2014年4月26日土曜日

友人宅へ

山科の友人の送迎で伏見の友人宅でランチを。料亭やお寺へ鰹節を納めている老舗鰹節屋の奥様宅です。2人ともこよなく和装を愛する京都らしい方で私のヨガと食事仲間。ランチはまずお抹茶と和菓子から。おしゃべりしながら手際よく準備を始め10分後には写真のようにお皿の上に21品目の食材料理がずらり。

鰹や昆布の出汁は薄味で絶品。わらび・筍・木の芽・鯛の子・エンドウ豆・鯛の昆布締め・いかさし・大葉・生鮭と若玉葱のマリネ・鳥ささ身の大葉梅巻き・トマト・塩味サラダ菜・うどと胡瓜と茗荷の味噌和え。続いてカボチャ・ 帆立と海老とエノキの春巻でお腹は満腹状態。ご飯・デザート・菓子類は遠慮してフルーツ茶で幸せな1日でした。

          この6皿とその後の数々を加えて30品目以上で大満足。お茶の前に昼寝をしてのんびり

2014年4月25日金曜日

南座へ

歌舞伎発祥の地祇園四条の南座へ。市川海老蔵特別公演の源氏物語です。歌舞伎×オペラ×能楽の競演。海老蔵は騒動以来久し振りの南座出演です。メトロポリタンオペラのテノール歌手が平安衣装の仮衣で語り部となり能楽者と歌舞伎役者は登場人物を演じました。海老蔵はもちろん光源氏。創作美術は美しい春でした。

私が観たのは千秋楽で出演者の心意気はマックス状態です。先日名古屋の徳川美術館で最古の源氏物語絵巻を見た時、新版源氏物語絵巻を購入し完読した直後のためストーリーは頭にバッチリです。前評判はなかなかで海老蔵の優雅な舞や台詞がはまり役でした。歌舞伎とオペラと能楽のコラボがこんなに素晴らしいとは!!

              2階席の花道上の最前列で鑑賞。舞台や出演者の奥まですべて見える席
              源氏物語絵巻に描かれた光源氏は細い目。海老蔵は終始細い目で演じて


2014年4月24日木曜日

守口プラネタリューム(大阪)へ

京都の空中ループというグループがプラネタリュームでライヴを開催しました。満月酒宴にゲスト出演したヴォーカルの松井省吾君のお誘いで出掛けた次第です。松井君は優しい歌声でファンも多い様子。日本の古代や天照大神の話を熱心にする優しい若者です。満月酒宴のテーマ曲を創り来場者を巻き込んで大賑わい。

プラネタリュームは久し振りで2時間の演奏中曲に合わせて天空の星空が変化し実に楽しかった。月・天の川・流れ星・惑星のパレード・満天の星などなど。子供の頃銭湯の行き帰りに兄から星の名前を教えてもらって覚えたはずなのにオリオン座とカシオペアしか判らず。白鳥座・北極星・双子座はどれ?と何度も確認しましたが・・・

           開演前の守口プラネタリューム。リクライニングシートで多様な星空を眺めライヴに浸る



2014年4月21日月曜日

大阪市中央公会堂へ

卒業生達が多数出品のクリエイターズマガジン・コレクション2014AWが大阪市中央公会堂で開催されました。明治時代末期、株で儲けた財界人が建築した旧中ノ島公会堂は堂々たる建物で大阪のシンボル的存在です。私は40年ぶりですが3階大ホールは天井が高くステンドグラスの灯り・壁の装飾・柱の1本1本が趣き満点でした。

ショーは2人の卒業生ブランドと特殊メイク作品が。 裏方にも卒業生が参加し在校生がお手伝いし大変華やかでした。終了後、同伴した京都の友人や卒業生達とカフェでお茶を。卒業達は仲良く長くお付き合いし時々に集まる関係が続いているそうで嬉しい限りです。「学生時代は楽しかった!」との言葉。私も若くて楽しかった!!

