2011年6月26日日曜日

文京区文人墨客の町へ

台地と谷地が交互に続くデコボコとした地形の文京区。中でも南北に長い台地の屋根上に位置する町が本郷で、江戸時代の五街道のひとつ中山道が屋根下を貫き、春日通りと交わる本郷三丁目は江戸内外の境界線として大変賑わった場所とのこと。幾種もの商店が立ち並んでいたようで、今も200年以上続く酒屋の建物が残っています。

この町には樋口一葉、石川啄木、金田一京助、菊池寛、太宰治、宮沢賢治、徳田秋声、森鴎外などなど明治から昭和の文人墨客が滞在しその足跡がアチコチに残っています。ガイドさんの丁寧な案内で菊坂台地や森川町、弥生町を3時間も歩き廻って幾多の足跡を確認しましたが、往時の面影を残す建物はひっそりとほんのわずか。多くは碑のみで、近年は瀟洒なマンションに姿を変えています。

                  日本最古の木造3階建下宿屋は孫文や林芙美子も一時身を寄せた。保存が大きな問題とか
           立花隆氏が今はもうないと記したそうだが、狭い路地の井戸は樋口一葉ゆかりで現存

旧岩崎邸へ

ここは江戸時代の越後高田藩榊原邸の屋敷跡とのこと。緩やかな長い坂道を昇ると三菱財閥岩崎家本邸が現れます。設計は日本の西欧建築の父ともいわれるコンドル。かっては15000坪の敷地に20棟以上の建物があったそうですが現存するのは洋館、和館、ビリヤード場のみ。見事な芝庭と高田藩の深い森の庭園が美しい。

龍馬伝の若き岩崎弥太郎は汚れた服装で自己中心的な人物に描かれたため三菱関連企業から多少のクレームがあったようですが、この建物を見る限り、あまりの相違に仰天するばかり。建物は主に年1回の岩崎家の集まりや国の内外の賓客を招いて催されるパーティーなどに使用されたそうです。

            明治期の上層階級の邸宅を代表する西洋式木造2階建築。明治29年完成
        芝庭は洋館建築と見事な調和を成す。戦後、GHQに接収されたが現在は重要文化財に指定

湯島天神へ

湯島天満宮の創建は5世紀と伝えられますが、14世紀半ば土地の人々が菅原道真公の遺徳を慕い、文道の太祖と崇めて勧進したそうです。17世紀徳川家康が江戸城に入るとともに、永く太平の世が続き文教が大いに賑わうようにと祈願し、その後、江戸時代の学者文人達の参拝が相次ぎ、民間に広まったそうです。

ここは本郷台地の複雑な地形の上にあり、通常は男坂女坂といわれる二つの坂を利用します。受験時になると今も多くの学生が合格祈願に訪れます。京都の北野天満宮は雅な雰囲気で広大な敷地を有し紅梅の老梅が境内に趣きを放っていますが、湯島天満宮はいかにも庶民的で身近な天神様として関東の人々に慕われています。

                           曇り空だが訪問者は跡を絶たない。本殿前には縁起結びの大きな縄の輪が
                     まっすぐな男坂。女坂はくの字に曲がって緩やか

東大へ

大正百年散歩・東京に残る大正浪浪漫という新聞社主催の東京の文京区本郷界隈散歩に参加しました。加賀前田藩の屋敷跡に立つ東大見学は念願でした。ご存知東大の赤門(正門)は徳川家斉の姫が前田家へ嫁ぐに当たって、わざわざ赤門を作って花嫁行列を迎えた門だとか。門の奥にもちろん新居を構えたそうです。

前田家の庭苑にあった池が三四郎池として憩いの場となり、校内には大きな樹の銀杏並木が続き、工学部や文学部、教養学部、農学部などの校舎と活躍した著名教授達の記念碑をじっくりしっかり見て廻りました。一見古びた外観ですが関東大震災直後の復興校舎が数多く残っています。マンホールに東京帝国大学の文字があり戦前の貴重な土木遺構とのこと。

正面扉が閉まっていたので赤門そのもの。江戸時代の建物を正門にするとは・・・
              安保闘争時に何度も見た安田講堂は想像よりもこじんまりした建物

