2011年3月17日木曜日

大徳寺へ

創建は、鎌倉時代末期。室町時代の応仁の乱で荒廃したが一休和尚が復興したそうです。正門を進むと講堂・法堂があり、その他14の塔頭が。桃山時代、大徳寺は秀吉が、不遇の死を遂げた織田信長の葬儀を営んだ場所。信長の菩提を弔う、総見院という塔頭を建立。併せて、名だたる戦国武将達が塔頭を建立した。雨かなーと思ったら木立を舞う雪が横なぐり。まさに往時の騒乱を思わせる空模様でした。

総見院は、手際のよい澄んだ声の学生ガイドさんの説明が清々しい。等身大の信長座像は黒の衣冠束帯が凛々しい。本能寺の変がなく天下統一した暁に、この方はどんな国造りをしたことか。球林院は表千家のお茶会を催行しておりました。一般人として飛び入り参加し抹茶を二服頂戴。その後、遅めの昼食のために入った中華料理屋さんがびっくりするほどご親切。出前の注文電話を「今多忙だから」と断り、もうひと組の客も一緒に連れ、大徳寺界隈を解説しながらひと回り。朝5時から掃き掃除俸仕をしているとか。ほんとにまぁ、お世話になり、ありがとうございました。

                 織田信長の菩提寺、総見院。秀吉が葬儀のために建てた塔頭。
                  飛び入り茶会に参加した球林院。山中鹿之助が建てた塔頭。
                  石畳があまりに美しい東桐院は細川忠興が建立した塔頭。
             三門2階部分に千利休居士の像を安置したため、秀吉の怒りを買うことに。