じゅーじゅのぶらり日和
楽しい老後生活ゆっくりと。ぶらぶら歩く「林住期」。
2013年4月7日日曜日
渡月橋へ
東京の大学生2人と、保津川と鳴滝川の合流点の渡月橋へ。阪急電車で河原町から桂で乗り換えあっという間に嵐山へ到着しました。春爛漫・桜爛漫・絶好の好天に恵まれ、ぶらぶら歩くにはもってこいの一日でした。現在の渡月橋は江戸時代の豪商角倉了以が架け替えたものだそうです。
公園には家族や友人とお弁当を広げてのんびり過ごす人々が。のどかな日本の春だなぁ。同行の大学生は焼きそば・お好み焼き・抹茶ソフトが食べたい、と素直でよろしい。私も桜の下満喫しましたが、渡月橋をゆっくり歩いて嵐電側の嵐山へ。観光客や修学旅行客が賑やかな笑顔で溢れていました。
桜の花は今が盛りの満開です。春の空桂の川面になごむ子ら
渡月橋は修学旅行生がいつも多数溢れています。薄桃色の山桜が山肌に
2013年4月2日火曜日
八坂神社へ
ただ今、祇園四条通は花見見物客で大騒ぎ。八坂神社前=通称石段下のローソンは私の最寄コンビニですが、トイレットペーパーや牛乳が売り切れて私の生活に多少の不便が生じています。八坂神社参拝者や円山公園花見客が朝から晩まで押し寄せています。本殿も人々が並んで参拝し舞殿では衆目の中で結婚式も行われていました。
創建は1200年前。天照大神の弟スサノウノミコトを祀っていますが、この荒ぶる神様は現状の喧騒をいかに感じていることか?でもね、きっと喜んでいるでしょう。1200年間京都の人々から慕われ尊敬されてきたのだから。通常の10倍近い露店が賑わい、満開の桜を見上げる人達は一様に笑顔で幸せそう!
満開のソソメイヨシノ。江戸時代に交配して誕生したたった1本の桜が全国に
八坂神社本殿。左側に約10人が3列に並んで参拝順を待っている
2013年4月1日月曜日
清水寺へ
清水寺の創建は奈良時代末期。征夷大将軍の坂上田村麻呂が蝦夷征伐の折に戦勝祈願のため立ち寄ったところ清らかな滝があり熱心に修業する僧が。山中にて白い鹿に出会い、これは吉兆と確信したそうです。征伐後、この地に田村麻呂の邸宅を作ったが後に寺院としたとのこと。
清水寺の舞台がいつ完成したか正式な記録はない。その原因は度重なる火災で書物の多くを損失したそうです。現在の本殿と舞台は江戸時代のまま。舞台は釘1本使わない日本の優れた建築技術です。江戸時代には清水の舞台から飛び降りて生還すると念願成就すると流行ったとか。確か飛び降りた人は20数人のはず。
ねねの道から三年坂二年坂を上って山門へ。清水寺詣では江戸時代から現代まで庶民のプチ外出の娯楽旅
十一面観音様が本尊ですが人々は参拝は二の次で舞台から京都の町見物
高台寺へ
豊臣秀吉の妻北政所が徳川氏の援助で秀吉を弔うために作った高台寺へ。高台寺は最近商売熱心で年間を通してイベントを仕掛けており、京都人の評判はあまり良くない。ねねの道は観光客の人の波でそぞろ歩きしかできません。道の両側には多数の土産物屋や飲食店が軒を並べていますがどこも超満員。
少し前まで私のお気に入りの静かな散歩道でしたが、桜が咲くとこんなに人々が訪れるとは・・・
和服姿の若い男女がよく目につきます。会話を聞くと韓国語だったり中国語だったり。着物の着こなしが上手いのにビックリです。最近は欧米からの観光客も多数見かけます。京都を訪問する外国人は年間約5000万人とのこと。
枯山水のみごとな庭園には満開の枝垂桜が1本。春爛漫の高台寺
孟宗竹が天高く伸びる高台寺の庭。暖かい陽を浴びてすくすくと
2013年3月31日日曜日
高瀬川の桜
鴨川に平行して西側を流れる高瀬川の桜は7~8分咲き。今年の京都の桜で開花が一番早いかも?高瀬川は江戸時代に住倉了以によって作られた運河です。明治時代まではもう少し川幅が広く舟が行き来し物資や人を運んでいました。大阪湾から淀川を上り伏見で船を乗り換えて高瀬川を上って京都の中心街へ。
四条通りの南側に今も船着場の石段が残っています。坂本龍馬が何度も通り下船した船着場です。土佐藩邸は高瀬川沿いにあり四条通りから約200m北へ上った場所にありました。脱藩浪士の龍馬ですが、こっそりと友人を頼って土佐藩邸に出入りしていたそうです。150年前、この場所は大きな時代の変換を担った処です。
私が週4~5日通っているカフェは左下の店。私と同年輩の美人店主がひとりで
おせきはしの上から高瀬川の下流を撮影。6~7分咲きかな
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