      株の仲買で大儲けした岩本栄之助氏がボランティアで1911年に100万円を寄贈し建設した公会堂
            関西で活躍する8人のブランドデザイナーが集結。L&Mで特殊メイク作品やオペラもあって盛りだくさん

2014年4月20日日曜日

出石城跡へ

小京都といわれる但馬の国の出石城跡へ。室町時代の応仁の乱で名をなした山名宗全一族が約200年に亘って城主を務めました。戦国時代2度に渡る織田信長の但馬攻めで毛利方に付いたため豊臣秀吉によって落城したそうです。播磨・但馬・丹波は軍師官兵衛が活躍した場所でTVを先取りして訪問できて大感激です。

関が原合戦後の1604年出石城は廃城になりましたが城跡は二の丸郭と表門を残し整備された街並みがタイムスリップしたような感覚を体感することができました。こんな京都の山奥にも中国観光客の一団が。大声で話す派手な服装のオバサンに思わずお静かに!シーっ!とやりたくなったがじっと我慢!ムムム・・・

         4月16日なのにソメイヨシノの八重が満開の二の丸郭。有子山を背景に美しい山城跡
          表門の内側で右側の平地が二の丸跡、左側が三の丸跡で淡い枝垂桜が往時を語る




2014年4月19日土曜日

竹田城跡(兵庫)へ

竹田城は5~6年前から急な脚光をあびた山城で1443年太田垣氏の居城として築城され播磨・丹波・但馬の公通上の要地となった。太田垣氏は7代に渡って納めたが戦国時代は播磨・但馬を制定した秀吉の居城となり弟秀長が城主となったが関ヶ原の合戦後廃城となりました。建物は失われ三方の頂に石垣が広がる天空の城です。

南北400m東西100mに及び完存する穴太積みの石垣遺稿は全国屈指。10月末から11月初めの朝晩の寒暖差の激しい季節に竹田城は雲海に浮かぶ天空の城になります。私が訪問の4月中旬は石垣上に桜が咲き誇り多くの人々が山城を目指して登って行きます。正にNHKの黒田官兵衛が活躍した時代を象徴する美しい城跡です。

             海抜700mの天空の城は春霞みの中春爛漫の見事な桜が迎えてくれました
              今は無き本丸や天主台辺りの2本の桜は山上で何を語ろうとしているか



2014年4月13日日曜日

吉野千本桜(奈良)へ

吉野千本桜のお花見は東京在住時から数えて3回目。古代から白山桜の名所ですが江戸時代から人の手で植えた下千本・中千本・上千本・奥千本は順次花が開き見頃は4月上旬から20日頃までの長期。過去2回は奥千本まで一気に駆け上り展望台から山全体に咲く爛漫の桜を見下ろし桜のトンネルを見あげながらゆっくり下山しました。

展望台から見下ろす桜の花々のはるか下の平地に金峯山寺の屋根が堂々と。奥千本のもっと奥には平安末期北面の武士を捨て出家した西行の庵があります。願わくば花の下にて春死なん・・・今回は短い滞在だったため本道から外れ頂沿いの山道を歩き上千本・中千本の桜を満喫しました。下千本は散り始め奥千本はまだ蕾でした。

             向こうの山の桜は上千本。山肌の淡いピンクと白に近い山桜が咲き誇って
      手前の桜は中千本・真ん中は上千本・右側の高い山は奥千本。東京・沖縄・アジア諸国から観光客が

金峯山寺(奈良)へ

大和国吉野山から大峯山一帯は古代から広く知られた修験道の聖域です。金峯山寺(金峯山修験本宗/ご本尊は金剛蔵王大権現様)は役行者神変大菩薩が白鳳時代(7世紀)に修行に入り以来山伏姿の修験者の信仰の山として現代に至っています。4月10日~12日は金峯山寺の祭礼で賑やかな行事が開催されます。

私は祭礼中に金峯山寺を参内するのは2回目。明治政府は修験道を禁じ廃寺となったが天台宗の末寺として再興。戦後の1948年蔵王堂(国宝)として金峯山修験本宗を立宗したそうです。私の知る限りでは天台宗は廃仏稀釈後の廃寺を多数末寺として救済しています。祭礼中に吉野山を参内すれば山桜が満開で見応え十分です。

           往時、金峯山寺蔵王堂は満開の桜の手前で護摩焚き中のため人が多く下山時に参拝
           満開の桜の中千本。江戸時代に吉野の人々が山を切り開き千本の山桜を植えたとか






吉水神社(奈良)へ

社伝では白鳳時代創建。吉野山の吉水神社(ご祭神/後醍醐天皇・楠木正成)へ。古来より吉野山は修験宗のお山で金峯山寺の吉水院だったが明治維新の神仏分離で吉水神社へ。平安末期頼朝に京から追われた義経と静御前が吉野へ落ち5日間後別れをした場所「吉野山峯の白雪踏み分けて・・・」はあまりに女心を。

