2014年5月27日火曜日

光雲寺へ

左京区の光雲寺(臨済宗/釈迦如来様・観音菩薩様)へ吉川よしひろさんのジャズチェロ・コンサートを聴きに。昨年に続いて2度目の訪問です。光雲寺は非公開の禅寺で京都人のほとんどが存在を知りません。徳川家康の孫娘が後水尾天皇の中宮(東福門院様)になり菩提寺となった江戸時代には5300坪の壮大伽藍があったそうです。

吉川さんは生まれた時から片耳が聞こえない。音楽家として乗り越えなければならない道が多々あったがプロの道で生きたいと強く願いアメリカへ渡り、ジャズそしてジャンルを超えたオリジナルをスタンディング・スタイルで奏でる優れたチェリストです。クラシックから子守唄までアンプを使った哀愁的な音楽は光雲寺の本堂に心地よく・・・・

      京都で出会った友人知人を6人誘って出掛けました。観客は約30人で優雅な時間が






熊野神社へ

熊野神社はご存知役の行者が奈良時代に紀州山地に開いた修験場。平安時代~室町時代の権力者は度々熊野詣を慣行して反映や天下泰平を祈願しました。やがて熊野信仰は全国へ広がって京都にも当然・・・今回初めて参内してあまりに小さな本殿で驚きました。東京は新宿西口公園内に広大な鎮守の森と大きな建物がありました。

私の最初の住まいは新宿区西新宿で公園のすぐ側でした。秋には壮大な祭がありお神輿が賑やかに繰り出して。京都の現在の熊野神社は正護院の地にあって応仁の乱をはじめ度々の災禍に遭遇し再建されたようです。ご祭神はご夫妻の神様。従って安産祈願の神様として京都の皆様に慕われているようです。

    正面の丸太町通も東側の東大路通りも車の往来が激しい喧騒な場所に厳かにこじんまりと

心猿庵へ

大好きな法然院の前に私が10代の頃、文豪谷崎潤一郎邸がありました。京都へ住みたいと父に言うと、あの谷崎潤一郎が京都の寒さに耐えられず東京へ越したんだよ。お前のような寒がりは無理だと。その谷崎邸の跡地に建てられたのが心猿庵。東京高田馬場に広大な敷地を持つ茶道会館がありますが心猿庵は京都の庵です。

茶道会館の次男が裏千家お家元千宗室の内弟子になって10数年。ようやくお弟子をとって良いとの許可で月1回ごく親しい人達を招いて茶道の指導を始めました。京都転居直後、私も5・6回通いましたが足首にカルシュームの突起物ができ早々に辞退する羽目に。 法然院を散策後、お稽古帰りの皆様と久し振りにランチを。

     新緑が美しい心猿庵。稽古は2階の茶室でなごやかに。何でも答えてくださる師匠でした
     稽古中は勝手口から入ったため、玄関は知らなかったので覗き見。静かな佇まいにうっとり


法然院へ

東山山系の山裾の銀閣寺から南禅寺までの疏水横が哲学の道。京大の哲学者西田幾太郎が思索にふけって歩いた哲学の道の半ばに法然院(浄土宗)があります。比叡山で修業後、荒れ果てすさんだ都の人々を救済するため山を下り鹿ケ谷に初めて庵を組み噂を聞いた都の人々が教えに導かれて足を運んだ場所です。

境内はいつ訪問しても静かですが参拝者は1人2人と後を絶たない。山の斜面から獅子脅しのカ~~ンという張り詰めた竹の音が響く。樹木や石や池はさほど手入れされた様子もなく、訪ねる者を癒しの空間へ導く私の大好きなお寺です。本堂は閉ざされていたがお庭をひと巡りした初夏のキラキラ輝く朝でした。

        苔むし草が生え今にも崩れ落ちそうで泣けそうな茅葺の山門でしたが改築されて
           木漏れ日が美しい参道。適度に苔むし歩く者の速度が自然にゆるくなる

2014年5月24日土曜日

金剛能楽堂へ

京都御所の西側の金剛流の能楽堂へ。東京在の友人の旦那様が能好きでわざわざ京都まで夫妻で観に来ました。ランチ中に旦那様持参のプログラムを見たらナンと狂言師の次男が出演するようで私も同行することに。演目は飛鳥川と大会。次男は10日ほど前から扁桃腺炎で心配しましたが声が出てひと安心。

能楽は室町時代に様式が完成し戦国時代~江戸時代には大名家の庇護のもと各派に分かれて隆盛を極めました。次男は福岡出身ですが10年前から京都で狂言師に。彼は私の東京の友人の弟です。演目は飛鳥川と大会。飛鳥川は眠くて幸せなアルファファが出ましたが大会はメリハリがあって楽しかった!

         改装は9年前。21世紀の建物の中に19世紀の舞台を組んだ絶妙な巧みの技



2014年5月23日金曜日

木屋町チルコロ京都へ

今夜20人で満席の小さなライブハウスで狂言師(大蔵流/茂山童司)×ヴォーカリスト(空中ループ/松井省悟)のコラボを観て聴いた楽しい一夜でした。観客は若い二人のファンの若者ばかり。白髪頭はかなり場違いな感じでしたが遠慮なく大笑いして満喫しました。現代語の狂言は初体験ですがさすが!!楽しかった!!

ステージは一間四方の狭い空間。狂言は三間四方の空間なのに謡ったり舞ったり唄ったり・・・二人とも白Yシャツにネクタイ濃紺スーツで新鮮でした。 10年来の旧友だそうでトークも楽しく今回のコラボは互いのブログで告知したら満席になったとのこと。帰り道、京野菜スムージーを飲みながらブラブラと我が家へ。。。

           右上が茂山さん、左下が松井さん。松井さんは満月酒宴の恒例ゲストです

2014年5月22日木曜日

ブログが?ようやく再開!

5月2日パソコンのXPが壊れ手持ちのvistaへ変更しようと2年半ぶりに起動しましたが不手際不具合の連続で四苦八苦。東京の親切な甥は帰宅後の深夜や勤務中に遠方より何度もアドバイスやメールをくれて感謝!!NTTの若者も2回我が家へ呼び出して。なおかつご親切なお隣の奥様に2度もhelpの呼び出しを・・・

最後の最後は、お隣の奥様とご友人夫妻が我が家へ参集くださり、キ―ボードを2箇所押すだけのあっけない結末で全ての問題が解決しました。赤面の行ったり来たり・・・あーあ、機会オンチの私はこのたびも誠に大勢の皆様のお世話になりました。人間は独りでは生きられないことを再認識。良き皆様に恵まれて幸せな時間でした。心から感謝申し上げます。

2014年5月1日木曜日

床開きへ

5月1日は鴨川沿いの料理屋の床開きです。訪問は前日の4月30日でしたが床は完成済みでした。四条大橋から北へ3店舗目の多からで和食を。床開きする店は約40店舗。江戸時代初期から夏客のもてなしとして始まった風物詩です。9月30日までの5ヶ月間開催。大工さんに組み立てを依頼し閉店時の預かりも依頼とのこと。

床の前面へ進んで下を見るとミソソギ川の清流に床の柱が立っています。本日午後買物帰りに団栗橋を渡った時通り雨がボツボツと。どの店も店員が慌てて座布団や椅子を片付けていました。止んだら床掃除して速やかに開店です。多からの店長が店内と床では2度温度が違いますとのこと。太陽光アレルギーの私には室内が。

        店内から四条通り方面を見ると歌舞伎座が。今年から全店舗で床の高さや色を揃えたそう
            和食でもテーブルや畳敷きの店がありイタリアンやお手頃価格の店もあって多彩