2011年7月4日月曜日

月見岡八幡宮へ

この神社も昭和の半ば、新宿区下水道水再生センターに組み込まれて、現在の地に移転したそうです。東京の建造物は震災や戦火で消滅し、その後再建した、と思い込んでいましたがどうも違うようです。時々に様々な事情で移転したり境内が縮小されたり。その佇まいはいかにもこじんまり。関東平野のような広大な土地の神社仏閣の力は弱く、支える人々の信仰心も薄く、増殖する巨大な時代の波に大きく呑まれたようです。

江戸時代、二百名山があったそうで、江戸名所として人々が多く訪れ、山登りを楽しんだそうですが、どこも小山や丘ばかり。月見岡の名称は旧境内の湧水池に月光が美しく映ったというのが由来とか。創建は八幡太郎義家に遡るそうです。どこも神社仏閣がチマチマしており肩身が狭そうで何だかお気の毒。

                                        昭和の再建だが隣は大きな建物の幼稚園。境内にも民家が
            この富士塚も移築したとか。江戸時代、この山に登って富士山詣でをしたつもり