義経潜居の間は室町時代再建の書院造り。1336年後醍醐天皇が吉水院を南朝(皇居)とし南北朝時代は4代57年の歴史を経る。1594年豊臣秀吉が花見の宴を開き歌会茶会能会が盛大に行われ吉水院が本陣となった。他に最澄・空海・一休・芭蕉などなど歴史上の重要人物が多数吉野山へ参内し多くの遺稿が現存しています。

  吉水院は吉野山を統率する修験宗の僧坊。明治後は後醍醐天皇と忠臣楠木正成をご祭神とする本社
ユネスコの世界遺産登録された日本住宅建築史上最古の書院造りの書院。宮司様の案内はユニークで楽しい

2014年4月10日木曜日

平安神宮へ

平安神宮(ご祭神/50代桓武天皇と121代考明天皇)へ。明治(考明)天皇が東京へ移って寂れた京都の活性化と平安遷都1100年を記念して開催された博覧会の目玉として平安京遷都当時の大内裏の一部を復元。当初は平安京遷都初期の大内裏があった位置に忠実な復元を検討したが実現せず岡崎の地に5/8に縮小して再現。

境内はまさに遅咲きの紅しだれ桜が満開です。 お花見客が歩道も茶屋も人で溢れています。神泉苑の池には見事な能舞台が。ここで4日間開催される紅しだれ桜コンサートは今年で26回目。すでに3回聴きに行きましたが東儀秀樹氏や弦楽カルテットを今年も聴きに行こうか思案中。夕闇迫る濃青の空の下、七力・笙・ヴァイオリンが・・・・

        池の周囲も紅しだれ桜が満開。コンサートは桜がライトアップされ鳥肌が立つほど神秘的
                  青空に桜が・・・4月生まれの私は桜の花に飛びっきりの想いが






観亀稲荷神社へ

祇園北側の東の一角に観亀稲荷神社(ご祭神/加具都智命)がありました。創建は江戸時代1659年。選挙は今まで廃校の弥栄中学校でしたが6日の府知事選は祇園東お茶屋組合とのこと。お花見真盛りの日曜のため祇園石段下は大賑わい。人を掻き分け掻き分け迷いながら会場を探していたら観亀稲荷神社へ到着しました。

この地は近江の膳所藩京都屋敷があった場所で御所の警護を担った膳所藩(江戸時代末期に廃藩)が火除けの神様を祀るために領地内に創建したのが観亀神社で当時の境内は4300坪。付近一帯は竹藪で伐り開く際に多くの亀が出たそうで膳所藩は歓び歓亀、観亀、歓喜とも呼ばれ現在は観亀稲荷神社になったそうです。

飲食街をさ迷っていたら突然朱赤の観亀稲荷神社に遭遇しビックリ!!祇園町の火除けのために何卒よろしく!





2014年4月6日日曜日

醍醐寺へ

豊臣秀吉が催した醍醐の花見があまりにも有名な醍醐寺(真言宗醍醐寺派/薬師如来様)へ。4月上旬醍醐寺のたくさんの桜は必ず満開になり花がたわわに開きます。879年創建の醍醐寺は2万坪の広大な敷地に大伽藍を有しています。醍醐の桜は1本の幹から多数の枝を大きく広げた桜が見事です。

境内には多数の大きな枝垂桜が満開に咲き誇りお茶や団子や食事を楽しむ人々が。上醍醐から下醍醐を含め醍醐寺には最も古い951年建設の五重塔や金堂や薬師堂など歴史的な建造物が。さらには仏像・絵画・工芸品を10万点以上保存。霊宝館では貴重な寺宝の公開を順次行いサロンから満開の桜を眺める空間が。              

                                 醍醐の桜。手前が1本の桜で人々が多く近づけないほど大賑わい
                    霊宝館の庭には大きな手まりを連想する見事な桜の木が3本
                    

宇治川へ

桜咲く歴史に名高い宇治川へ。平等院鳳凰堂の正門は大行列のため入場を断念。南門から入るためにグルッと廻ると宇治川と平等院を挟む堤防を歩きます。この道はいつ歩いても楽しい。右側の生垣の向こうは平等院が見え隠れし左側は急流の宇治川が。両岸と中州に桜が満開で観光遊覧船が行き来して。