2011年6月22日水曜日

六月大歌舞伎へ

新橋演舞場で公演中の六月大歌舞伎の夜の部を友人のお誘いで観てきました。演目は吹雪峠、夏祭浪花鑑、色彩間苅豆の三題。歌舞伎を見るのは京都の南座以来、約1年ぶりです。すぐ近くの歌舞伎座が建て替え中のため、ただ今、ここ新橋演舞場で多くの演目を開演中とか。12列目のほぼ真ん中席のため絶好のポジションでした。

イヤホンガイドの解説で各演目を楽しみました。熱い夏に涼しさを誘うためか、吹雪峠は舞台上で終始雪が舞い散っておりました。夏祭浪花鑑の初演は江戸時代とのこと。出演者も多数で華やかなステージでした。色彩間苅豆の演者は二人のみ。中村吉衛門、市川染五郎、片岡仁左衛門,片岡愛之助、中村時蔵・・・東西の花型役者が勢揃いで、楽しいひと時でした。

ぼんやりしていますが新橋演舞場の緞帳。魚が川をのんびり横切っているの?
平日なのに多くの観客が。女性8割、男性2割。高齢者が圧倒的多数です



2011年6月20日月曜日

六本木ヒルズへ

幸いなことに六本木ヒルズは私が月1回通う美容院のすぐ側にあります。緩やかな螺旋階段を昇ると、そこに人工的な滝が流れていますが、あら?今日は止まっている。もしかして節電のため?涼やかな滝の流れを見ながらベンチに座ってひと休みし、異次元空間のような巨大な建物を眺めます。

ファッションショップをひと通り巡って、オシャレな花屋や輸入インテリア雑貨店を順番に品定めし、美味しそうなパンをチョイスして、帰りに青山ブックセンターでデザイン関連の雑誌や専門書をじっくり手に取って立ち読みし、私の美容院コースが終了します。馴染みの美容院が六本木にあって、良かった!

       美術館・アートギャラリー・映画館・展望台・レストラン・ホテル・・・ここは何階建てのビル?
相変わらず多くの人で賑わっている。3階の緑地帯の植物も花をつけ都会のオアシスに

2011年6月17日金曜日

目黒川へ

我が家から徒歩1分の目黒川は桜の名所です。春には両岸に見事な桜の花が咲き川面には花びらが流れます。両岸の桜の葉が覆った歩道はウォーキング・ジョギング・散歩道として、一日中多くの人々や犬が利用しています。私は朝6時台の起きがけ直後、40~50分間ウォーキングをしています。

京都では神社仏閣歩きのせいで、足が強くなった気がしましたが、東京では梅雨空が続くせいか、出歩く回数が減少したような・・・いや、これはまずい。そろそろ前向きな生活を始めなければ。梅雨があけたら、真面目な新・東京生活をスタートさせなければ。

        両岸は見事なソメイヨシノ。真ん中の高層マンションはの最上階はキムタクと亀梨クンがとか。
            桜の頃は花見客でごった返す散歩道。東京はどこの桜の下でも宴会が賑やかだ

2011年6月13日月曜日

二期倶楽部(栃木)へ

那須の二期倶楽部はとても有名なリゾートのようです。那須塩原駅から車で約30分。緑豊かな森の中に二期倶楽部があり、東京・六志会主催の「ガラスとワイン茶会」に参加しました。元勤務先の若い後輩を誘ったところ、彼女は着物着用で出席しましたが、とても着こなし上手で感心するばかり。聞けば最近、お琴の練習を始めたから「着物に慣れたい」とのこと。

お茶会出席やお抹茶をいただく機会は、京都暮らしを始めた直後から何回もありました。日本の伝統文化はもてなしの心として確かに現代にも活きているようです。二期倶楽部は洋風の建物ですが、袴姿の男性達の立ち居振る舞いがとても優雅な風景でした。余震や福島原発でストレスの多い東京から離れ、こういった場所でのんびりお茶を楽しめるなんて、とても幸せな時間でした。

                                     森の中には小川が流れ、せせらぎの音を聴きながら点心弁当を
        戦国時代から江戸初期に盛んに行われた闘茶の茶道具。三種のお茶を飲み分けて勝敗を競う

2011年6月11日土曜日

コムデギャルソン・ショップへ

表参道から根津美術館への通りにコムデギャルソンのショップがあります。毎回この店の前を通るたびにクリエイティブなディスプレイに驚かされます。夏を意識したかブルーのネットが際立った個性を発揮していました。が、私は店内に入ることは滅多にない。なぜか、若い頃からこのブランドは私の感性や体型に全く合わないのです。

