品に見惚れ、美味しそうな夏菓子屋で足を止め、安価な衣料品や靴や雑貨類はもう一度、足を運ぼうと思いました。

ご存知雷門前は待ち合わせ場所。その先の仲見世はいつも日本情緒を楽しむ外国人を多く見かけますが、今回はかなり少なめ。東日本大震災の影響なんでしょう。江戸時代の浅草寺図を見ると、本殿前に東塔が描かれていますが、現在は色鮮やかな西塔のみ。東塔の跡地はパワースポットとして若い女性に人気があるそうです。

                                           聖観音宗金龍山浅草寺。寺伝によると創建は628年
                                   源頼朝、足利尊氏、徳川家康など時の権力者が祈願したそう

2011年7月18日月曜日

東本願寺へ

メトロ銀座線の浅草駅の1駅前の田原町で降り、東本願寺に参拝しました。東京の東本願寺は初めての参拝ですが、町の人々は訪問者に笑顔で親切に行き先を教えてくれました。江戸時代から庶民の町として賑わいに満ちた浅草は、街路樹や植え込みに配慮があり、情緒豊かな下町です。

本堂には約300人ほどが収容可能な椅子席がありました。法話が日常的に行われているのでしょう。残念ながら柱や壁などはコンクリート製の近代建築。東京では消防法で大きな木造建築が禁じられているそうで古文化建築の復元はできないのが現実だそうです。

                                 東本願寺の正門には屋根がない。壁の五線は京都に比べて微妙に細い
                        境内の木立から蝉の鳴き声が聞こえる

2011年7月8日金曜日

東京ミッドタウンへ

元防衛庁の跡地に立つ東京ミッドタウンはあまり好きではありません。完成直後、ショップを2~3回見廻った記憶がありますが、私が欲しいと思った商品があった試しがない。別に私好みの商品を揃えてもらう必要はありませんが、購買者層をどこに合わせているのか、全く理解しかねます。

ファッションショー用のホールがあるため、その時々に直行し、裏庭には大きな美しい庭園が広がっているため建物を横切って、一直線に若手作家のオブジェを見に行きます。一番多いのは、1階左奥の2121デザインサイト訪問。三宅一生さん監修の見事な作品展示がいつも展示されているからです。

   地下通路にあったミッドタウンの素晴らしい夜景(電飾看板)をパチり。無論、東日本大震災以前でしょう
      曇り空のため薄ぼんやり。半ば階のリッツカールトンのラウンジはゆったりお茶を飲むのに最適

国立新美術館へ

著名な建築家、黒川紀章氏末期の代表作、国立新美術館は六本木を代表する建物です。緩やかな曲線の外観で広くて明るいガラス張りのエントランスが、来場者達がワクワクするような気分で招いてくれます。私が訪れたのは曇り空のPM3:00頃のこと。なのに訪問者数はひっきりなしでした。今回のメイン展示は、ワシントン・ナショナル・ギャラリー展。

パリで花開いたバルビゾン派とそれに続く印象派とポスト印象派の作品が多数展示されています。パリに印象派美術館には及びませんが、よくぞここまで蒐集したものです。コロ―、マネ、モネ、ドガ、ピサロ、ルノワール、モリゾ、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ・・・もう有名画家の作品がずらりぞろり。時代の流れによって彼らの作風が次第に変化する様までよく理解でき、大満足の展覧会でした。

                             見事な建築物なのに、梅雨の曇り空のため薄暗い写真で、残念無念
                      高いエントランスは解放感に溢れたガラス張り

2011年7月4日月曜日

月見岡八幡宮へ

この神社も昭和の半ば、新宿区下水道水再生センターに組み込まれて、現在の地に移転したそうです。東京の建造物は震災や戦火で消滅し、その後再建した、と思い込んでいましたがどうも違うようです。時々に様々な事情で移転したり境内が縮小されたり。その佇まいはいかにもこじんまり。関東平野のような広大な土地の神社仏閣の力は弱く、支える人々の信仰心も薄く、増殖する巨大な時代の波に大きく呑まれたようです。