源氏物語が書かれたのは1000年前。私は最近徳川美術館買い求め何度目かの再読をしました。宇治での物語は光源氏や柏木の息子の薫や夕霧の世代の複雑な男女の模様が描かれています。権勢を欲しいままにした関白藤原道長が光源氏のモデルと言われるが息子の頼通が宇治に平等院鳳凰堂を建てたのは・・・

              清流の宇治川の中州の桜。橋で繋がれた向こうには源氏ミュージアムが
               宇治の桜は今が満開の春爛漫。優しい風に揺れて一週間の寿命を楽しむ

平等院鳳翔館へ

平等院鳳翔館は鳳凰堂の宝物保存館です。平等院鳳凰堂は1000年の時を得て何度も修復を繰り返しています。関白藤原頼道の死後の世界への願望を具現化した鳳凰堂のお堂内の阿弥陀如来様は凛としたお姿で東の空を見ています。阿弥陀様を御守りし優雅な歌舞音曲で天国へ導く菩薩様は52体も。

鳳翔館では1000年前の菩薩様26体を解説付きで保存公開。群青色に変化した2対の鳳凰や退色退化した壁画も鮮やかな色彩で再現し見せてくださいます。平等院へ行く時はまず鳳翔館で創建時の鳳凰堂内部を把握してから外観を拝観しお堂内を拝する順番がベストでしょう。4月は桜。5月は白と紫の藤が美しい。

                                         鳳翔館内部から美しい格子柄の通路を内緒でパチリッ!
                  鳳翔館の外観。名のある建築家の建物だろうか外部も内部も・・・



平等院鳳凰堂へ

世界遺産の宇治平等院鳳凰堂(ご本尊/阿弥陀如来様)が1年半の屋根瓦と外観修復を終え4月3日から拝観可能になり初日に早速憧れの平等院へ。1000年前時の権力者関白藤原頼道の極楽浄土への死生観で平安時代末期に完成した鳳凰堂は日本建築の中で最大の美しさだと思います。今回の色彩は1000年前を復元。

朱赤でなく落ち着いた煉瓦色に金の金具や飾りが輝いて荘厳な佇まい。早朝から大勢が入場待ちそしたそうで正午に到着したが正門は長蛇の列で動かない。私は勝手知ったる南門へ廻ってすんなり入場。お堂内の阿弥陀様拝観は3時間待ちでしたがランチと宇治茶を一服して大好きな阿弥陀様のお顔を拝することができました。

                           見事に再現された鳳凰堂。夕刻に拝観すると夕陽に屋根の鳳凰が光るとか
                          入場の混乱とは裏腹に境内は案外静かで満開の桜やボケが復元披露を祝福



2014年4月3日木曜日

常光院へ

祇園の南側四条通りの1本南側の細い道沿いに門を閉ざした寺院がありました。観光客もあまり通らない道のため私も初参拝です。正確には門が閉ざされていたので柵越しに方丈を覗き込んで拝むだけの参拝でした。高瀬川沿いの喫茶店主から「京都ぎをん春の散策地図」というDMをいただいたら、あらこんな処にお寺が・・・

ネットで調べたが宗派やご本尊様は不明です。ご近所の臨済宗・建仁寺は最盛期の頃、四条通りまで境内があったそうです。結果、常光院は建仁寺の搭頭のひとつだろうと推測。京都には普通の地図には未記載の小さな神社仏閣が多々あります。町歩きする時、思いがけない発見をすることがありとても楽しみです。

            花見小路沿いの一力茶屋から徒歩2分の常光院。門前を通る人も少なくひっそりと
                柵の向こうに手入れが行き届いた美しい庭と方丈を臨むことができました



2014年4月2日水曜日

祇園白川へ

桜が咲き始めた祇園白川へ。祇園北側に琵琶湖から流れる疎水沿いに美しい桜が開き始めました。祇園の町は四条通を挟んで北側と南側に分かれています。お花見シーズンの今、四条通は八坂神社へ行き来するたくさんの観光客で溢れています。北側の混雑を抜けるとザ・京都の祇園白川の美しい空間が現れます。

辰巳稲荷神社辺りで2組の新婚さんの撮影風景に出会いました。30年前韓国へ行った時観光名所のアチコチで新郎新婦の記念撮影現場に出会いビックリしました。3組に1組が離婚する日本でも派手な結婚記念撮影をする時代になったのか、と感慨無量です。どうぞ、良き記念思い出をたくさん残して末永く続きますように。

                         割烹旅館白梅前の石橋から桜咲く白川を撮影
                      川の右側は多数の美味しそうな料理屋さんが並んでいます