この通りにはイッセイミヤケ、プラダ、カルチェ、他の有名ブランドショップがずらりと並び、ウインドーショッピングだけで実に楽しい。数年前まで南青山に私の行き付けの美容院があり、月1回この道を歩くのが待ち遠しかったな。今回は約2年ぶりです。いつ来てもこの通りは眺めて歩くのに最適な空間です。

                                来店者を一瞬でセレクトするようなディスプレイ。入るには緊張感が必要
              ギャルソンの服はどうして私に合わないのだろうと思って、早や幾年月

根津美術館へ

京丹後の宮津在住のUさんご夫妻と南青山の根津美術館へ行きました。3年の月日をかけリニューアルしたばかりで展示室はとても見やすい。緑豊かな広大な庭園があり、雨上がりのこの日は葉っぱの濃淡が鮮やかでとても美しい。東武鉄道の社長を務めた実業家・根津嘉一郎氏が蒐集した日本・東洋の古美術コレクションを財団化し、現在に至るそうです。

特別展示は「伊万里柿右衛門鍋島」。国産の磁器が誕生したのは17世紀初頭で佐賀県有田とのこと。初期の磁器から江戸時代末期までの作品が、分かりやすく展示されています。初期の、独特な青色の文様に加え、後期には赤・緑・黄も自在に使えるようになり、日本独自の創意工夫がなされ・・・と展示品の数々は磁器物語を一目瞭然でした。

                                  見事な竹林を抜けるとエントランスへ。1歩入ると都会の喧騒が消え・・・
              鬱蒼とした森が続く広大な庭園は江戸の大名屋敷(秋月藩)の跡地か?

2011年6月8日水曜日

モード学園コクーンタワーへ

私の退職先、モード学園へ友人2人と出掛けました。在職年数は約40年間。名古屋モード学園の3期生として入学以来、長い間、お世話になりました。アパレルの日が昇り始めた頃でミニスカートが全盛期代の時。卒業後はモード学園の大阪校開校を手伝って、の言葉に飛び乗って、嫁に行くのを生き甲斐にしていた両親を振り切り、勇んで大阪へ行き10年間、その後は東京へ移動して30年間・・・

最後の業務は東京のコクーンタワー(50階建て)と名古屋のスパイラルタワー(36階建て)建設のインテリア全般でした。モード学園・HAL・医校╱医専の3つのジャンルの教室を、三角定規で基本形教室の平面図を描き提案。先方から提出された分厚い図面確認に何度も大格闘。まぁ楽しかったこと・・・小さな図面から、あんなに大きな創造的な建築物ができるのを目の当たりにして、素晴らしい退職記念になりました。

             3・11の東日本大震災もガラス1つ割れず見事なものです。最近、ミシュランガイドで2の評価とか。
     右下の球体は大(450席)中(350席)のホール(コクーン=繭)。最上階(50階)は360度東京の街が。

2011年6月6日月曜日

日吉神社(千葉)へ

小高い丘の上に日吉神社がありました。人々から忘れられたような鬱蒼とした森に囲まれた静かな鎮守の森です。滅多に人が通りそうもない細い古道を昇ると、突然本殿の裏へ。創建は807年とのこと。比叡山延暦寺開祖の最澄が、この地を巡回された際、ご縁を得た場所とのことでした。仏教と神道が??日本の神仏は共存ですものね。

本殿を振り返ると、なんと古い大きな杉の大木がずらりと並んでいる。樹齢120年~200年の立派な杉の大木の参道がありました。太い幹に目をつぶって手を当てじっとその命と向きあうと、暖かく大きな安らぎが伝わってくる。自然豊かな場所では、西宮のGさんに教わった、天空に両手を広げ鼻と口から新鮮な空気を身体全体で受けとめると、幸せ気分一杯になりました

        悠久の時の流れの中で、多くの人々が訪れただろう本殿。しかし掃除が行き届いている
                 ひと抱えするのはとても無理。空高く杉の大木はひたすら伸びる

