2011年3月20日日曜日

詩仙堂へ

左京区の東山の山裾に詩仙堂がある。ここは徳川家の家臣石山丈山の隠居所だそうですが随分立派な建造物と庭苑だこと。宮本武蔵が吉岡一門と争った一乗下り松の遺跡のすぐ傍にあります。中国の著名な詩家の肖像をその漢詩とともに掲げた詩仙の間があり、その名で呼ばれるようになったそうです。日本の三十六歌仙にちなんで36人を選出。その趣向が400年後の私達にまで訴えかけてくる当時の感性や技術に、ただただ敬服するばかり。

日本はつくづく不思議な国だと思います。京都へ来て初めて気付いたが、奈良時代から江戸時代末期まで1700年間、中国を師として武家や公家の教養はもっぱら中国の四書五経をはじめ兵法書や思想書の高価な写本を購入し、子供の頃からひたすら学習しています。平安時代、日本で創作されたひらがなは話し言葉に近いが、女文字として教養ある男子のものとはなりませんでした。結果、読物は中国の古典をひたすら学習。漢字とひらがな混合の現代語が完成したのは明治のこと。真の独立国家になったのは、まだ150年前ということ。

                                          小堀遠州作といわれる庭苑。東山の借景と相まって見事
                   玄関横から庭苑に通ずる脇道。苔の石垣が何とも言えない