御池通り西洞院下るの小山園のカキ氷は絶品です。日光氷室の天然氷を使用し極め細かくかくため、口に入れると淡雪のように溶けて頭がキンキンしないのです。本当ですよ。夏季限定ですが、私はこの夏2回目食べ3回目は待ち人が多く断念しました。我が家から小山園まで歩くのはやや遠いのですが、暑い日は無性に食べたくて・・・
いつも抹茶小豆を注文しますが、お茶メーカー経営のため抹茶がとに角美味しいです。私は暑い太陽の日差しの下で氷を食べるのは好きですが、クーラーの効いた店で食べると必ず残していましたが、小山園のカキ氷はいつも完食。京都は連日35度を越える蒸し暑い毎日です。あーぁ、明日にでも小山園に行きたい!!
残念ながら写真の上が切れましたが、左は追加の抹茶、右は練乳
2013年7月12日金曜日
2013年7月4日木曜日
祇園祭①へ
八坂神社の祇園祭は7月1日~30日までの長丁場のお祭です。その始まりは貞観11年(西暦869年)。都を始め諸国に疫病が蔓延し、人々はこれを牛頭天王(八坂神社)の祟りとして恐れた。そこで国と同じ数の鉾を立てて祭りを行い、神輿を神泉苑に送って疫神の祟りを祓おうとしたことが祇園祭りの始まりとか。
盾と鉾は町内ごとに豪奢を極め、遠くはペルシャから絨毯を取り寄せ金襴緞子や西陣織をふんだんに使った盾や鉾がコンチキチンのお囃子とともに真夏の京都の町に鳴り響いています。7月に入ったとたん京都の町は祇園祭りムード満載に。四条通りや河原町通りのアーケードは提灯や幕が張られいよいよ・・・
高島屋店内は祇園祭の展示がアチコチに。美しい鉾が3基並んで
店内に飾られた情緒豊かな提灯と祇園祭屏風
盾と鉾は町内ごとに豪奢を極め、遠くはペルシャから絨毯を取り寄せ金襴緞子や西陣織をふんだんに使った盾や鉾がコンチキチンのお囃子とともに真夏の京都の町に鳴り響いています。7月に入ったとたん京都の町は祇園祭りムード満載に。四条通りや河原町通りのアーケードは提灯や幕が張られいよいよ・・・
高島屋店内は祇園祭の展示がアチコチに。美しい鉾が3基並んで
店内に飾られた情緒豊かな提灯と祇園祭屏風
エクシブ京都へ
豪華会員制ホテルのエクシブ京都八瀬の中華レストランへランチに。京都の友人で食べることが大好きで京都の美味しい場所をよくご存知な人が、ドライブがてら連れていってくれました。鞍馬や大原方面へ行く道の緑が美しい閑静な空間に優雅な佇まいが。広々としたスペースに包まれた癒しのホテルです。
エクシブに到着したとたん、ガラス窓の向こうはバケツをひっくり返したような大雨が。ゆっくり食事した後、ホテルを発つ時は小雨に変わって一安心。京都八瀬のエクシブは何かと話題の会員制ホテルで一度行ってみたい場所でしたが、友人に感謝感謝!!中華料理は上品でどれもが美味しかったです。
エクシブに到着したとたん、ガラス窓の向こうはバケツをひっくり返したような大雨が。ゆっくり食事した後、ホテルを発つ時は小雨に変わって一安心。京都八瀬のエクシブは何かと話題の会員制ホテルで一度行ってみたい場所でしたが、友人に感謝感謝!!中華料理は上品でどれもが美味しかったです。
エントランスから正面サロンへの通路。左右には手入れされた百日紅が
雨のため噴水は中止の正面入口。夢空間へのご到着演出が素晴らしい2013年7月1日月曜日
愛宕念仏寺へ
愛宕山は京都の町から見える一番高い山です。愛宕山の麓の愛宕念仏寺へ行ってきました。ご親切な方がカメラやギターを持った石仏のお寺がある、と誘ってくださったのです。創建は700年代後半で山城国の愛宕(おだき)郡に愛宕寺(おだきてら)として。その後祇園の南側で1000年以上の歳月の後、大正11年に当地に移築されたそうです。
昭和56年寺門の興隆を祈願して「千二百羅漢落慶」を発願。1200人の一般の参拝者の手によって彫られた羅漢さんが丁度良い加減に苔を頭に被って親しく笑って迎えてくださいました。カメラやギターは祈願者の趣味だったのでしょう。御酒を酌み交わしたり男女が寄り添ったり、その表現は実に豊かでした。
ご本尊は鎌倉時代の厄除け千手観音、本堂は重要文化財。屋根は鎌倉様式の美しい曲線
境内のあちこちに1200体の羅漢さん。10年の歳月で落慶法要したとか
昭和56年寺門の興隆を祈願して「千二百羅漢落慶」を発願。1200人の一般の参拝者の手によって彫られた羅漢さんが丁度良い加減に苔を頭に被って親しく笑って迎えてくださいました。カメラやギターは祈願者の趣味だったのでしょう。御酒を酌み交わしたり男女が寄り添ったり、その表現は実に豊かでした。
ご本尊は鎌倉時代の厄除け千手観音、本堂は重要文化財。屋根は鎌倉様式の美しい曲線
境内のあちこちに1200体の羅漢さん。10年の歳月で落慶法要したとか
大極殿跡へ
平安京(794年)が始まった頃、南北に走る都大路は現在の千本通りでした。現在の京都の中心は烏丸通りです。京都の町全体が1200年の間に火災で焼かれ、再建されるつど、御所を含んで全体にやや東へ移動したことになります。千本通りと丸太町通りの交差点の北西に大極殿跡がありました。
大極殿の建物は奈良の平城遷都1300年の2010年に、実物大で建物が再建されました。当時、私は京都で仮住まい中だったため、平城京内の大極殿を見に行き、強い印象を持ちました。大極殿は天皇の即位の礼や国家的儀式に使われた壮大な建物です。現在は京都の街角の住宅の影にひっそりと。なにやらパワーを感ずる場所でした。
京都の町を歩いていると幾多の史蹟に接することがある。ここには1,000年の歴史が
大極殿の建物は奈良の平城遷都1300年の2010年に、実物大で建物が再建されました。当時、私は京都で仮住まい中だったため、平城京内の大極殿を見に行き、強い印象を持ちました。大極殿は天皇の即位の礼や国家的儀式に使われた壮大な建物です。現在は京都の街角の住宅の影にひっそりと。なにやらパワーを感ずる場所でした。
京都の町を歩いていると幾多の史蹟に接することがある。ここには1,000年の歴史が







