2011年9月4日日曜日

徳川将軍家霊廟へ

増上寺には、2代将軍秀忠をはじめとする6人の将軍と正室5人・側室5人と多数の子女の霊廟が1箇所にまとめて埋葬されています。東京大空襲で惜しくも焼失したが、戦前、個別の霊廟群は国宝に指定され、それぞれ三重の総門を持ち荘重美麗な外観と神壇・壁画・天井画・欄間彫刻を施し、当時の最高の技術で優雅な装飾に包まれ、徳川家の確たる威厳が表現されていたようです。

秀忠の御霊屋のみ増上寺の南側に建てられていたが、宝塔は木造のため焼失。現在は増上寺の北側にあった御霊屋群の「江」の宝塔内に共に祀られています。他に6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の宝塔がありました。焼失した御霊屋群はしばらくの間、荒廃のまま放置されたが、昭和33年、詳細な学術調査の結果、南北に配置されていた墓所は、増上寺裏手の現在地にまとめて改装されたそうです。

                                銅製の徳川家墓所門。本来は6代将軍家宣の宝塔前の中門だったとか
           左端正面が秀忠と江を祀る宝塔。灯篭は仕えた大名達がこぞって献上した一部