2011年11月29日火曜日

湯島聖堂へ

神田明神を出ると重厚な塀に囲まれた建物が目に飛び込んできました。聞けば湯島聖堂とのこと。徳川時代5代将軍の綱吉は孔子を祖とする儒学の振興を図るため、林羅山を向かえ、この湯島の地に聖堂を創建したのが由来とか。およそ100年後、幕府直轄学校として世に名高い昌平坂学問所を開設し全国の諸藩から有能な人材を結集したそうです。

明治維新後には新政府直轄となり文部省が置かれ、240年に及ぶ学問所の幕が降りたそうです。京都の神社仏閣は拝観料を支払って説明書を配布し、寺社内を見学させてくれますが、関東では拝観料の習慣がなく、建築物の外観を眺めるだけ。京都よりも気軽に訪問できますが、由来や起源や縁起が書かれた門周辺の説明板をよく読んで見学しないと、何が何だかわからないまま帰ることになります。

               総門は重厚な造りだが空襲で消失し鉄筋コンクリート造りへ変貌
                                    
             湯島聖堂は元禄時代に創建された孔子廟だが日本の学校教育発祥の地