ホキ美術館(千葉)へ

私が財を得たら一体何にお金を使うのだろう、と想像してしてみたが全く浮かばない。普通に暮らせるだけの金額を残して寄付をする・・・かな!実につまらない。医療機器販売で財を得た保木さんという方は、リアリズムに徹した作品を収集して、ホキ美術館を建てたのは、昨年11月のことらしい。

 建物が実にユニークで楽しい。聞けば、日建設計とのこと。コンクリート建てで刀のようにそった2棟の建物は空中に浮いている部分がある。数人の日本人の好きな画家の作品を徹底収集しています。天井の細やかなダウンライトやオブジェのような椅子が素敵!千葉のMさんによると恰幅の良いあの人が保木さんよ、とのこと。「保木さんですか?」と声をかけ、構造説明を確認して納得。毎日、駐車場が見える定席に座っているらしい。ご自慢なんでしょうね。
              
              手前は無造作な雑草に見えるがこれもデザイン?浮いているでしょ?
                     二階への階段。右手に持った紙が入っちゃった!

チバリーヒルズ(千葉)へ

千葉県東金に引っ越した友人を訪ねました。東京から45分と意外に近い。のどかな林や田んぼがあり、ゆったりした風を呼ぶ東京のベッドタウンだが20数年前、東急が開発した鳴り物入りのリゾート地チバリーヒルズを見学しました。ワンハンドレッドヒルズが正式名称のようですが実際に完成したのは100軒ではなく約半分とのこと。

ロサンゼルスの郊外、ビバリーヒルズの日本版として当時大きな話題になった街です。20数年過ぎて街路樹はすくすくと育ち、芝生は青々と手入れされ、ゆるやかにカーブした道の両端に豪華な洋館が連なっています。多少の空室もあるようですが、日本にもこんな夢のような街があるんだなと今更ながら実感。満開のバラが咲いた家ではゲストを招いたパーティーを実施中のよう。

                                      これで1軒分のお宅。どんな幸せが詰まっているのか、さてまた・・・
                  手入れの行き届いた庭は覗けそうだけど、覗けない距離

2011年6月4日土曜日

東京の星

東京へ戻って5日目、神田の歯医者へ行ったついでに新宿の伊勢丹へ行きました。東日本大震災後、3回東京へ戻りましたが、地下鉄の構内や病院内や駅のホームの照明が落とされています。確かにやや暗い感じがして、人々は静かに目的地へ向かって歩いている気がします。でも、戦後の貧しくも清く正しく逞しい子供時代を送った私には、何の問題もありません。

毎回キャリーバッグ持参で帰京していた私は、駅の階段横のエスカレーターが使用不可で?と。今回初めてエレベーターを利用しましたが成程、ホームには必ずエレベーターがあったのだ、と。40年前の東京は夜空に星が見えました。しかし近年は強風後の晴天でさえ全く見えません。東京の街が夜でも明るすぎるのです。我が家のベランダから星を見たいのですが生憎の雨続き。晴天日が楽しみです。

                       JR恵比寿駅は私の最寄駅。右側が改札ですが天井は約半分の照明が消えている
                     新宿から伊勢丹へ向かう通路。ここも半分の照明が

2011年6月1日水曜日

着物デビュー

京都を離れる直前の23日のこと、京都で親しくなった奥様達と円山公園内の有名な料亭左阿彌で昼食をご一緒しました。会の名目はなんと私の「着物デビュー」。着物をこよなく愛する皆様の中に洋服の私がすっぽりはまってアチコチご一緒していたのですが、この私が着物を着用するのは、両親の葬儀で、喪服着用以来のこと。

恥ずかしながら遅ればせながら、ここにご披露させていただきます。高価な訪問着一式を提供くださり手際良く着付けしてくださったTさん、優しくてご親切なMさん、いつも冷静なMさん、宮津からわざわざお越しのUさん、自宅で手料理を振舞ってくださったFさん、大阪の大変お世話になったTさん。昼食後の雨の中、皆様と着物学の講義を受講し、高瀬川沿いのおばんさい屋で夕食をご一緒し解散はPM10:00でしたね。皆様、楽しい女子会をありがとうございました!

               着物姿は背筋がピンと伸び、由緒正しい日本女性になれたかな?
             前列中央のUさんから皆様へ私の友達の輪が広がりました。ありがとう!