江戸時代、二百名山があったそうで、江戸名所として人々が多く訪れ、山登りを楽しんだそうですが、どこも小山や丘ばかり。月見岡の名称は旧境内の湧水池に月光が美しく映ったというのが由来とか。創建は八幡太郎義家に遡るそうです。どこも神社仏閣がチマチマしており肩身が狭そうで何だかお気の毒。

                                        昭和の再建だが隣は大きな建物の幼稚園。境内にも民家が
            この富士塚も移築したとか。江戸時代、この山に登って富士山詣でをしたつもり

佐伯祐三記念館へ

下落合の佐伯公園の中に佐伯祐三記念館があります。佐伯祐三は東京美術学校(現芸大)卒業後、憧れのパリへ行く。帰国後(大正時代末期)下落合のアトリエに戻り再びパリへ渡ります。この短い帰省中に「下落合風景」の連作を描きましたが、現存する風景はガード下のたった1枚のみ。この辺りの変わり様は東京の変化そのもの。高級住宅街だったそうで今もその面影が周辺の家並みに残っています。

佐伯祐三は、私が高校時代に憧れた画家。パリのモンマルトル周辺を哀愁に溢れた風情で描いた建築物や色使いは、油絵をはじめたばかりの私に大きな影響を与えました。パリへ行きたい!モンマルトルへ行きたい!とも。貧乏絵描きだと勝手に想像していましたが、自宅兼アトリエが記念館として残っていますが、随分モダンで大きな建物だったようでビックリ!

                                 佐伯家の庭苑が公園となり、自宅はアトリエも含めて計5室とか。
           陽光が燦々と降り注ぐ素敵なアトリエ。高級住宅街の中でひと際目立っていただろう

2011年7月3日日曜日

薬王院へ

正式名称は瑠璃山薬王院東長谷寺。新宿区下落合。創建時はこの付近の七曲坂にあったが明治時代に現在地に移った、とか。創建は鎌倉時代だが長い間荒廃していたそうです。徳川将軍4代家綱によって中興されたとのこと。薬王院の正門を西側に沿って進むとまもなく、急な階段坂がありますが、この高台を地元の人は山号をとって現在も、瑠璃山と呼んでいるそうです。

別名牡丹寺といわれるほど牡丹の名所として有名で、現在も4月末の開花シーズンには大勢の人が訪れるとのこと。奈良・長谷寺の末寺で1000本の牡丹を移植したそうです。境内全体は本山を模して造られたそうですが、中興の祖4代将軍家綱は果たして奈良・長谷寺詣でをしたことがあるのかしら?

                     東京の寺社は創建は古くても近代建築に変化した建物が多いが、この山門は往時の趣が
                ベージュ色のペンキで塗られた舞台造りの本堂は、なんと非公開

おとめ山公園へ

江戸時代、あたり一面は将軍家のお狩場でした。そのため、人々が立ち入ることが不可能な御留(おとめ)場だったが明治以降、東半分は近衛家、西半分は相馬家の所有となり、その後、持ち主が変わったり一部分譲されたりしたが、戦後は大蔵省所有となり現在は公園として自然豊かな雑木林や池が残されています。

新宿区下落合の一画のおとめ山公園。坂道の東側の近衛家の回遊式庭園の池には多数の亀が住み、この暑さの中、朽木の上で何匹も連なって甲羅干しをしていました。西側公園の奥に湧水があり、その水の流れで蛍を養殖していた時代もあったそうですが、鬱蒼とした森と藪の中を歩くと、まさに都会のオアシスです。

                                     東側の近衛家側の公園の門。公園は高低差のある細道が連なって
                 公園の中から空を見上げたら、暑い夏の日射しが注いでいた